道化の唄 | ナノ

 ◇お喋り 2


「ミケ、開けるよ。………ってあれ、ユーリだ。」

「んふふ、恥ずかしながら帰省いたしました。」

「早いね。クビになった?」

「ええ、無職になったので失業手当を下さい。」

「そういうことはエルヴィンに相談しなよ。」

「嫌ですよ。あの人怖いんですもん。」


ナナバの姿を認めると、ユーリはつまらない冗談を言いながらも嬉しそうに近寄っていく。

ナナバもまた傍にやってきた彼女を引き寄せ、肩を抱きながら再会を喜んだ。



「…………調子は、どう。雑に扱われたりしてない?」

「まあほどほどに雑に扱われてますよ。リヴァイさんの班ですし。」

「だろうねえ。リヴァイの班だし。」

「でも必ずお茶の時間があるのは良いですね。優しいおじさんですよ、リヴァイさんは。」

「おお、近頃の若者は言葉をオブラートに包まないね。怖い怖い」


そういうこと言っちゃ駄目だよ、と嗜めながらも、リヴァイをおじさんと言い切ったユーリの発言はナナバのツボにはまったらしい。

しかし、なんとか笑うまいと堪えているようである。いささか苦しそうな表情をしている。


「若いと言えば………。例の少年はどうだ。」


二人の仲睦まじい様子を見守りながら、書簡を読み終えたミケはそれを巻き取りながら尋ねた。

ナナバに後ろから抱きつかれた状態のユーリが「ああ、エレンのことですかね。」と応える。ミケは無言で頷いた。


「巨人化出来たのは本当に最近の……例のトロスト区での件が初めてだったみたいで、自分の能力ながらコントロールが上手く行かずに苦労してますよ。本人がよく分かってないので、私たちからすればまったくの未知の力と言えますかにぇ」


ユーリの注意がミケの方へと向いてしまったのが少し寂しかったのか、ナナバは彼女の肩に顎をのせつつその頬を軽く引っ張った。

故にその語尾がいささか不自然になる。しかしミケはとくにそれを気にせずに、「そうか」とだけ簡潔に応えた。

ミケが口を閉ざしたので、室内は暫時沈黙する。

ナナバはその間にもユーリの頬の辺りをなんとはなしに弄って遊んでいたが、やがて思い当たったように口を開いた。



「…………違うよユーリ。ミケが本当に聞きたいのはさ、その子が格好良いのか、ユーリが好きになっちゃわないか、ってことだよ。」

「ええ、なに言ってるんですかナナバさん。私が世界一格好良いと思うのはいつでもナナバさんですよ。」

「あらやだこの子かわいいね」


ナナバの発言に対して、ユーリはまったく持っていつものペースを崩さなかったが、ミケは大いに動揺したようである。心無しか書簡を持っていた指先に力が入るのか、紙に皺がよっていた。

………最も、彼は普段より非常に感情が読み取りにくい人間なので、その変化に気が付いたのは付き合いの長いナナバのみであったが。


「ねえ………ユーリ。ところでミケのことは格好良いと思う?」


同僚の穏やかならない姿は、ナナバのいたずら心にちょっとの火を灯したらしい。にっこりと美しい笑みを描きながら、ナナバはユーリの耳元で尋ねた。

………ミケは相変わらず黙っていたが、書簡に刻まれた皺は明らかに先ほどよりも深くなっている。

ナナバの質問を受けて、ユーリはミケの方を見た。少しの間二人は見つめ合う。やがて、その分厚い前髪の隙間から、彼女が緩やかに目を細めるさまが覗く。

それは、ミケが好きな瞬間だった。まるで胡散臭いいつもの笑みと違って、この時だけは素直で年相応な表情を垣間見ることが出来る。


「ええ、勿論。ミケさんほど素敵な人は中々いませんよ。」


ユーリはほんの少し頬を染めて答えた。

それを聞いたミケは……少しの間惚けたままでいたが、やがて曖昧に微笑み、「そうか」とまた簡潔に一言零す。

こういう時にどういう反応をしてやれば良いのか分からないのを、少しもどかしく思いながら。


ユーリの隣では、ナナバが楽しそうにその様子を眺めていた。

そうして、自分の腕の中の後輩の身体を今一度抱き寄せてみた。「うまくやれてるようで安心したよ。」と、笑顔で。


「ええ、皆本当に良い人ばっかりなんですよ。それに私、なにより嬉しかったのが……やっと後輩が出来たことで。」

「そっか……。ユーリは兵士としては結構長いこと一番下だったからね。年はオルオたちよりも少し上なのに。」

「なんだかドキドキするんですよ。エレンにとって、良い先輩になれたらなって思うんですけれど。」


ナナバと話しているときのユーリは、いつもに比べて随分少女らしくなる。

………気を許しているのだろうな、とミケは胸の内で呟く。そうして、二人の気兼ねない関係を少し羨ましく思った。



「へえなに、ユーリ。やっぱり結構エレンのこと気に入ってるの?」

「んふふ、どうでしょうね。でも………私もここに初めて来たときに、ミケさんやナナバさんが優しくしてくれたのがすごく嬉しかったんです。だから私も、おんなじことが出来たらなあ………って。」


