道化の唄 | ナノ

 ◇焦燥


「お疲れさん。」


声をかけると、ユーリは書類へと落としていた視線を上げては暫しハンジの顔をじっと眺めた。

それからゆっくりと笑い、「………どうも。」と穏やかな声で応える。


(……………………。)


ハンジはそっと目を細めて口を噤む。

ユーリは、いつからこんなに大人っぽい表情をするようになったのだろうと思った。


ハンジの中にある彼女の印象は、今時の若者特有の騒々しさと落ち着きのなさを一緒くたにしたようなものだった。

仕様が無いなあと呆れつつもハンジはそんなユーリのことが嫌いでは無かった。

ついつい辛気臭くなってしまいがちなこの兵団の中で、彼女の底抜けの明るさに少しの気休めをもらっていたのかもしれない。


「夕飯に姿が見えないから心配したよ。ちゃんと食べてる?」


そう言って、持ち出したパンを二つ布で包んだものを渡す。

ユーリは苦笑しては「助かります、ついつい忘れてました。」とそれを受け取った。


「来てくれたついでみたいにしちゃって申し訳ないんですけれど、書類出来たんでハンジさんの班に回すものだけ渡させてもらいますね。」

パンと引き換えに書類がハンジの手元に収まる。

昔よりも、随分と丁寧に書面が形となっていた。ハンジもまた苦い笑いを浮かべながら「嘘、これユーリが書いたの?」と尋ねる。


「ヤダ、何ですその質問。」

「いや………。字、綺麗になったね。前は左右反転してるのとかあって目も当てられなかったけれど。」

「地下街で育ったもんでろくな学歴も無しですからねえ…ここに来るまでまともに文字書いたことなかったんですよ。」

「あー、そう言えばユーリは地下街出身か…。どこにでもいるコギャル風なのにロクでも無い場所から来たんだねえ。」

「うはは、コギャル!!」


ユーリはハンジが持ってきたパンを食べながら明るい声で笑った。

そこでようやくハンジはホッとしたような気分になる。………どうにも最近の彼女はらしくなかった。まるで大人みたいにユーリが落ち着いてしまうなんて、至極つまらないと思ったから。


