◇理由 2
芋を繋ぎに使用した、簡単な小麦の練り物をラグーソースで和えたものが出来上がった。
誰もいないだだっ広い食堂、一番隅のテーブルに鈍い光を放つ蝋燭が一本。リヴァイは自分の前とテーブルを挟んだその向かいに置かれた白い皿の上で、湯気と微かなメルロの匂いを漂わすささやかな夕餉に視線を落とした。
…………ユーリは、いない。
食事が出来た直後に、すぐに戻るから先に食べていて下さい、と言って何処かに消えてしまったのだ。
正直リヴァイは結構な空腹を抱えていたが、それには従わずに…何と無く、不遜な態度ばかりが目立つ部下の帰りを待ってやった。
ほどなくしてユーリが戻ってくる。「遅い」と一喝すれば、彼女は肩をすくめて「先に食べてて良いって言ったのに…」と呟いた。
「でも今夜は夕飯誘ってもらえて嬉しかったですよ。私もリヴァイさんに渡したいものがあったんで。」
そう言ってユーリは「ホラ、」と手元のものを広げてみせた。
「覚えてます?私がね、皆にマフラー編んであげるって約束したのを。」
胡桃色の彩度の低いマフラーへと、リヴァイは目を細めては視線を寄越した。
中空でユラユラと揺れている編目は規則正しく並んでいた。その静かな手芸を眺めていると、リヴァイの脳裏には何とは無しにエルヴィンの言葉が思い出される。
『あれは……あいつは、手先が器用だな…。』「結局…あの時あそこにいた人はほとんどいなくなっちゃったんでね。エレンとリヴァイさんにしか行き渡りませんでしたねえ。」
そう言ってユーリは手際よく渋い色のマフラーを畳み、「良ければどうぞ。」とリヴァイへと渡す。
彼はそれを無言で受け取り、テーブルの脇に置いた。
「いただきましょうか。お腹減りましたよね…。」
ユーリはそれを見届けてから、穏やかな表情でそう零した。
簡単な夕飯をスプーンで口に運び始めた彼女へと、リヴァイは「まだ…余っているのか。」と声をかけた。
どうやら言葉足らずだったようで彼女はやや訝しげな表情を上官へと向けてくる。
リヴァイもまたユーリと共にこさえた夕飯を口へと運びながら「材料」と付け足した。視線で机上のマフラーを示しながら。
「ええ、まあ。」
「それなら新入りの…新しい俺の班の連中にも作ってやれ。」
広い食堂には二人しかいなかったので、食器が触れ合う音などがいやによく響いた。
ユーリは彼の言葉を吟味するようにしてから「良いですよ、手芸好きですし。」と快諾する。
「次は…お前があいつらにとってただ一人の指導役だ。……てめえ自身の部下になるんだよ、大切にしろ。」
「アハ、格好良いですねえ。そして毎度私のことご贔屓にしてくれてどうもありがとうございます。」
「茶化すなよ…。別にてめえを贔屓した覚えはねえ。」
「そうですか、確かに団長も言ってましたからねえ……残念なことに役割を任す選択肢がもう、こんなのしか残ってないって。」
そう言ってユーリは、トンと自分の胸の辺りを親指で指した。
リヴァイはその様子を眺めながら眉を顰める。そのままで「卑屈なことを言うな、気分が悪い。」と憮然として呟いた。
勿論のこと贔屓をしているつもりはリヴァイには無かった。出自が劇場であること、入団前にエルヴィンから直に指導を受けていたことが相待って彼女は立体機動の扱い方が非常に優れていた。
しかし……自分が彼女を引き抜いて新人達の指導役に置いたことに、他にも理由があると言えばあるのだ。
ユーリはそれを聞いてセンチメンタルだと笑うだろうか。そのキャラクターから考察するとその可能性は高い。だが、リヴァイは彼女の性質が何もそれだけでは無いと充分に承知していた。
「前回も…今回も、俺はお前が適任だと思ったから自分の班に入れた。」
「ああ、ドブ臭い人間が傍にいるとやりやすいんでしたっけ。」
「そうだな。それもある。」
「それ以外もあるってことです?」
「…………俺が知っている中で、お前が一番他人の重過ぎる部分に立ち入らず…それでいてうまいこと立ち回れる人間だと思ったからだ。硝子細工みてえなクソメンタルの
新人共には丁度良い。」
ユーリは予想通りに笑っては、自分の腕の辺りに鼻を寄せて、スン、と匂いを嗅ぐ仕草をしてみせる。そして「良かった、ドブ臭さだけを買われて抜擢されたんなら断ろうと思ってたんですよぉ、」とへラリとした表情で言った。