ユーリは少しはにかみながら言った。

ナナバはそれがひどく嬉しかったらしい。先ほどよりも少し力をこめて彼女を抱き直した。ユーリは苦しいですよ、と言うが嫌ではないらしい。恥ずかしそうにしつつも幸せそうに笑っている。


「もうユーリ………!リヴァイのとこなんてやめて早く私のところに来なよ……!」

「いや………。リヴァイのところをやめたらユーリはうちに戻る。元通りになるだけだ。」


ぎゅうぎゅうとくっついている二人を、ミケが良い加減に引き離す。

多少むっつりとしているその声色がおかしかったのか、ナナバは小さく声をあげて笑った。



「んふふ、精々今の内にリヴァイさんのところで稼がせてもらいますよ。いずれ紙幣に私の顔が刷られるようになるのを楽しみにしていて下さい。」

「………すごい野望持ってるね………。」


ユーリは今一度、ナナバを軽く抱擁して愛情を現した。……次にミケの傍までやってきて、握手を交わす。流石に抱擁は遠慮されたのだろうが……

だがこの時、ミケは唐突に眼前の女を胸の内に抱き寄せたくなった。強く抱いて、その首筋の匂いで身体を満たしたいと思った。勿論思うだけで、行動には移さなかったが。



「じゃあ……そろそろ戻らないと減給されるので、行きますね。」


名残惜しそうにしながらも、ユーリは尊敬する二人の上司へと軽く敬礼した。


「相変わらず銭ゲバいね………。もう随分貯めてるのにそれ以上集めて、どうするの。」

「んふふ、お金は私の数少ない友達なんですよ。なんと言っても彼らは私を裏切りませんから。」


彼女はにこりと笑って部屋を後にした。

残された二人は、少しの間ユーリが消えて行った扉を眺める。

窓の外で百舌鳥が鳴いていた。………つい最近まで温かかったのに、もう秋の鳥の声がする。季節は少しずつではあるが確実に移り変わっているようであった。


「……………あんなこと言ってるよ、ミケ。」


暫時して、ナナバが溜め息まじりに言う。ミケは無言で頷いた。


「私たちだって、ユーリのこと裏切らないのにね。」


ナナバの声色は不服というよりは、少しの哀惜を感じさせた。

ミケは、ただ………且つてユーリを抱きしめた、本当に数少ない経験に思いを馳せた。

不思議だった。こんなにも年の隔たった少女を何故……と考えた。


「愛情というものが分からないんだろうな。」


ミケは静かに零した。握ったままだった皺だらけの書簡を机の上に置く。

また、百舌鳥の声が遠くからする。もの悲しい季節のはじまりを告げるように。


「可哀想な人間だよ………」


ミケの呟きに、ナナバはそっと目を伏せた。窓の外の枝が風に煽られて揺れると、ざわりと音を立てて葉が波打つ。その葉も、徐々に秋色に染まりつつあった。







「へー…………。」


夕食後の落ち着いた雰囲気の中………古城にて、エレンはさくさくと編み目正しく進められるユーリの作業を眺めて声を上げた。


「ユーリさんって手先器用なんですね。こういうの得意なんですか。」

「んふふ。こういうのが得意なんじゃないよ、私はなんでも得意なの。」

「ちょっとは謙遜しろよ………。」


向かいで紅茶を飲んでたリヴァイが非常に呆れたように零した。

ユーリはんふふ、と笑うのみである。


「今度はなに作ってるの?またぬいぐるみ?」


彼女の隣に腰掛けていたペトラが尋ねた。ユーリは含み笑いをしながら編みかけの毛糸を、エレンの顔の傍に近付ける。彼は不思議そうな表情をして山吹色の毛糸を眺めた。


「これさ、エレンの瞳と同じ色なんだよね。」

「はあ………。そうですね。」

「もうすぐ寒くなるからさ、エレンにマフラーでもどうかなって思ってね。」

「「「「「「えっ?」」」」」」


ユーリの発言に、その場にいたリヴァイ班全員が声をあげた。しかし彼女は気にせずに作業に専念する。更には「風邪引いたら大変ですからね。皆の分も作りますよ」と続けた。


「「「「「「えっ!?」」」」」」


再び全員が声をあげる。グンタがエルドと顔を見合わせながら、「これ本当にユーリか……?」と呟いた。


「安心して下さい、私こそが皆さんが大好きなユーリですよ。」

「お前なに言ってんだ………?」

「ユーリが人の為になにかするとかないだろ………なにが狙いだよ」

「私お金は払えないわよ?」


皆口々にありのままの心象を口走る。

ユーリはようやく顔を上げて、困惑の表情を浮かべた面々を眺めながら溜め息をする。


「ねえオルオ君、私ってもしかして信用されてません?」

「なに今更なこと聞いてるんだ?」


オルオのあんまりな応えに、ユーリは大袈裟に肩をすくめて首を左右にゆるく振った。


「私はお金と同じくらい皆のこと信じてるし愛してるんですけどねえ。」


そう言うユーリの表情は楽しげである。ランプの色濃い光が、その金色の髪を淡く光らせていた。

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