◆言葉 1
「…………ふっしぎだなあー…………。」
ガスを吹かし、軽快に地面へと着地した少年は首をひねった。
少しの間を置いて、ユーリもまたその隣に着地する。
「なんか最近………飛ぶの、急に楽になったかも………」
「わーぉ。すごいよ、眠っていた才能が開花したんじゃない?」
ユーリはけらけらと笑って彼の肩を軽く叩く。少年は少し照れたように彼女のことを見るが、また不思議そうに首を捻って、手の内のブレードを眺めた。
「………まあ。壁外調査前だし、神経が研ぎすまされたんじゃないの。」
「もうちょっと早く……一年くらい前に研ぎすまされて欲しかったよ………」
完全に同期よりも出遅れてるし……と、少年はもの悲しそうに溜め息した。これからだよ、とユーリは励ますようにもう一度彼の肩を叩く。
「私と練習したからじゃない?」
良いお手本があると上達も早いからねえ……とユーリは笑顔のままで言う…が、彼に「そうだねえ、それもあると思うよ。」と実直に応えられてしまった為に少々面食らった表情になる。
「ユーリと練習できて、オレは毎日楽しかったよ。」
「…………。それは、良かった。」
ユーリは勤めて素っ気なさを装って返事をした。しかしそれは彼の意に介さないようで、無邪気にいつもの……天使のような笑顔を浮かべて、言葉を続ける。
「明日はいよいよ壁外調査だね。ユーリは初めてなんだよね……。」
「うん、そうだよ。」
「緊張しない?」
「まあ、人並みには……。君はどう。」
「オレは今朝からご飯がまるきり喉を通らないよ。」
「ふうん、それは大変だ。」
ユーリはブレードを鞘に収めながら言う。少年もそれに倣い、刃をあるべき場所へと仕舞った。
「オレはさ、両親共々調査兵だったからさ………正直落ちこぼれてたことが結構恥ずかしかったんだ。」
「ご両親も……。それは珍しいね。」
「うん、案の定親父は結構昔に壁外調査で死んじゃった。それを機に、ママはオレを育てることに専念する為に引退したんだ。」
「そう………。…………そっか。」
「ママには今、新しいパートナーがいるけど……それでも、オレの親父との思い出をすごく大切にしてる。オレが調査兵になるって言ったときも、泣きながらも沢山祝福してくれたからさ。」
そこで彼はもう一度微笑む。………ユーリはそれを見ないようにした。しながら………………この時が来てしまったか、と苦い気持ちになった。
「オレは自分の親父とママを尊敬しているよ。大人になったら、あんなふうに助け合って生きていきたいって思ってた。」
「…………………。」
「ねえユーリ。………オレは君を好きだよ。好きなんだけどさ……、君は、どうかな。」
「……………。私も、君が好きだよ。」
ユーリの呟くような回答に、少年の頬はまた薔薇色に色付く。その時に浮かべた笑顔は、ユーリが見てきたどんな人間の表情よりも美しかった。思わず、目を伏せてしまう。
――――ひと呼吸をした。そうして彼女は、ゆっくりと次の言葉を紡ぐ。
「でも……私は、私たちは、君のパパやママのようにはなれない。」
彼女が言ったことを、眼前の少年はよく理解できていないようだった。
ユーリは寂しそうに笑う。「ごめんね。」と続けて、彼の頬を撫でた。
「え……、そんな。なんで………」
呟くような、変声期を終えたばかりの掠れた声。
それを最後まで聞かずに、ユーリはその場からさっさと歩き出した。
「明日。壁外調査、頑張ろうね。」
振り返って、一言だけ言い残す。そうして決して立ち止まらずにそこから立ち去った。
…………少年は追いかけてこなかった。ただ、ユーリは突き刺さるような視線を背中に感じていた。
(熱い……)
視線が、熱かった。これが情念の成せる業なのかと。
そして、自分が将来こんな視線を誰かに向けることもあるのだろうかと考えた。
(いや、ないだろうな。)
小さい嗚咽が背中から聞こえる。
(さようなら)
(ごめんね)
ふたつの、まるで無力すぎる言葉を胸の中で繰り返し繰り返し、ユーリは歩き続けた。
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