道化の唄 | ナノ

 ◇恐怖


「おい誰か、バターねえか。」


食堂にて、ジャンが空になってしまっていた琺瑯容器の蓋を閉め直しながら呟く。

別の卓に腰掛けていたエレンはそれが聞こえたらしく、「バターくらい自分で取れよ…」と応えた。厨に行けばあるだろ、と続けて。


「はあ?ちょっと別のテーブルにあるかどうか聞いただけじゃねえか。いちいち突っかかってくんな死に急ぎ野郎。」

「突っかかってくんのはそっちだろ、飯くらい静かに食えよ。」


訓練兵の頃より変わらない二人の険悪さに、周りの104期生は呆れた気持ちになった。

それを知らない先輩兵士たちが何事かとこちらを伺ってくるので、気にしないで下さいとなあなあにお茶を濁す。


「バター?あるよ、ほら。」


ス、と着席していたジャンの顔の後ろから白い箱が差し出される。

彼がその方を見上げると、強い色彩の金髪が特徴的な女性兵士がこちらを見下ろしては少し首を傾げていた。

片手にトレイ、その上にお馴染みの色の薄いスープが入った鉢と固いパン。どうやら少し遅れてやってきては今から食事らしい。

そうしてもう片手にはジャンが求めていた薄い琺瑯製の容器があった。それをユーリは彼の鼻先でフラフラと動かしては「どうぞ。」と薦めてくる。


一瞬ジャンは言葉に詰まっては、それへと手を伸ばすのを躊躇してしまう。

暗い色のシャツの袖から伸びる腕には浅黒い傷痕がクッキリと目立って浮かんでいる。

………普通の痕ではない、とジャンは彼女を初めて見た時からギョッとしていた。

巨人との戦いにより負傷したのだろうか。だが、他の調査兵たちを観察してみても彼女のように目立つ痕がある兵士はいなかった。

何か……病気のようなものの痕跡なのだろうか。丁度こういった様子で腐敗したように皮膚が斑らになる伝染病の存在をジャンは知っていた。

病的な異様さを感じて、彼はいつもユーリの傍にいる時はおっかなびっくりだった。

その病はもう、癒えているかもしれないが。それでもなんだか自分にまでこの斑らが伝染るような恐怖があったのだ。


しばらく、二人はそのままの姿勢で固まっては違いの瞳の中を覗き込みあっていた。

もっともユーリの目元は垂れた前髪によって色濃い影に覆われていたので、その表情を確認することは難しかったが。


「……………………。」


ユーリは少し肩を竦めてから、バターの容れ物を手持ちのトレイの上へと引っ込めた。

それから側の卓に着いていたコニーへと、「ねえねえ、そこのバターを彼に寄越してやっても良い?」と声をかけた。


「ん?いや別に良いスけどユーリさんが持ってるの渡せば良いじゃないですか。」

「それはダメだよぉ、今からこれは私が一人で抱えて食べるから。」

「そのバター全部食うんですか!??死んじゃいますよ?????」

「大丈夫大丈夫、私の血液は実を言うとバターなのよ。だからホラ、髪の毛もバター色!」

「マジすか!!!…そっ…それは知らなかった………。」

あはは、とユーリはコニーの反応を見てひどく楽しそうに笑った。

それから機嫌良さそうに鼻歌をしてはそこから立ち去り、一人少し離れた場所に着席する。


ジャンは静かに食事を摂る彼女の白い横顔をなんとなく眺める。そんな彼のことを、コニーがバターの容器で突いては「おい?」と訝しげに声をかけてきた。







「さて…本日はお日柄も良くですね、お集まりの皆々様には感謝申し上げます?」

一列に並んでは敬礼のポーズを取っている104期生たち…エレンのみいない…へと、ユーリはパン、と両手を打ち鳴らして陽気な雰囲気で言葉をかけた。


「まあ皆さんは調査兵なわけですから、巨人を殺したり殺されたりするわけですよね。その為にはご存知のように立体機動、これがすごく大事です。ここはテストに出ますよ?テスト無いけど。」

そして何か催し物の司会者のように腕を後ろに組み、彼ら一人ずつの顔を眺めながらゆっくりとした足取りで歩む。


「頼もしいことに、貴方たちはとっても優秀だと私は聞いてます。ハイ、自己紹介です!調査兵唯一の真人間のユーリさんが貴方たちの立体機動を直接指導します!死んだり半分死ねなかったりしないように気を引き締めてビシビシいきまショウ、ね!!」

一番端に立っていたジャンの傍まで歩むと、彼女は勢いよく踵を返して彼へと呼びかける。……いや、正確には彼ら全員に呼びかけたのだろうが。その刹那、バチリと瞳が合うのでジャンは咄嗟に目を逸らした。