「私はユーリとリヴァイくらいしか地下街出身の人間に会ったことないけどさ…二人ともヤンキーっぽいこと意外そんな共通点ないよね。リヴァイは文字ちゃんと書けるし。」

「私みたいなバカでどうしようもない人間のが大半ですよ。リヴァイさんみたいに何でもこなせる人は相当特殊な部類です。」

「ふーん…元ゴロツキなのにねえ……。」

「良い仲間とツルんでたんじゃないですか?それかちゃんと教育してくれる人がいたとか。」

「ユーリもゴロツいてたの?」

「それはもう……ゴロゴロでしたねえ。」

「ゴロゴロ!!」


今度はハンジが腹を抱えて爆笑した。それにつられるようにユーリも声を上げて笑う。

ハンジはユーリの肩の辺りに触れながら、「やだ、もう……。」と収まらない笑いをこらえるようにする。

彼女は自分に触れてきたハンジの掌を握りながら、「なんですハンジさん。今夜は随分質問責めですね?」とおかしそうに呟いた。


………いつも兵士ともあろうに紅を引いて手入れにぬかりなかったユーリの唇に、今は化粧の気配は無かった。

彼女ありのままの淡白な色がにっこりとした弧を描いている。



「リヴァイもだけれど…君らって全然自分のこと喋んないから。気になった。」

「そうですか。」

「毎度人が死ぬたびに思うけれど…その人のこと、何にも知らないままで別れるのは私はやっぱ嫌だよ……。」


ハンジは顔にかかる自分の前髪を掌でかきあげながら呟く。

ユーリはその様子をじっと見上げながら、少し掌を握ってくる力を強くしてくれた。


「すみません………。私、この兵団に入ってから初めて友達が出来たんです。だからあんまり人と親密な関係になることに慣れてなくて………。」


少し俯いて言葉を紡ぐユーリの長い前髪を、そっと耳にかけてやろうとハンジは空いている方の手を伸ばす。

彼女はそれをやんわりと防ぐように首を横に振る。「すみません、」と謝罪をまた付け加えて。


「………別に隠してるつもりはないんです。ただ、腹を割るにしてもどこまで言ったら良いか分からないもんで……。」

でも、ハンジさんが聞きたいなら出来る限り話しますよ。


拒否された掌で、ハンジはユーリの金色の髪を撫でた。

彼女はそれが嬉しかったようで表情を柔らかにする。その様子を眺めながら、ハンジはその行為を繰り返した。

その時に、自分は今…少し寂しくて不安なんだなあと思った。だから自分の班ではなく、何かと話しやすいユーリの身体を気遣うフリをして慰めてもらおうとしている。

直属の部下やリヴァイやエルヴィンなどの同僚はダメだった。自分にも分隊長という肩書きと立場があって、それに責任を持たなくてはいけなかったから。


「私も無理に聞こうとは思わないよ。でも、そう言ってくれるんなら教えて……。」


彼女の耳に開いた穴を貫く銀色の装飾を指先で触りながら呟くと、ユーリは微笑して「良いですよ。」と応えた。


「私はね、物心ついた時から悪趣味なサーカスにいました。そこで信じられないくらい下品な見世物の踊り子をやってたんですよ。」

「下品……例えば?」

「ハンジさんの想像したことは大体やってますよ。」


ユーリはハンジの掌を握っていた力をそっと緩めて、離す。しかし完全に離れる前に、今度はハンジからそこを握り直してやった。

彼女は改めて繋がった二人の手をじっと見下ろしながら、「ヒきました?」と呟く。


「ううん、引いてない。」

「……だろうと思った。ハンジさんがそういう人だから、私も話せたんですよ。」

「うん引かないからさ、その下品な見世物とやらの内容をもうちょっと詳しく。」

「うはは、今度お酒でも入れた時に話しましょう。ハンジさんとならあんなことも笑い話に出来そうな気がするし……。」

「えー私は今聞きたい。」

「まっ、せっかちさん。」


でも、お預けです。とユーリは明るい口調で言いながら、ハンジの額を開いている方の指で軽く突いた。

ハンジもまたそれを甘受しながら、「じゃあ、他のことなら聞いて良い?」と尋ねる。


「良いですよ。これからも私なんかのことで聞きたいことがあったら、いつでも言ってくださいね。」


彼女の快諾を聞いてハンジは今一度目を細めた。

…そう言えば、ナナバはある一時から寝ても覚めてもしきりにユーリが可愛いだの何だのと言っていた気がする。あの時は変わった趣味してる、と聞き流していたけれど、孤独なナナバはこうやって邪気なく甘えてもらえるのが嬉しくて仕様がなかったのだろう。


「ユーリ。」

「はーい、なんでしょ。」

「ミケのこと、今でも好き?」


ハンジの質問に、ユーリの顔から笑顔の気配が静かに消え去っていく。

しかし少しの沈黙の後、彼女はまたゆっくりと唇に弧を描く。


「…………………。知ってました?」

「なんとなく……。だから、カマかけてみた。………ごめん。」

「全然…謝らないでください。」


彼女はそっと溜め息を吐いてから、小さな声で笑った。

そうしてハンジの方へと向き直る。


「ハンジさん……。知ってたのに、私の話聞いてヒかないでいてくれたんですね。」


ありがとうございます。



ユーリはハンジへと礼を述べてから、部屋に広がる薄暗がりへとそっと視線を向けた。

前髪が作る色濃い影の奥で、青い瞳が静かな熱を宿しているのがよく分かる。


言葉なんかいらなかった。

答えはその瞳が雄弁すぎるほどに語っていたから。



あんな視線を毎日、ミケは彼女から受け取っていたのかと思うとゾッとした。

ミケは?……ミケはどうだったのだろうか。彼だって大人だ。ユーリと知り合う前に恋人の一人や二人がいたことはハンジだって知っていた。だがどれもユーリのようなタイプでは無かったし…年齢だって離れすぎていると思う。



