◆茶話会
「えー、どうしよう。ケーキ、タルト?それともパイ?」
「全部食べれば良いんじゃないですか?」
「いやよ、太っちゃうじゃない!」
「ペトラさん細いんですからもう少し太っても大丈夫だと思いますよ。」
「あら……そうかしら。そうなのかしら。」
「そうです。そうなんですよ。」
「じゃあ三つとも頼むから一緒に食べて?」
「良いんですかあ?」
「こういうのは共犯がいれば怖くないのよ……!」
「共犯って……別に悪いことしてないじゃないですか。」
「悪いことなのよ女子的には!!男の子のユーリ君には分からないでしょうよ!!」
「えっ」
「えっ?」
喫茶店のテーブルの上に、ペトラの小さな頭が突っ伏していた。
いやいや、どうも………と訳の分からないことを言って、ユーリは彼女に体を起こすように薦める。しかし依然としてペトラの顔面は机に伏したままだった。
「いやあ……大丈夫ですよ、本当に……。そんなに気にしてませんから。」
「うう……本当にゴメンなさい……!私って最低だわ……!!」
「いえいえ全然。ペトラさんは最高ですよ。」
「そうなのよ、最高に最低なのよっ………」
「あらー………」
だが、ペトラの自責は長くは保たなかった。三つ頼んだ菓子類のうちのひとつであるブルーベリーのタルトが運ばれてくると、その可愛らしい飴色の瞳が輝く。
年よりもずっと大人びた哀しそうな表情をしたり、焦ったり、恥ずかしがったり、笑ったり。
目まぐるしくくるくると変わるその表情がユーリには新鮮だった。なんだか微笑ましい気持ちになって、思わず笑ってしまう。
すっかりとヤニ焼けがした喫茶店の壁を切り取るのは、等間隔に並ぶ細長いアーチ型の窓だった。木の桟が幾何学模様を規則正しく描き、複雑な形が光に縁取られて地面へとまっすぐに差し込んでいる。
(透明色の光だ)
その眩しさが無性に愛おしくて、ユーリは目を伏せて深く呼吸をした。再び瞳を開けると、眼前に一口大に切り取られた香ばしい色のパイが差し出されている。
ペトラと瞳があった。細められた優しい彼女の色が…窓からの光よりもずっと眩しく感じられて、ユーリは思わず目を逸らせてしまった。年下の先輩は意に介した様子なく、随分長い前髪ね。と呟いている。
「それよりも、早く食べてよ。私が食べられないじゃない?」
「…私もフォークありますのでどうぞ、お構いなく。」
「つべこべ言わないのよ。ほら。」
「つべこべ…」
「ふざけないの。」
「はい、先輩。」
ユーリは笑って、差し出された銀色のフォークから甘いタルトを唇で受け取った。
ああいいなあ、と彼女は思った。まるで私までかわいい女の子になったみたいだ、と考えてはひとり可笑しそうにしてみる。
「ペトラさんは……」
「さんはいいわよ…。うちの兵団はそんなに上下関係を重視していないから。」
「じゃあペトラちゃんは……」
(ちゃん…)
「恋人とかいるんですか?」
「ええ!?」
飛躍したユーリの質問に、ペトラは頓狂な声をあげた。あら大きい声。と、ユーリはそのままの感想を口にする。
「え……えっと……なんで、そんなことを?」
随分とどぎまぎとしながらペトラが訪ねてくる。桜色に色づいてしまった頬を眺めて、ユーリはまた笑ってしまった。自然とかわいいなあと思えてくる。
「いいえ……。ただ、ペトラさんに恋人がいたら私のこの想いは成就されないなあ……なんて…」
「ええっ!?もしかしてユーリ君、」
「(誤解は解けても君付けは直らないのかあ)それは冗談………ですが」
「冗談なの!???」
「こんなことしてくれるなんて、もし貴方に恋人がいるのなら随分罪作りな行為ですよ。」
「なっ、それどういう意味!?普通にこれくらいするわよ?それに私はただ従兄弟にしてやるような気持ちと同じふうに………!」
「従兄弟に。それはそれで別の問題が。」
「なによからかわないでよ!?」
「…………ゴメンなさい。」
ユーリが素直に謝ったことに拍子抜けしたのか、ペトラは大きな瞳をパチクリと瞬きさせる。そうして、自身の分のタルトをフォークでさくりと切り取っては口へと運ぶ。
「……私こそ、男の子扱いしちゃってごめんなさい。」
「いいえ、全然気にしてませんよ。」