「じゃあひとまず適当に指示したポイントまで飛んで頂けますかね。皆さんの実力を見せて下さい、願いましては!」


しまった、と思いジャンは今一度ユーリの方へと視線を戻す。

だがもうすでに彼女はジャンのことを見ておらず、相も変わらず陽気で軽薄な雰囲気を纏っては今一度、パチンと掌を打ち鳴らした。







「ふうん、やっぱ皆成績優秀なだけあってうまいねえ…」


そこそこ距離があったポイントまで思い思いの速度で自分自身を飛ばした104期生たちは、地面に腰を下ろして暫し休んでいた。

そこにユーリがやってきては、掌中の計測タイムを記した用紙をクリップしたボードを眺めて感慨深そうに呟く。


「コニーはさぁ、グリップの切り替えする時にもう一回強く押し込んだ方が良いよ…そうしないとモーターに負担かかるし。」

ホラ、こうやってね。

とユーリはコニーの傍まで歩んでは彼の目線に合わせて膝をつく。

その掌を取って握りながらグリップの扱い方の指導に当たる。コニーはコニーで珍しく神妙な面持ちで、重なった自分の掌と先輩兵士の顔を見比べてはその話に耳を傾け頷いていた。

その様を眺めながら、ジャンは「…………なんだよ、あのふざけた指導官…。」と呟く。


「私はあれくらい話しかけやすい人の方が良いですけどねえ。前の教官みたいだったらどうしようかと思っていましたよ。」

「サシャは相当キース教官のこと苦手だったからね…」


ジャンの呟きには、傍にいたアルミンとサシャが会話で応える。

そうしてユーリは未だコニーと額を付き合わせて要領とアドバイスを指導しているらしい。しかし暫くしてこちらを向き、「サシャっこや、」と呼びかけてくる。


「サシャっこ……?」

訝しげな表情をしながらも名前を呼ばれたサシャは立ち上がり、彼女の傍へと赴く。

ユーリはその背中の辺りに触れては何事かを彼女に説明している。どうやら姿勢制動に関するアドバイスのようである。

そうして次にアルミン。この二人は面識があるらしく、お互い慣れた様子で冗談を言い合いながら何事か…しかしやはり立体起動に関することなのだろう…言葉を交わす。

そうして一通り話し終えた後、彼女は遂にジャンの方をじっと眺めては手招きした。

ジャンは少しの間を取って、アルミンと入れ違いに先輩兵士の傍へと歩を進める。


ユーリはジャンの瞳の中を暫し覗き込むようにした後、少し首を傾げて「どこか身体の具合、悪い?」と唐突な質問をした。

ジャンは「え?」と間抜けな声を上げた後に「…………。い、いや。心当たりは、無いですね。」と妙に吃りながら返事をする。


「ふーん……」

彼女は少し考えるように顎の方へと指先を持って行く。「そっかぁ…」と呟いた声は女性にしては少し低く、甘い声色だった。


「ちょっと失礼、」

そうい言ってユーリが掌をジャンの身体の方へと伸ばす。瞬間、ジャンの体は反射的にびくりと戦慄いた。


「…………………。」


その様を認めたらしい彼女は、あともう少しでジャンの身体に触れそうだった指先を中空で留める。

それから弱く笑って、「………触らないから、安心して。」と穏やかに言った。


「貴方の装置が見たいの。外して、見せてくれる?」


言われるままにジャンは装置を腰から下ろしてユーリの方へと差し出した。彼女もまたそれを受け取っては「ふーん……」と呟いてその機体の表面を繁々と眺める。


「ちょっとこれ、借りても良い?」

「………あ、別に良いですけど…。」


ジャンの返事を聞き届けた後、ユーリは少し離れた場所にいるサシャ、コニー、アルミン、そしてミカサへと「皆ぁ、ちょっと休憩しててー。」と間延びした声で指示を出す。「あ、後ミカサちゃんは色々パーフェクトなので何も言うことないです。引き続きお気張りくださいまし。」と続けて。


彼女はジャンへと向き直り、「ジャン君?だよね?の身体じゃなければ多分装置の具合が少し悪いと思うんだよね。中を見たほうが良さそうだからさ。」と明るい声色で説明する。


「大丈夫、貴方の大事な装置を雑に扱ったりしないよ。」


そうして何も言わずにいるジャンへと今一度穏やかに笑っては、言った。





「うーん、ジャン君。貴方あんなんでよくぞ今まで普通に装置を扱えてたね?」


暫時してユーリが彼らの元へと戻って来ては開口一番にジャンへと言う。

どう言うことだと彼が訝しげな表情をすると、ユーリが掌を広げてその中にあったひしゃげたホイールを見せて来た。


「モーターがさ、軸がズレてまともな回転してないんだよね。……普通に使っててこうなるケースはそんな無いんだけど。短期間で装置を酷使したりした?」


首を傾げながら尋ねられる。

勿論ジャンには思い当たる節があった。連日早朝の練習に加え、彼は謎の人物に見事に千切られた例の出来事からどうにかあのスムースな制動を再現しようと躍起になっていた。勿論成功はしていないが。どんなに装置を酷使しては通常ではあり得ない方法を試してみてもしっくりと来ることはない。


