◇譫言
「……………食べるか?」
エルヴィンはそう言って、林檎が数切れほど乗った皿をリヴァイへと差し出して来る。
先ほどまで居たピクシス、そしてハンジとコニーが立ち去った室内は乾いた静寂で満たされていた。
丁寧に兎形に剥かれたそれをリヴァイは暫し見下ろし、少しの間を置いてからひとつ口に運ぶ。
食べながら「甘いな」と呟けば、エルヴィンはどういうわけかまた笑う。
先ほどの半ば怪奇としか言いようの無い哄笑とは異なり、何とは無しに…彼が考えていることが理解出来る笑い方だったが。
「………ユーリか?」
皿の上に残されて転がる林檎を視線で示しながら尋ねれば、エルヴィンはそれに応じるように少し目を細める。
そのままで、「何故そう思う?」と尋ねてきた。
「勘だ。」
「根拠のある勘か?」
「ああ。」
二羽目の兎を頭から齧りながらリヴァイは返答する。
エルヴィンの探るような瞳を見据えながら、彼は「ガキがてめえの親を見舞いに来るのは何もおかしいことじゃねえだろ。」と事も無げに言ってみせた。
…………日に焼けた白いカーテンが窓辺で翻る。
ひやりとした風が屋内に忍び込み、静かに吹き渡っていった。
「てめえらの関係はユーリから聞いたことだが…奴を責めてやるなよ。」
エルヴィンが自分の言葉に応じて口を開く前に、リヴァイは発言を続ける。
「前から…違和感があった。お前はユーリが絡んだ話題になると、いやに機嫌が悪くなるよな。」
「そんなことはない。」
「ハッタリには引っかからねえか。だが、妙な固執の仕方をしているように俺には思えたがな。今回も勝手に俺の班から自分の元へと引き戻しやがった。」
「それには理由がある。説明した筈だ。」
「分かってる、あいつにはあいつなりの適した仕事がある。お前の判断は間違っちゃいねえよ…。」
中空には日に照らされた埃が眩しく光って漂っていた。
そして窓際では花も色気も無いただの草が植わった鉢植が、のびのびとした様子でその明かりを浴びている。
「ユーリに聞かず奴が答えずとも、直に俺は勘付いていただろうよ。………隠し通せることじゃあ…ねえからな。」
リヴァイは皿の上に一羽残された林檎をエルヴィンへと薦めた。彼は首を横に振ってやんわりとそれを拒否する。
しかしリヴァイが伺うようにしてエルヴィンの顔を眺めていると、彼は緩慢な動作で最後のひと欠片…林檎を手に取り、そこに視線を落とした。
「あれは……あいつは、手先が器用だな…。」
整った形の赤い耳をふたつ切り出された林檎を眺めながら心弱く笑い、エルヴィンはそれを齧った。
そして齧りながら、「余計なことを……」と呟いた。誰に対しての発言なのかリヴァイには分かりかねたが。ユーリか、リヴァイか、それともエルヴィン自身にか。
彼はリヴァイから視線を逸らし、壁に嵌め込まれた痛んだ窓枠をなぞるようにして見つめる。
窓前の名前も知らない草からだろうか。柑橘のような爽やかな匂いが運ばれて来るのが、穏やかな昼下がりの明かりの中で心地良い。
「片腕を失った時……自分という人間はこんなにも死と隣り合わせなのか、と思ったよ。」
「当たり前だろ、何年調査兵やってやがるんだ。どうやら頭も強く打っちまったようだな。」
「いや……勿論それは重々に承知している。だが人間というものは、実に簡単に自分が死ぬことを忘れるんだな。それは我々に与えられた、ささやかな贅沢なのかもしれないが…」
リヴァイは少し黙り、友人であり上司である彼の言葉の意味を吟味しようとする。
エルヴィンは、窓の向こうで揺れる樹木の梢を目を細めて見つめていた。そうして、独り言のような呟きを続けるらしい。
「ユーリは…俺が死ねば良いと思ったんだろうな。」
「…………そう思われる心当たりでもあるのか。」
「あるなんてものじゃない…。………少しも良い父親では無かった。」
「何故それを俺に言う。本人に言えよ。」
エルヴィンは目を伏せて、空になった皿を脇のテーブルへと置いた。
カタリと空虚で硬い音が鳴って、止む。
「言えるわけないだろう……。」
エルヴィンはそう言って、掌で目元を覆った。
その際に金色の髪がパサリと揺れて眩しく光る。
ユーリのものに比べると…少しの白髪も混ざっているのだろうか。色が薄い印象を受ける。だがそれでも、同じように彩度と輝度が高い色彩をしていた。
「今の俺の言葉は、忘れてくれ。」
そのまま微かな声で、エルヴィンは呟いた。
リヴァイは何も言えずにただ友人の疲れ切った横顔を眺める。意識して見ればなんと言うことはない、似過ぎるほど似ている彼の娘の面影をそこに重ねながら。
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