◇告解
今までずっと、なんでも卒なくこなすことが出来た。兵士になってもそれは変わらなかった。
そういう面では器用で優秀な人間なのだと、自身を思う。
けれどこういうことだけは如何しても理解が鈍く、何もかもがうまくいかなかった。
周囲の人間は、これくらい簡単にやってのけているというのに………。
*
「あー、もう!言われなくてもわかってるわよー!!」
「…………うん?」
古城にて……同室をあてがわれたペトラが突然イライラとした声をあげるので、ユーリは訝しげな相槌を打つ。
その方を見れば、彼女の掌中には白い封筒と便箋とがあった。どうやら手紙の内容になにか不満があったようである。
「……………大丈夫?」
一応、ユーリは気遣いの言葉をかけてみた。
どうしたの?までは聞かなかった。深入りして良いのか分からなかったからだ。
「…別に大したことじゃないの…。大きい声だしちゃって、びっくりした?」
「全然。気にしないで。」
ユーリは薄く笑って応えた。ベッドに足を組んでは座っていた彼女の隣に、ペトラも腰を落ち着けてくる。
「………うちのお父さん。ちょっと心配性が過ぎるのよ…。」
「へえ?」
「体調とか兵役について心配してくれるのは娘としてはありがたいわ…!でもね…なんだって、あの……う、」
「リヴァイさんのこと?」
「えっ?」
「リヴァイさん。私たちの上司だよ。忘れちゃった?」
「ちが、そうじゃなくて…」
「あれ…ペトラちゃんって彼のこと好きなんじゃなかったっけ?」
「なっ………な、んでそんなこと………」
「うん…まあ、分かるよ。そりゃあ…
それでお父さん、反対してるの?」
「違う、別に反対なんかしてない、むしろ…。」
「じゃあ良いじゃない。素敵なパパ。」
私も応援してるよ、とユーリは軽くペトラの頬に口付けた。
まだなにも言っていないのに勝手に決めつけないで、とペトラは歯切れ悪く不満を言った。しかしその白い頬は血がよく通って薄紅色に色づいてしまっている。
ユーリはそれを眺めてはまた笑った。素敵だね、と一言呟いた。
「別に…!そんな、ユーリ君が思うような色めきだった話じゃないのよ…!!皆だって兵長のこと大事に思ってるじゃないの!それと同じようなものよ…」
「そう?分かったよ。からかってごめんね。」
「別に謝らなくてもいいわよ…」
「でも…やっぱり、素敵だよね。ペトラちゃんは。」
ユーリは、そっと瞼を伏せてペトラの掌中の白い便箋を眺める。
そこには、娘の体を気遣う父親からの言葉が細かい文字で並べられていた。
ユーリは隣のペトラの肩にゆっくりと頭を乗せる。
いつものように、ペトラは年上の後輩の甘えた仕草を受け入れてやった。「別に素敵なんかじゃないわ」と弱く呟きながら。
「…そんなことないよ。ペトラちゃんみたいにさ…当たり前に人を想いやるってすごい難しいから…。」
ユーリは、ペトラの面倒見の良さが好きだった。だからこうして二人きりの時は思う存分に心と体を許してしまう。
「私はいつも、どうしたらペトラちゃんみたいな素敵な人になれるんだろうって考えるよ。」
どうやったら…と呟いて、ユーリはそっと瞼を閉じた。
ペトラは視線だけ動かしてそんな彼女を眺めた。眺めながら、小さな声で「なによ……いつも自信満々な癖して急にしおらしくなるんだから…」と不満そうに言う。
しかし満更でもないらしく、淡く笑ってはユーリの肩をそっと抱いてやった。
(仕様がない人)
(かわいい)
このふたつを、胸の内で繰り返しながら。
*
世も更けた頃に……ナナバはふ、と自室の窓から外を眺めた。
それから思わず(あれっ)と呟きそうになる。
視線の先のユーリは笑いながらこちらを見つめていた。ナナバは幾分呆れた気持ちになりながらも、窓を開けて彼女を手招いてやる。
「…………。私が外を見なかったらどうするつもりだったの。」
「ナナバさんなら私を見つけてくれると思ったんですよ。良かった、愛の力ですね。」
「何言ってるんだか………。」
ナナバは軽くユーリの頭の辺りを小突いてやった。彼女は相変わらず嬉しそうに笑っている。
「で、何の用かな。」
気を取り直すように、ナナバはユーリへと質問した。