『ミケ、廃屋なんか眺めて何ぼーっとしてんの。』

『ん…。あれは廃屋なのか。』

『見りゃ分かるでしょ……。多分元厩だね。何か気になることがあった?』

『廃屋なら…安いのか。』

『何が。』

『買うとしたら。』

『は?なに、あんなん買ってどーするの!』

『造りがしっかりしている。直せば住めるだろうと…。』

『廃墟に住むの!?何何何、どーいう風の吹き回し!!!こんなところ一人で住んでも寂しいだけだよ????』

『いや…一人で住むつもりは無いが……。』

『それなら誰と!廃墟の幽霊とでも同居するの!??』



あの時ミケは自分との会話が面倒臭くなったのか黙り込んでしまったが…もしかしたら、と思う。

そのことを、ユーリには話したのだろうか。………話していないだろう。それから少しもしないで人類最悪の日が更新されることになってしまったから。


それでも私は嬉しかった。

ユーリには悪いけれど、彼女にはずっとミケだけを一番に想っていて欲しいと思う。他の人間と新しい幸せなんか見つけて欲しく無い。

だって…そうやって、ユーリがミケに呪われている間は彼がここに存在していたことを私もずっと覚えていられる。

大切な仲間が、確かに生きてくれていたことを。







執務室を後にすると、扉の前でばったりとジャンに出くわす。

ハンジは瞬きをパチパチと数回してから、「どうしたの?」と彼へと質問をした。


「いや……、ちょっと。装置のことでユーリ…さんに聞きたい事があって。執務室そこ、いますか?」

何故か彼は気まずそうに視線を逸らしながら応える。ハンジは少し訝しく思いながらも、なんだか微笑ましくて少しだけ笑った。


「…………そっか。ユーリは装置の扱い方うまいもんね。君らの指導役でもあるし。」


さっきまで、ユーリには弁えた大人になんかなって欲しくないと思っていた。

いつまでも甘ったれて世間知らずの新入りでいて欲しかった。それが何よりの平和の証だと感じる事が出来たからだ。

けれど運命は激しく流転して、世間の流れもまた絶え間無い。あの我儘でマイペースな人間も、頼りにされる先輩兵士へと成長していかざるを得ないのだ。自分がそうであったように。


「いや、俺はうまいかどうかは知らないですけれど。」

「ああ……。まだユーリの立体起動見たことない?それなら安心して良いよ。どこで習ったのか知らないけれど、調査兵になった当初からそこいらのベテランよりも装置の扱いがうまかったから。」

「……………。それ、本当ですか?」

「ああ、笑っちゃうよねー…。なんとあだ名も天才≠セった。いつ聞いても爆笑だよ、あのコギャルが天才だってねえ。」


あはは、とハンジは声を上げて笑った。

しかしジャンは笑わない。それどころか、なにやら深刻そうな表情をしては黙りこくる。


「ん?どうしたの。」

「いや……。なんていうか…………。ズルいって言うと…言い方があれですけれど。」


どこかイラついたように、彼は自分の髪をかきあげた。短い灰色の髪が少しもつれて形を崩す。


「すいません。俺、ちょっと焦ってるんです。でも…正直、ユーリさんは俺たちの上官に相応しくないと思います。……態度も軽薄だし、苦労もせずに装置の扱いを体得した人の指導なんて受ける気にはなれません。」


ジャンがハンジの方、ひいてはその身体の奥の執務室の扉へと鋭い視線を向けるのを眺めて…ハンジはひとつ息を吐いた。

それから、「そうかな……。」とゆっくりと彼の疑問と苛立ちに応える。


「指導する人間と享受する人間同士の相性ってのは大事だから。私には一概にどうとは言えないけれど……少なくとも、ユーリは軽薄では無いとだけは言い切れるよ。」


ハンジは少し目を伏せてから、ジャンの身体の脇を通り抜けては暗闇が落ち込む廊下へと歩を進めた。


「私は、あんなに一途な子は滅多にいないと思う。」


今一度ジャンの方へと振り向き、自分の願望を口にした。「そこにユーリ、いるから。後は直接本人に言ったら?」と執務室を視線で示しながら、続けて。


「それに苦労してない人間なんてこの世にはいないよ。君だって、よく分かるだろう?」







「ねえ、エルヴィン。やっぱり私はユーリを分隊長に推薦するよ。」



その足で向かった、自分たちの兵団の長が身体を休める部屋。

エルヴィンは最初は笑って迎えてくれたが、ハンジがその話を持ち出した途端またかと言うようにうんざりとした表情になる。

どちらかと言うと融通が聞く方の彼が、何故こうも頑ななのかハンジは正直理解に苦しんだ。


「……………。今までのやり方じゃ犠牲を増やすだけだよ。私たちも変わっていく必要がある。」

「お前らしい意見だな。」

「そう。エルヴィンはいつも私のやり方を尊重してくれたね。私の話をまともに聞いてくれたのは君が初めてだったから。……すごく感謝してるよ。」

「…………そうか。」

「巨人に対する姿勢だけじゃないよ、兵団内外の人間に関する姿勢だ。」

「それを…ユーリを分隊長に据えることによってどう言う風に変えていくんだ。」

「なにも具体的な話じゃない。……角度を変えて考えるだけだよ……。」


エルヴィンが半身を起こしていたベッドの横の椅子に腰掛けては、幾分かやつれた彼の顔を覗き込む。

皮膚色は蒼白ながらも、瞳の色は鮮烈に青だった。

……ユーリの瞳の色に似てるな、と不意に思う。今まで彼ら二人が話してくれるところは見たことがなかったが、まともに会話してみれば意外と似た者同士で意気投合したりするのかもしれない。


