◆自問 1
朝8時を回ると、兵舎の食堂はやにわに騒がしくなる。
今日はそれが一入で、早朝訓練を終え空腹を抱えているのにも関わらず、調査兵たちの表情はどこか生き生きとしていた。
ーーーーー今日は二週に一度の休日。これより終日自由時間。皆表情が華やぐのも無理なことではない。
若い女性兵士が集まるテーブルで、一際色めいた声が上がる。
それにワンテンポ遅れを取って「んふふ、」と小さな笑い声が漏らされるのを、ミケの耳が捕らえた。
そっとその方に視線を向ければ、ユーリがペトラの隣に腰を下ろして、同じ年頃の娘たちの会話に混ざっては興じていた。
別段珍しい光景でもないが、頬杖を付きながらぼんやりとその方を眺めてみる。
…………と言うのも、ミケの実感としては先日の深夜の邂逅において少々ユーリに歩み寄れたと思っていたのだが、その後の手応えはまるで無かったからだろうか。なんとはなしに彼女が気になる日々が続いていた。
(別段……ユーリは愛想が悪いというわけではない………)
むしろ逆である。それなりに誰とでも上手く打ち解け、仕事もよくこなしている。一見何の問題も見当たらない兵士……
(しかし、まだ時折…深夜、奴の部屋から灯りが漏れている。)
あれ以来訪ねて行くことはしなかったが、彼女の部屋の様子に気を配ってはいた。
深夜に揺らぐようなその灯りを見る度に、どこかざわざわとした気持ちになった。それが、ずっと気がかりだった。
「ユーリ君は今日何して過ごすの?」
お馴染みの薄いスープをスプーンでひと混ぜしながら、ペトラがユーリに尋ねている。
ユーリは隣の彼女を横目でちら、と見てから「今日は珍しく何も用事がないからなあ……」と呟くようにする。どうやら予定は未定のようである。
「私たち、休みが重なった憲兵の子たちと街に出かける予定なんだけど…良かったらユーリ君も一緒にどう」
「ふ…ん…。どんな子たちが来るの」
「うーん、調査兵は女の子、憲兵は男の子が多いみたいね。」
「んふふ、合コンだ。」
「もー、すぐそういう俗っぽい風に捉える……」
せっかくだけれど、とユーリは淡く笑いながらペトラの申し出を断った。
予定がないなら別にいいじゃない、とペトラが言えば、ユーリは
「私人見知りなの。ペトラちゃんくらいしか友達いないし。」
とゆっくりとした声で応える。
「そう……。」
ペトラはそう相槌を打つしかないようであるが……しかし今回は少しばかり食い下がって、
「でも…こういう時に友達って出来るものじゃない?憲兵の男の子とも気が合うかも…よ?」
と続ける。
「まさか。」
しかし、ユーリはその一言であっさりと会話を切り上げてしまう。
「お土産話、聞かせてね。」
柔らかく笑うと、ユーリは綺麗に空になった皿を持って立ち上がる。
また…女性兵士の輪から、明るい笑い声が上がった。彼女たちは、ユーリがそのテーブルから立ち去っていくことには気がつかないらしい。
*
(………………。誘ってくれたのに、断っちゃって…悪いことしちゃったかなあ……)
(嫌われてないと良いけど………。)
今朝のペトラへの自分の態度を自省すれば、ユーリはなんだか泣きたくなった。
せっかくできた友達である。彼女の気持ちを無下にしてしまったことがひどく悲しかった。
(でも……)
ユーリはゆっくりと瞼を開いた。寝転んでいた彼女の視界の内側へと透明色の光が飛び込んでくる。
空は青かった。ふわふわと柔らかそうなひつじ雲がその間を泳ぐように流れていく。どこかでは、楽しげな笑い声がしていた。
静かで、穏やかで、澄み渡った時間。悲しいことや苦しいことは沢山あるけれど、いつでもここ調査兵団の空気は優しかった。それが束の間の日常だった。
(そうだよ…ユーリ。貴方は暗い場所から出て、こんなに綺麗で明るいところに来れたんじゃない………。)
何もかもが、生まれ育った場所とは違う。
それはもう、十分すぎるほど分かっていた。
(でも、それでも………)
(私がしたことやしてることが無くなるわけじゃないし……)
(ここの優しすぎる人の誰かを好きになって、好きになってもらえて…そういうことが出来る、自信がない……。)
澄んでいた空の景色が僅かに曇り、滲んだ風に歪む。ユーリはため息を吐いた。そして何となく、今頃友人たちや憲兵の男の子と親しげにしているペトラのことを考えた。
「好きになっても、きっと迷惑だから……。」
それだけ呟いて、ユーリは再び瞼を下ろした。また、どこからか誰かの明るい笑い声が風に乗ってやってくる。ユーリはそれを聞きながら、浅い眠りに落ち込んでいった。
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