「夜遅くにゴメンなさい」と彼女が謝罪するので、「今更もういいよ…」と窓枠に頬杖をついて続きを促してやる。
少しの静寂。冷たい風が吹いて、ユーリの髪とその首に巻かれた深い色のマフラーが煽られていった。
「……………あの。私、ナナバさんに嘘ついてたんです。」
そしてユーリは、囁きに似た声色ながらも唐突に切り出した。
なんのことだろう、とナナバはやや訝しげな表情をする。しかし口は噤んだままで彼女の言葉にじっと耳を傾けた。
「すごく昔ですけど…。私は自分の親が、かつて殉死した調査兵団の兵士だって言いました。」
そんなことがあっただろうか、とナナバはぼんやりと思った。
もう忘れてしまったような遠い昔の嘘を、なぜ今更…とも考えた。
「そうしたら、貴方すごく私に同情してくれて…それから、いつも良く面倒を見てくれました。
だから…なんだか、そういう…好きな人に嘘をついたままが嫌になっちゃったんです。それだけ………」
一口にそう言ったユーリとナナバの間を、また冷たい風が過って行く。
揺れるユーリのマフラーを眺めながら、ナナバは「良いマフラー、してるね。」と呟いた。
「んふふ、そうでしょう。………ブランド物ですからね…。」
「ああ…。本当だ、結構有名どころ…でもこれ男性もののメーカーじゃない。」
「盗んでませんよ?ちゃんと買いました。」
「へえ、お金にうるさい君にしちゃ随分とフンパツしたねえ…」
んふふ、とユーリはなにかを含んで微笑んだ。
それから、「用事はこれだけです…。また今度は昼に、遊びに来ますよ。」と明るい声色で言う。
「別に…夜で良いよ。」
ナナバは、窓枠に頬杖したまま呟いた。
それから、腕を伸ばしてユーリの頬に触れてみる。予想通り、彼女の肌はすっかりと冷えてしまっていた。温めるように掌で撫でてやる。
「夜でも……昼でも……いつでもおいで。」
ナナバは静かな声で囁く。ユーリが、自分の頬に置かれたその指先に掌を重ねてくる。懐いたその仕草は自然とナナバを優しい気持ちにさせた。
「ユーリがどういう育ちとか…出自とか……私は別に、どうでも良いよ。」
掌を離して、代わりに両腕を伸ばしては暗闇の中で立ち尽くす部下の身体を抱いてやる。
腕の中で、ユーリがくすぐったそうに笑う気配がした。
(だから、安心して……)
自分もまた抱き返される感覚の中で、ナナバは弱く囁こうとする。
しかしそれが声となることはなく、ただ辺りは深い静けさに満たされていた。
*
兵舎から古城への帰り道、ユーリは風の冷たさが一入になるのを感じてマフラーを巻き直した。
上質な山羊の毛が滑らかに彼女の首と頬に触っていく。皮肉なことに、それはとても温かなマフラーであった。
冷たい夜空には小さな星がいくつも光っていた。枯れ枝の隙間からそれを見上げては、ユーリはため息をする。
透き通って濡れたような青色の夜空だった。その穏やかな色は、ユーリに父親の瞳の色を思い出させた。自分とよく似た色をして、いつも悲しそうな……
(どうやったら、笑ってくれるのかな。)
そして、そこにエレンの泣きそうな表情も重なっていく。
最近は幾分か気を許してくれている彼も、ふとした瞬間に色濃い寂しさを瞳に宿してしまう。
(どうやったら……)
その答えは分からないまま、足取りだけははっきりと帰り道を辿っている。
二本の足でしっかりと踏みしめる地面からは、湿った土と腐った葉の匂いがした。
(………………。)
人には、色々な事情があるのだろう。
孤独の最中にいる、様々な人の顔を思い浮かべながらユーリは考えた。
(でも、それでも。)
鈍い音がして、ユーリの足元で枯れ枝が折れた。
辺りは静寂の景色が続いていた。彼女の足取りと息使い以外にそれを乱すものは何もない。
(愛してくれるつもりがないんなら、やっぱり生まないで欲しかったなあ………。)
弱い風が吹いて、頭上の枝がそっと揺れる。
ユーリは足を止め、今一度青い星空を見上げた。遠い空ばかりが明るく感じられて思わず目を細めてしまう。
そうして視線を黒い地面に落とし、彼女は再び歩き始めた。
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