「繋がりなんてさあ…脆いもんだけど。でもやっぱりそれが無きゃどんな人間も生きていけないんだよ。ユーリならきっと、そのことをよく理解して新人をまとめられると思う。」

「ユーリが?本当にそう思うのか。」

「マジもマジだよ。………私たちはさ、ホラ…なんて言うか……それなりに大人になっちゃって、どこかスレてるところがあるじゃん。でも彼女はそう言うとこがすごく少ない。ピュアなんだ。」

「ピュア!?!?」

ユーリが!??と付け加えて、エルヴィンは信じられないと言う風な表情でハンジのことを見つめ返す。

その表情は普段の彼のイメージからかけ離れては間抜けで、思わずハンジは盛大に爆笑した。それが不本意だったのか、エルヴィンはなんとも言えず渋い顔をする。


「………まあ。ユーリのことは置いておいて。今更愛や絆を大事にしろと?このご時世に。」

「はあ?このご時世に愛や絆も大事に出来ないのかよ。寂しい男だなあ。」

「……………………。」



エルヴィンは草臥れたように再び身体をベッドへと預ける。

未だに笑いが収まらないハンジはそれをどうにか抑えつつも「ごめん、言いすぎた?」と言ってはその身体に毛布をかけ直してやった。

彼はそれに礼を述べつつ、ハンジの言葉に「いや……」と一応の応対をする。


エルヴィンは残された方の掌で目元を軽く覆った。それから、少し掠れた声で「………すまない。正直、俺にはそこら辺がよく分からない…。」と呟くように溢す。

ハンジは黙ってそれを聞いていた。


「だが……俺はお前のことを信用しているし、判断を尊重したいと思う。」

「…………ありがとう。エルヴィンはいつもそうだよね、私たちのことを大事してくれる。」

「…………………。」

「でもさ、どうしてユーリにはそんなに距離を置くの?彼女の方も勿論それに気が付いてるよ、この前めっちゃイラつきながらエルヴィンのこと金髪横分けクソオヤジって悪口言ってたし。」

「…………………………………………………。」

「もしかしてユーリの過去を知ってる?………そうでしょ?でも私から弁明させてよ、ユーリはきっと仕方なくやってただけだから。そりゃ褒められたことじゃないけれど……!!」


ハンジは沈黙するエルヴィンへと意固地になって弁明する。彼の目元は相変わらずその大きな掌で覆われている為に表情は伺えなかったが。


「あっ…あとそうだ。ユーリは兵団に入ってミケにすごく大切にしてもらってたじゃない。それで随分まともになったように思うよ、それにねえ…聞いてよ。ユーリはミケのことが大好きだったんだよ、勿論恋愛感情的な意味で。」


その時にエルヴィンの指先が微かに動いて反応したことに、ハンジは気がつかなった。

兵団の長とユーリの血の繋がりなど知る由もなかったし、その関係の歪さだって預かり知る訳がない。


「ユーリは今でもミケのことがすごく好きだし……ちゃんと愛情がどう言うものか分かったんだ、きっともう絶対に間違えない。それにね、ミケの方も相当真剣にユーリのことが好きだったと思う。だってユーリと一緒に住む家を探してたんだよ?多分結婚を考えてたんじゃないかなあ。」

「ハンジ。」


なんだか楽しくなってきて次々と喋っていたハンジの言葉を、エルヴィンの低い声が遮った。

ハンジは口を噤み、今一度エルヴィンのことを見下ろす。


「……………………。ユーリを、分隊長に任命しよう。」

「えっ?」


あまりにも唐突に自分の要求が飲まれるので、ハンジは頓狂な声を上げる。

エルヴィンはゆっくりと掌を目元から離し、溜息を吐いた。


「意固地になる理由も特に無かったな……。奴の実力は俺もよく分かっている。」


彼はハンジに語りかけると言うよりは、独り言のように言葉を紡ぐ。

言いようのない胸騒ぎを覚え、ハンジは固唾を飲んだ。


「…………俺が、流されなければ良いだけだ。愛や絆なんぞにほだされるつもりは無い。」


静かにそう呟いた彼の瞳の青はやはり鮮烈で、青白い火花を散らしたようにひどく眩しかった。

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