◆対話 3
思えばあの時、予想とは違い……自分の親友と娘との間に肉体的な繋がりは無かったのだろう。
むしろ恋愛関係にあったのかすら怪しい。
だが彼らが互いに好意を示し合うのにそこまでの時間はかからなかった。
だから……ミケがユーリを静かに抱き寄せる光景を頻繁に見かけるようになっても、特に驚きはしなかった。
しかしーーーーー
ーーーーー直接の指示をしたことは無かったが、ユーリは自分の武器と長所が何かをよく理解している人間だった。
彼女は時折仕事を効率良くこなすために男や女に抱かれることがあった。
報告が無くとも、それが為されたかどうかはすぐに分かる。そうあった時の彼女を取り巻く雰囲気は虚ろで倦怠的で、だが妙な艶があった。流石その道の
専門家と言ったところだろうか。
だが、いくら
商売人とは言えユーリはまだ物事を割り切るには若すぎて、知らないことが多すぎた。
彼女が垂れた前髪越しにミケを眺める表情が、隠れている瞳が孕んだ熱が強くなればなるほどに、彼女は自分のそう言った武器のひとつを疎んじるようになる。
やがて、斧を握るよりも安易なその手段を使わなくなる。その所為で更に傷が増える。
不手際を咎めるように些か強く叱責してもそれは変わらなかった。
ユーリは鼻がよく効く上官知られることを避けるため、事後は丹念に幾度も湯浴みをしていた。
その甲斐あってか、ミケは彼女の事情をそこまでは知らなかった。
そして、彼は不器用ながらも慎重だった。何よりも思いやりがあった。
だからユーリには触れるだけに留まっていたのだろう。
………二人きりになると、ミケはよくユーリのことを傍に呼んでその身体を抱いていた。
自分の娘は最初こそ大いに戸惑い、所在無さげな様子で抱かれていたが…やがてそれも無くなり、純粋な喜びとささやかな幸せに満ちた表情で彼からの抱擁を受け入れるようになっていく。
ミケの広い背中へと回ったユーリの白い手の甲が目に入る。そこにあった例の生傷は、いつの間にか随分と少なくなっていた。
少しだけ身体を離し、ミケはユーリの髪を静かに撫でてその前髪を耳にかけさせた。ひどく久しぶりに、エルヴィンは自分の娘の顔を見た。
そして驚く。こんな顔をしていたか。……いや、こんな表情をする人間だったのだろうか。
ミケはユーリの頬へと指を滑らせてから、一言か二言ほどの短い言葉を呟くらしい。
それを聞いた彼女は困ったように笑ってから、ひとつ頷く。
触れるだけの口付けが交わされた。
本当にそれだけだったが、恐らくユーリにとっては今まで耳元で囁かれた全ての睦言、そして行為で示された熱情の全てを合わせたものよりも愛を感じる行いだったに違いない。
ミケがその場から離れて一人になると、ユーリはいつも少しの間だけ声を押し殺して泣いていた。
幼い少女が迷子になったような泣き方をする。きっと不安で仕様がないのだ。不幸なことに、いつまでもミケのことを信じられないでいる。
…………自分が彼女のことを、彼らの行いを眺めるのは、いつも遠くからだった。
閉め切った部屋や淫靡な暗闇で為されるものとは違い、それはいつも光が差し込む場所だった気がする。いや、単に記憶の中の印象の問題だろうか。
兎にも角にも思い出されるのは、遥か遠くの景色の中で純粋な心を通わせ合う二人の姿だった。
まるで作り話の演劇でも見ているような気分になる。
だがこれはフィクションでは無い。絶対的に手が届かない場所に存在する、確かな現実だった。
ユーリはミケやその周りの人間に支えられて、彼らの好意や愛情に応えてやる為に努力をするようになった。
今までそう言った経験が無かったにも関わらず…否、無かったからこそだろうか。彼女は人一倍情に厚い人間になったように思う。
その成長を、ミケやナナバが時折噂にしては仄かな喜びを表情に浮かべる。
だが………本来、あれは自分の役目で義務なのでは無いのかと思った。
思う存分に甘やかして優しくしてやり、守ってやるのは。
大事にしてやった分だけ愛情で応えてもらうのは…父親である、自分の役目では無いのかと。
いつからか、こんな筈ではなかった≠ニ思うようになった。
一番に考えることを回避し忌避していた思考を、まさか、ありありと心象がそれを描いてしまう日が来るなんて。
…………自分の思考が如何に身勝手かは、よく理解していた。
こんな感情は彼女を混乱させるばかりか自分の生き方をも阻害する。
だからーーーーせめて。これで最後と思い、彼女に最初で最後の。心の底からの……あの時は認めることが出来なかった愛情を込めて。たったひとつのものを贈った。
しかし今はもう、ユーリはあれを抱いて寝てはいない……。
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