「モーター自体がダメになるとさァ、いよいよ装置の寿命なんだよね。今はメンテナンスに出す時間も無し……新しいものすぐに寄越してもらうのが良いかもね。」

ユーリはジャンへとひしゃげた装置の一部を渡してやりながら、「確か最近マイナーチェンジだけど性能が上がったのが出た筈だし、私から上に言っておくよ。」と言う。反応が薄いジャンへと「良い、大丈夫?」と念を押すように付け加えて。

ジャンは掌中の、鈍い金属色に光るパーツを見下ろす。

一応機械油は拭われているが、それでも無理な負担がかかったせいで歪んだ箇所が黒ずんでいるのが分かった。

クソ、と思う。装置の故障などで足止めを食らっている場合では無いのに、と悔しかった。

そして何よりも、三年間苦肉を共にした装置がこんなにも呆気なくダメになってしまったことがショックだった。

何もかもがうまくいかない閉塞感。

不意にそんな自分を一番身近で励ましてくれた存在がいないことを思い出しては、胸が支えた。







「………おい、アルミン。どうしたんだよ。」


夕食時、非常に顔が青いアルミンへとエレンが声をかける。アルミンは「吐きそう…」とか細い声で呟いた後に、ひとつ溜め息をした。


「いや…。ユーリさんは装置の扱いがうまいし…速いからさ。どうやって飛んでるかやり方を聞いたんだよ。そしたら言うより見た方が早いっておぶられてさ…」

「お、おぶられたのか。」

「それで飛ばれてさ…」

「その状態で!?」

「ユーリさんは……兎に角速いんだよ……コーナーに差し掛かってもスピードを絶対緩めないから…僕は何度も曲がりきれません、絶対曲がれませんからスピードを落として下さい、お願いしますって言ったのに……」

「飛んだスピード狂だな…」

「しかも時々僕の反応面白がって両手をトリガーから離すし……」

「あの人普通に性格悪いよな。」

「でも、ひとつ分かったのは……機械制動を行わずに方向を転換するんだよ、ユーリさん。」


アルミンの顔には少し人間らしい色彩が戻ってきたようだが、未だ彼は神妙な顔で言葉を紡ぐ。それにエレンは「機械制動を行わずに?」とそのまま言葉を鸚鵡返した。


「そう。僕もちゃんとは見えなかったから多分、憶測だけど…スロットルの入切を秒何回単位で常に切り替えてるんだろうね。だからコーナーでも装置の回転数を落とさずに曲がり切ることができる。言ってみればトリガーに置いた指を痙攣させてるようなものだよ、普通じゃ考えられない。」

「……………?まあユーリさんは確かに普通じゃねえよな。」

「…………。良かったら今度エレンもおぶって見せてもらいなよ……。」

「いや、遠慮しておく。」


エレンとアルミンの会話を別の卓から聞きながら、ジャンは(………なんだよ、それ。)と考えた。

(そんな扱い方無理に決まってるだろ…。)

そもそもジャンはユーリが装置を扱っているところを見たことがなかった。

いや…厳密に言えば一度あるのだが、彼自身はそれをユーリだとは気が付いていなかい。


だから、いまいち自分たちの指導官として新しく配置された彼女の実力を信用できずにいたのだが……彼の現在の苛立ちとも不安ともつかない心情の原因は、どこか別のところにあるようにも感じた。

(多分…曲がりなりにも愛用してきた装置がこれから全くもって使い物にならないことと…………。)


『………触らないから、安心して。』



何気ない一言だったのに関わらず、昼間の彼女の言葉が妙に思い出されて重たい気持ちになった。

自分としては、ユーリに対して普通に接していたつもりだった。しかし彼女の皮膚を忌避する心情はすぐに見透かされてしまったらしい。

それでもユーリは普通に笑っていた。こういうことに慣れているのだと思う。


「あれ、そう言えばユーリさんどうしたんだろう。ずっと姿が見えないね。これじゃ夕飯食べそびれちゃうんじゃないかな。」

「………………。あの女なら死んだんじゃない?」

「ミカサ、自分が気に入らないからって勝手に人を死んだことにしちゃダメだよ…。」


あはは、というアルミンの苦笑いが頬杖をついて半ば上の空だったジャンの耳へと届いた。

ジャンは自分の空になったスープの皿に視線を落とす。灰色の陶器の表面に自分の顔が映っては、じっとこちらを眺めていた。

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