「ただ……、あなた、私の従兄弟と仲が良かったじゃない。いっつも一緒にいるものだから……
あの子が女の子と親しくするなんて珍しいのよ。だから私てっきり……」
「それで男かと勘違いしちゃったんですね、私を。」
「そう………。でもそれだけじゃないわよ。
貴方のこと、女性用の宿舎で一度も見たことなかったし…」
「……………引きこもり癖があるんです。すみません。」
「そういえばお風呂でも会ったことがないわ?」
「まあ…そういうこともありますよね。」
「第一なんでそんなに前髪が長いのよ。それじゃ男か女か以前に顔も分からないわ……?」
前髪を分けようと近づいてくる白い指先を、ユーリはそっと握って留めた。
ごく自然に掌を繋がれたことにペトラは驚く。そのままでユーリはにっこりと笑った。
「んふふ…これからは私がちゃんと女の子だってこと、覚えておいて下さいね。」
薄く垂れた金色の髪の奥で、深い青色の瞳が微かに細められた。
「ええ…そうね。」
ペトラは惚けたように呟く。
ユーリはそろそろと手を離しながら、「ペトラさんは素敵な人ですね。亡くなったあの人にそっくり」と小さな声で言った。
………言った後、「ごめんなさい。気遣いが足りませんでしたね。」と彼女は呟いた。
ペトラは弱く笑って、「良いのよ。むしろ貴方と話したおかげであの子がいない寂しさが随分紛れてるのよ。」と言う。
「私と、話して?」
不思議そうにユーリが聞き返した。ペトラは頷いて、「うん。今日、付き合ってくれてどうもありがとう。」とため息のように零す。
ユーリはなにも応えることが出来なかった。黙っていると、また目の前に一口大に切り取られたタルトが差し出される。
素直に唇を開けて迎え入れると、色濃い甘みが口の中に広がっていく。その様を一通り眺め終わったペトラは、自分もまた同じものを口の中に入れて微笑んだ。
「美味しいわよね。甘いものが好きで良かったわ。」
心から幸せそうにする年端のいかない先輩は、その従兄弟と同じように天使そっくりだとユーリは思った。
ふいに、ユーリは寂しいなあと思った。
けれど、辛くはなかった。
光が差し込む暖かな室内で、美味しいお菓子と優しい先輩を目の前にして…心地良い会話をしながら、誰かの死を心から寂しく思える。
そういう、人間らしい生活の中にいることがひどく幸せだった。
「やだ………。そんな、泣かないで頂戴。私まで……」
ユーリの頬を伝った一縷の涙の意味をペトラは間違えて捕らえているらしい。
けれどそれで良いと思った。彼がいなくて哀しいことだって嘘ではない、真実だから。
(泣かせちゃった……)
ユーリの涙はたった一筋だけに収まった。だが、ペトラはそうはいかないらしい。
白いハンカチに埋めた顔の端から覗く目尻や頬、耳が真っ赤になっている。
「………ごめんなさい、初めての壁外調査だった貴方の方がずっと怖い思いしたのに…」
「そんな…ペトラちゃんが謝ることじゃないですよ。」
「いいえ、ごめんなさい…。こんな、情けないわ。」
「じゃあ…ありがとう、って言ってください。そっちの方が私は嬉しいです。……。」
「…………うん。ありがとう………。」
ありがとう、ともう一度繰り返しては泣き続けるペトラへと気遣わしげな視線を送るウェイトレスから林檎のパイを受け取ると、ユーリはちょっといたずらっぽく笑いつつそれをフォークで切り取ってやる。
「さ、これとあともうひとつケーキが来ますよ。いい加減泣き止んで食べましょうよ。」
「別に泣いてないわよ………!涙を流して今食べた分のカロリーを消費しているだけなんだわ……!!」
「じゃあ折角消費したところに摂取するのは良くないですね。私が食べてあげますよ。」
「なによ、ユーリ君ってひどい意地悪よね!?」
「嘘です。睨まないで下さいよ?」
先ほどとは反対に、ユーリはペトラの顎の辺りに手を添えて林檎のパイを食べさせてやる。
未だ泣き止まないその姿が妙に笑いを唆る反面どこか美しく思えて、ユーリは気が付かれないように彼女をじっと見つめた。
室内に差し込む光の中に紅色が僅かに混ざってくる。
時刻は、少しずつ一日の終わりへと傾き始めていた。
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