道化の唄 | ナノ

 ◇預言 3


雨脚は弱くなって、辺りに立ち込めていた霧も晴れて来た。

弱い光が細く垂れては雨の雫を反射してキラキラとする中を、コニーは村の入口へ続く道をゆっくりと歩いていた。


約束した通り、そこにはユーリが低い柵に腰を下ろして待っていた。

彼女は組んだ自分の脚に頬杖をつきながら、先ほど車内で読んでいたものと同じ書籍のページを捲っている。しかしじっくりと読んでいる風ではなく、パラパラと目を通しているに留まっているようだった。


「ん、コニーだ。もう良いの?」


自分の姿を認めて、先輩兵士は本を閉じつつ相変わらずの軽薄な調子で声をかけてくる。

なんだかその応対に気が抜けて、コニーは心弱く笑った。


「はい。もう、良いです。」

「そ……。私の方も何軒か見回ってみたけれど。やっぱ人の気配は皆無だよ、ここにはもう誰もいない。」


ユーリは自分の服についた土を軽く払いながら立ち上がる。

コニーは今一度、薄暗く沈んだ色彩に染め上げられた自分の故郷を眺めた。

不思議と、なんの感慨も湧かなかった。……もっと、辛くて苦しい気持ちになると思ったのに。


「そうですか……。」


コニーはマントのフードを外して、少し開けた視界の中で今一度馴染み深い風景を見つめた。

簡素で素朴な家屋の合間を、細い川が畝る様にして流れている。連なった窓は暗く閉ざされ、濁った色をしていた。


「本当に、何もないんですね………。」


そう呟いた自分の声が、空恐ろしいほどに辺りに響く。

ユーリは無言で彼の手を取って、その掌に付着していた土や埃を払ってくれるらしい。

自分の掌から泥が落とされていく様を眺めながら、コニーは「今日は、どうも…有難うございました。」と小さな声で礼を述べた。


ユーリは手を離してこちらをじっと眺めてくる。

色彩が希薄な風景の中で、彼女の彩度が高い瞳の青色はいやに印象的だった。


「一人じゃ、とても来れなかったと思うんで。」

「いや…、私こそ、目立った発見が出来なくてゴメンね。」

「そんな…全然良いっスよ、元から何の成果も望めないって分かってたじゃないですか。」


コニーは借りていたマントを返しながら、努めて明るい口調でそう言った。


「今日、ここに帰れて良かったです。踏ん切りがついたような気持ちがしますよ……。」


ようやく雨は上がったらしいが、辺りにはまだ湿った土の匂いが立ち込めている。

ユーリは「そ、」とコニーの言葉に短い相槌を打っては空を見上げた。そうして「おぅ、」と何やら驚いた様な声を上げる。


「見てよコニー、珍しいものが見れるよ。」


言われた通りにその方を見れば、強く細い光が雲の合間から柱の様に真っ直ぐ自分の村へと下りていた。

ユーリは眩しかったらしく目元に掌を翳す。しかしそれでも「初めて見た、天使の梯子だ。」と感嘆の声を上げながら、白磁色の雲から降り注ぐ光を眺めていた。


コニーは首を傾げて、「何スか、その……」とユーリへと尋ねる。

彼女は肩をすくめて、「ん、私も最近本で読んだだけだから詳しくは知らない。でも…こう言う真っ直ぐ柱みたいに下りてくる光のこと…そう言うんだって。」と言って、持っていた先ほどの本をちょっと持ち上げて示してみせた。


「天使はさぁ、神様と私たちを繋いでくれるものだから。きっと良いものをここに持って来てくれたんじゃ無いかな。」

ユーリが透明色の光へと手を翳すのを眺めながら、コニーは「へえ…神様とか信じてるんスか、ユーリさん。」とひどく意外に思いながら言った。


「いいえェ、私みたいな人間に信仰心があると思う?」

「ま……、そりゃそっすよね。」

「でも…人間以上の存在っているよなあとは思うよ。自分の意思で選んだように思っていても…何かに動かされて、導かれてここに運ばれて来た…そう言う感覚………うちの兵団を選んでくれたコニーなら…貴方なら、分かってくれるんじゃ無いかな。」


ユーリは白い光の中で指を動かしながらそう言った。女性にしては節が目立つその掌の形に合わせて、光の粒は形を変えながら二人の身体へと降り注ぐ。

彼女は再び感嘆に似た声を「ああ、」と小さく上げた。


「………私より、全てにおいて秀でていて優しい人が…いっぱい死んだよ。私だけが生き残ったんだ。……私はずっと、その意味を考え続けているよ…。」


ユーリはひどく穏やかな声で零してから、コニーの肩を軽く抱いた。

透明色の光は、高原の西に聳える尖々の山稜の深い翠の方へにも広がっていく。色付いていく故郷の景色を眺めながら、コニーは瞳から自然と熱い涙が溢れるのを感じた。

我慢することはせずに、それを流すままにする。理由もなく、今は泣いても許されると思った。けわしい興奮が、涙によってまるで気持ち良く溶け去ってしまうような気分だった。


「………何でまた、世界ってこんな綺麗なんスかね。」


堪らない気持ちで呟くと、ユーリはお馴染みの少し低い声で「…………そりゃ貴方の心が綺麗だからじゃない。」とことも無げに言ってみせる。


「この世の全ては鏡なんだからサ。今日、私が貴方と一緒にここまで来たのだって、別に良いことしようと思ったわけじゃないの。」


地上に落とされていく光の柱に照らされたユーリの金髪は炎のように煌めいて、眩しかった。その方を眺めるのに、目を細めなくてはいけないほどに。

ユーリもまた自分を眺める後輩の視線に気が付いたらしく、応えて見つめ返してくる。

声色と同じように、その表情も楽しそうな笑みが描かれていた。


「私はね、誰にでも優しい出来た人間じゃ無いんだよ。お分かり?」


そう言って彼女は悪戯っぽい笑みを更に濃くする。

弱い風が吹いて、ユーリの濡れた髪がパラパラと揺れていく。

その向こうには雨後の故郷がまばゆく煌いていて、両側の林、堤上の樹々、そして濡れた草葉が鮮かに緑の光を放っていた。


コニーは、今から迎えにくる馬車に乗って……途中で預けていた馬を引き取り、乗り継いで…また自分がいるべき場所へ帰ろうと思った。この善良で気の良い先輩兵士に先立たれながら、一歩ずつ。

もう、この場所に未練は無かった。大事な場所であることに変わりは無いけれど。


しかし、どうしても涙は止まらなかった。


今の自分の、この姿を家族に見せてやれないことだけが心残りだったのだ。

ようやく胸を張って自分を誇れるような気持ちに少しだけなれた、今の自分の姿を……。

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