そうして「リヴァイさんはやっぱ……すごく良いですね。」としみじみ呟く。
「貴方ってほんと人のこと大切にする。でもね、期待してくれてるとこ悪いですけど…私はそんなにうまく立ち回れる方じゃないですよ。」
ユーリはいつの間にか空になっていたリヴァイのコップへとカラフから水を注いでやった。
鈍い蝋燭の灯りが注がれる水に反射して、銀色の泡がガラスのコップの中で細かく光る。
「でもリヴァイさんは…私に初めてちゃんと向き合ってくれた大人でしょ。直属の上司だったミケさんですら私のこと、最初は警戒して避けてた。」
彼女は何かを懐かしむように、自分の頬の辺りへと指を這わす。
……もうすでにその目元は長い前髪によって隠されていたので、ユーリの表情を伺い知ることは難しかった。
「だからリヴァイさんが私の
そう言うとこを買ってくれるんなら、精一杯に応えたいって思いますよ……。」
そう言ってユーリは口元に緩やかな弧を描いた。白い歯が赤い唇から覗いた。
それを眺めながら、リヴァイは(そういえば、こいつの出身は9区だったな)と思い出す。
リヴァイは彼女と同じく地下街の出自だが、正真正銘の吹き溜まりである
第9区に立ち入ったことは無かった。
「私が、リヴァイさんや新人の子たちの為に何か出来ることがあったら言って下さいね。………出来ることならなんでもしますし…したい…。うん、やりたいですね。」
ユーリが楽しげな声色で喋る度に、真っ赤な舌が微かに覗いて見える。
髪の色、そして唇。サイケデリックで強く毒々しい色彩の持ち主だとリヴァイは常々思っていた。
だが紡がれる言葉も所作も取り巻く空気も穏やかなのは何故だろう。
これは嘗て初めて会った時…そして自分の班に引き抜いた時により強く思ったことだが…何回かの修羅場を潜って彼女はその雰囲気を更に柔らかくしていた。
「……………。雨、また降り出しちゃいましたね。」
薄暗い蝋燭の灯りだけが頼りの深い色をした暗闇に、微かな雨の音が響く。
ユーリは御影のように真っ黒な窓ガラスを眺めながら、「良いもんですよね、空があるって。」と同意を求めるように呟いた。
「意外だよな。」
リヴァイはそれには応えずに、ただ一言呟いた。ユーリは「なにが?」と気の抜けたような反応をする。
「予想外にお前は面倒見が良い。」
なんだ、年下が趣味なのか。とリヴァイは呟く。彼女は「まっさか、」と大袈裟な反応をした。
「残念ですが私は成熟した
優しい大人の男性が好みですので。勘違いしないで下さいよ、誤解されたら私また団長に怒られちゃう。」
あっはっは、とユーリは快活に笑った。そして「ああ、リヴァイさんも優しいんで大好きですよ。愛してます。」とふざけた調子で言う。リヴァイはそれを適当に流した。
「でもね、あの子たちは友達に裏切られて…それ以外にも沢山辛いことを経験して苦しんでますよね。私は彼らに人間なんてそんなもんだって絶望して欲しくないんですよぉ。」
金色に光る彼女の前髪の内側、色濃い影の中で青い瞳が優しく細い形になる。
リヴァイは空になった皿の上に使用していたスプーンを置く。カチリと金属の音が鳴った。
手を伸ばして、テーブルの上に乗っていたユーリの掌を取る。そうしてその甲に伸びていた目立つ傷痕を指先でなぞった。
既に塞がれて久しいものらしいが、痕の周囲の肉がへんに盛り上がり傷付けられた場所が溝となってしまっている。………適切な処置をされなかったのか、治療して治りかけた傷口を無理やりこじ開ける、その行為が繰り返されたのか。
見彼女の甲に浮き上がる痕を隠すように覆う。ユーリは不思議そうな表情で上官のその行為を見守っていた。
「…………何故あんな場所にいた。」
そして簡潔に質問をする。ユーリは間を置かず、同じように簡単に「忘れちゃいましたよ。」と答えた。「だってすごく昔ですもん、」と肩を竦めて。
「まあ……でも、結局はチープな偽物の優しさに騙された結果行き着いたのがあの場所だった気がしますね。リヴァイさんも地下にいたならお分かりになると思いますが…。皆自分が生きる為に精一杯なんです。とても正しく、強く生きることなんて出来なかった。………でもね、」
ユーリは自分の手の甲の上、握らずに触れるに留まっていたリヴァイの掌を空いていた方の手で挟み込むように握る。
