道化の唄 | ナノ

 ◇腹話術


「まだ落ち込んでるんクマー」


古城の中、女性兵士二人に与えられた部屋の中で……モフ、と柔らかい綿で出来た前足がペトラの頬をつつく。


「クマってそんな語尾だったかしら」

と言いながら、彼女は邪魔そうにそれを退けた。

ユーリはペトラに退けられてしまった彼を抱き直しながら、「いや、語尾もなにも、そもそもクマは喋らないよ」と応じる。


「ねえペトラちゃん見てったらー。この前買ったアンゴラで作ったから毛並みフサフサなんだよ?今までで一番上出来な子なんだからさあ。」

項垂れて頬杖をついているペトラの顔を覗き込みながら、ユーリは空気を読もうとせずに言葉を続ける。

ペトラは溜め息を吐いた。それから「貴方って生きてて楽しそうよね…」と若干の皮肉を零す。


「………………。そんなに落ち込むことかな。」


別に気にすることないのになあ、と、ユーリはようやくまともに会話をする意思を示す。

彼女が少し大ぶりに身振りをするので、その掌に掴まれた深い茶色のクマのぬいぐるみはなされるがままにぶらんと揺れた。


「………気にするわよ。」

「ふうん、相変わらず優しいよねえ。素敵なお姉様。」

「別にそんなつもりじゃなくて……。あの子の気持ちになってみたらとっても辛い事よ。」

「そうかな?私はエレンじゃないから分からないな。」

力が未知数なんだから、警戒するのは当然のことじゃないかな。とユーリは俯いたままのペトラを眺めながら呟いた。


「あんな…年端のいかない子に刃物を向けてしまった自分が許せないの。これから、どうやって彼に接していけばいいのかしら…。」

「別に普通でいいんじゃない?」

「あなたの気楽さが羨ましいわ。」

「どうもありがとう?」

「褒めたわけじゃないわよ」


ペチ、と今度はペトラがユーリの頬をつつく。ようやく構ってもらえたことが嬉しかったのか、ユーリは「きゃ」と楽しそうに笑った。


「…………。こういう時、ユーリ君みたいな無神経さが場合によっては必要なのかもね。」

「無神経って……。」

「ねえユーリ君、もし良かったらエレンの様子を見てきてあげてくれない?」

「………………。」


あからさまに面倒臭そうな顔をしたユーリに、ペトラは「お願い」と真っ直ぐな瞳を向けながら言った。

ユーリは軽く息を吐く。それから「良いよ」と短く承諾の意思を示した。







エレンは…………非常に、怪訝な顔をしながら自室の扉を眺めていた。

僅かに開かれたその隙間からは、明るいベージュ色のクマのぬいぐるみが黒いビーズのつぶらな瞳をこちらに向けている。

しばし両者は睨み合うが、やがてクマの方が「エレン君こんばんは!」と妙に明るい口調で言ってくる。

エレンはその挨拶を無視して、「何やってるんですかユーリさん」と冷め切った声で質問した。


「おやおやあ、バレてた?」


結構声色変えたのになあ。と零して、ユーリはその見え辛い顔を扉の隙間から覗かせる。

エレンはその方を見ようともせずに、「声もなにも……ここでそういうふざけたことするのは貴方しかいないでしょ」と淡々と返した。


「そんなことないよ?リヴァイさんだって時々するよ。嘘だけど。」


冷たいエレンの様子を気にすることなく、彼女は部屋の中へと足を踏み入れた。


(似てるな)

そして彼女は思った。この薄暗さ、日の届かない湿った空気は…どこかあの劇場に似ているところがあった。


「何の用です。」

「別に…強いて言えば用なき用かな……。」

「…………そうですか。」


エレンはあからさまに早く出て行って欲しそうな態度を示す。

ユーリはふにゃりと笑ってその刺々しい語気を躱した。



「その年でクマのぬいぐるみって……恥ずかしくないんですか。」

「女の子は何歳だって可愛いものが好きなものよ。」

「…………はあ。」

「それにこれは好きな人にもらったものなのよ?」

「別に聞いてませんけど……。」

「好きな人にもらったものは、いくつになっても持っていたいし大切なものなんだよ。
貴方自身、若しくはエレンの周りの人にそういう覚えない?」


別に………と言いかけたエレンの頭の隅に、ふとミカサの顔が過ぎった。いつもその首元できちんとしめられている、赤いマフラーと共に。


「いえ、別に………」


言いかけた言葉をもう一度言い直しながら、エレンは続けてアルミンの明るい笑顔を思い出した。

心細く、頼れる人もいない今、どうしようもなく馴染みの二人が懐かしくなる。

彼は溜め息をした。その様子を伺いながら、ユーリが僅かに首を傾げる。


「君のお父さん…………って、確か行方不明なんだっけ。」


エレンに対して座るように促しながら、彼女は呟くように唐突な質問をした。

ええ、まあ……と彼は着席しつつ気のない返事をする。


「……………。見つかると、いいね。」


ユーリは立ったまま…側の石壁にもたれながら、エレンを見下ろした。

薄く垂れた金色の前髪の隙間から青い瞳が覗いている。エレンは彼女の真意が汲み取れず、曖昧な応えをするに留まった。


「ヤダ、そんな気のない返事。」

モフ、とユーリがベージュのクマの腕を使ってエレンの頬をつつく。

彼もまた嫌そうにしながらそれを退けた。


「君はお父さんを探したくないの……?」


ユーリは素直にクマを引っ込めながら、彼に尋ねた。

ふ、とその声色から温度が消えていた。

エレンはもう一度彼女のことを見上げる。しかし前髪の向こう、その瞳の色を今一度伺うことはできなかった。


「い、や………。そんなつもりじゃ。」

「そう?それなら良かった。」

「でも…簡単に見つかるものでもないでしょう……。」

「貴方が弱気じゃ仕様がない。」


もふり、と再びモコモコと柔らかな前足がエレンの頬をつついた。

エレンは再びそれを退けることはしなかった。今はその気力も失われているらしい。


「見つけてあげようよ。お父さんだって、エレンに見つけてもらえたら嬉しいと思う。」


僕もそう思うクマ、と、ユーリは先程と同じ妙に明るい裏声をしながら器用にクマを動かす。

エレンはそれには無反応だった。しかし、ユーリの言葉には弱々しいながらも頷いてみせる。


「見つけられるよ。…………だから早く、探しに行けると良いね。」


ユーリは、大人しくなった彼の頭をゆっくりと撫でた。

エレンが無抵抗なのを良いことに、彼女はしばらくその行為を殊更優しく繰り返していた。

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