「それだけじゃない、人間はそれだけじゃないって……。きっと…そう…、私は信じてますから……。」
私の身体に触ってくれて、ありがとう。
呟くように言って、ユーリはリヴァイの手から掌を離す。
雨足が強くなってきたようで、薄暗い室内には湿気と雨音が滑るように侵入してくる。昏く、静かな夜だった。
*
「ハァー、お腹減ったぁ。その空の皿舐めても良い?」
飢えと渇きと寝不足でどうにかなりそうなハンジが、ユーリとリヴァイが丁度夕食を終えようとしていた食堂に入ってきた。
そして二人の皿を見下ろして言った台詞がこれである。ユーリは爆笑しながら、「いや、まだあるんでそっちをいくらでもどうぞ。」とグロッキーな上官に自分の隣の席を薦めた。
「どしたのコレ。リヴァイが作ったの?」
「ああ、そうだ。」
「いーや嘘吐くなよ、リヴァイに限ってそんな筈はないね。……ユーリが作ったの?」
「二人でですよ。リヴァイさんがタマネギ以外は切ってくれたんで、ホラ。切り口が美しい!」
「煮込まれてるからよく分かんないよ。とりあえず死にそうだから早く食べさせて…」
ハンジはこの二人は意外と仲良いんだなあとぼんやりと考えながら溜め息を吐く。
それから「やっぱダメだったよぉ。エルヴィンの奴、なんか許可を渋るんだよね、」と掌で頭をガシガシとかきながら唸る。
「こんだけ仕事が多くて人が少ないんだから、私としては一刻も早くって言ってるんだけど。リヴァイも一緒に頼んでくれない?」
「その件なら俺の方からもう進言済みだ。」
「それでもダメかあ。なんだぃ、あの分からず屋。」
「なんです、団長の悪口ですかあ?もっと聞かせてくださいよ!」
アハハとユーリは笑い、温め直したラグーソースをパスタの上にのせてハンジへと提供する。
それを受け取りコップに注いでもらった水を一気飲みすると、ハンジは「いやユーリ。君も他人事みたいな反応してる場合じゃないんだよ。」と部下へと向き直る。
当たり前だが彼女は何のことだか分からないらしく、黙って上官の話の続きを待った。ハンジは供された食物をほとんど飲み込むように食べながら、「あのね、」と話を切り出す。
「私は…私たちはね、ユーリを分隊長に推薦したんだよ。」
「………………。」
ハンジの発言を聞いて、ユーリは何かを考えるように暫時黙り込んだ。蝋燭の光が燃え尽きる間近なのか急に強くなり、彼女の顔を覆う前髪が作り出す影をより色濃くする。
「今だから言うけれど、私はもっと前からそのことを彼に伝えてたんだ…。反対する理由なんて特に見当たらないのに、何でエルヴィンは許可を下ろさないかなあ。」
ハンジは首を傾げては呟く。リヴァイに同意を求めるようにすれば、彼は少し目を伏せて緩く頭を振った。
「…私、入団してそんなに日付が経ってるワケでも無いですし。やっぱり任すには心許ないって団長はお考えじゃないんですか。」
「まあ確かにユーリは自分勝手だから指揮役って感じでも無いけれど。…………でも私は、結構イける気がするんだよなあ。」
心許無くなんてないよ、そう言ってハンジは笑った。
ユーリは尚も考えるようにして、少し首を傾げる。それから「………そうですか。」と小さな声で呟いた。「ありがとうございます…。」と続けて。
「ああ、戦闘に置ける実力は勿論充分だしね、天才だし?」
「そう言ってからかってくれる人も随分減っちゃいましたけどねえ。」
ハンジの冗談に、ようやく彼女は表情を和らげては応える。
すっかりと皿を空にした上官へと、ユーリは「おかわりいります?」と質問した。
「無料なら欲しいなあ。」
「別にいーですよ、どうせ食材は食料庫に転がってたモンですし。」
「ヘェ…。そういや最近、ユーリってカネカネ言わなくなったよねえ。」
ハンジから渡された皿におかわりをよそってやる為にユーリは立ち上がった。そうして振り返っては白い歯を見せて笑い、
「お金を貯める理由も、もうあまり無いんでネ。」
と明るく応えた。
リクエストBoxより『リヴァイとのシリアスな絡み』で書かせて頂きました。素敵なリクエストどうもありがとうございます。
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