道化の唄 | ナノ

 ◆対話 1


厭われる必要と、厭う必要があったのだ。

まともな父子関係では無いのだから。あれを人として扱ってはいけない。


幸いにも、ユーリは厭うべき条件が充分に揃っている素体だと思った。

同情の余地が抱けないほどの屑で、悪人であることは明確な事実である。


だからこちらもそれなりの態度で…また向こうもそれに応じてくれると考えていた。


ーーーーーー予想外だったのだ。


彼女の性質と自分の性質が。

どちらも、悪い意味で人間的過ぎた。



手を上げたことはそれなりにある。

特に神経質になったのは、ユーリが自分に愛情を求めるような素振りをした時だ。

多く傷付ける必要は皆無だった。暴力とはダメージに比例するものでは無い。最低限のもので、最大の効果を与える方法を心得ていた。


だが……何故そこまで過敏にそれを忌避していたのだろうか。

勿論踏み入った関係にならない為だ。しかし度が過ぎてはいないだろうか。時折、自分の人間的な部分が自らの行いを咎めるような思考をする。

然しながら止める訳にはいかなかった。今更どうして自分の生き方を、苦労して築いた目的の為の布石を水泡に帰すことが出来るだろうか。



意外なことにユーリは入団してからそう長く無い期間で、徐々に良好な人間関係を築き始めていた。

少しずつ笑う回数が増えた。表情には幾分かの余裕と柔らかさを感じるようになった。

良い気なものだと、やはり煩わしく思う。時折釘を刺すようにして彼女の過去の行いを忘れさせないようにした。



そうして毎度……いつもの癖で、遠くからその姿を監視するように眺める。



彼女は何かを見つけたらしく、ハッとしては少しだけ笑った。………少しの躊躇の後、目的のものの元へと早足で近付いていく。

少女から女性へといつの間にか変化した彼女の歩き方は軽やかで、窓から斜めに差し込む淡い陽光が自分と同じ色の頭髪を黄金色に輝かせていた。


「ミケさん、」


ユーリは自分の上官の名を呼び、その傍まで辿り着いては足を止めた。

ミケもまた彼女に応え、少し振り向き何事か言葉をかけている。


…………ユーリがミケのことを好ましく思っているのは明白だった。


だが彼女はそれをどう表現したら良いのかが分からないらしい。

先ほどの嬉しそうな表情は鳴りを潜め、どこかぎこちなく彼の言葉に応対をしている。


やがて彼らは短い世間話を終え、別の方向へと歩んでは離れていく。

だが…ユーリは幾度かミケの方を振り向いては、離れていくその背中をぼんやりと眺めていた。

そうして彼女はゆっくりと中空へと手を伸ばす。伸ばしながら、ミケへと声をかけようと…呼び止めようと、唇を開きかける。

しかしそれは言葉になることは無く、彼女は行き場が無い掌をそろりと握っては元の場所へと戻した。

自分の命令によって前髪で隠されたそこから表情を読み取るのは難しかったが、彼女が今どんな顔をしているのかは大体想像がついた。


エルヴィンは、ユーリのその表情や仕草が嫌いだった。挙げたらキリがない彼女の不愉快な箇所の中でも最たるものだった。

だが、今胸中が暗澹している原因はまたどこか違った所にあるようにも思える。


(……………………………。)


深呼吸をして、その懸念を打ち消した。

ミケは……ユーリへと差し障りなく接することは出来てはいるが、彼女に対する嫌忌や警戒を未だ強く抱いている。

ユーリの感情は無駄で無益なものに相違ない。

彼女は勘が悪い方ではない。すぐに自ずとそれを理解し、己の立場を今一度思い出すことが出来るだろう。


ミケの慎重さをエルヴィンはよくよく知っていた。だからユーリの上官に彼を選んだのだ。ユーリに余計な情を、思惑を抱くことがなく抱かせることが無い人間を。


だがその選択を悔いるのは、そう遠くは無い未来だった。


元より…ミケは意外にも、部下とそれなりに良好でフレキシブルな関係が築ける人間だった。

例に漏れずユーリとの関係も徐々に軟化し、最近はミケの方が彼女を呼び止めては何事か雑談を持ちかけている様をよく目撃する。


そして、別れた後に去っていくユーリのことを暫しじっと観察するのだ。これでは今までとまるで逆である。

彼が何を思っているかの仔細は分からない。しかしそれでも…暫く部下の背中を眺めては小さく溜め息を吐くその様に、何か胸騒ぎめいたものを覚えるようになっていく。







ユーリに与えた埃臭い部屋には、幾度も赴いたことがある。

彼女は部屋の施錠が非常に疎かな人間だったので…念のために用意していた合鍵が使われることはほとんど無かったが。


大抵それは夜……真夜中だった。ユーリはいつもベッドの上に胎児のように丸まり、自分を抱きしめるような姿勢で眠っていた。


特に何かをするわけではなく、その様を暫く見下ろす。


それだけだった。

自分が何をしたいのかはまるきり分からなかった。

ただ、ユーリの身体が頼りなく弱く膨らんだり萎んだりするのを眺める。

その安らかな呼吸音に聞き入っていると、どこか切なくて静かな気持ちになった。



ユーリは。

やはり、父親である自分のことが好きなままだった。



そして自分は彼女が嫌いなのだろう。………そうに違いが無いし、そうでなくてはならない。

いつも、そっと手を伸ばして触れてみようと試みる。しかし触ることはしない。触りたくもない。こんな汚らしい皮膚に。



ーーーーー時折、魘されていることがある。

畝るように縺れた金髪の隙間から汗が血液のように滴り、何事かを呟いてユーリはひどく苦しそうにしていた。

汗と一緒に涙がその頬を伝っていく時もある。しかし残酷な悪夢から覚めることはどうしても出来ないようで……そんな時、彼女は無意識に自分の指を噛んでいた。

白い歯が指に食い込み、震える顎がやがて肉を削いで傷を作る。皮膚の下の血液と肉はあくまで赤く、柘榴のようだった。

それでも彼女は目覚めることが出来ない。


痛い、


ユーリが喘ぎ喘ぎようやく聞き取れる単語を呟く。


当たり前だ、と思いながらもエルヴィンはやはり何もせずに無残な娘の有様を眺めていた。

しかしこのままでは指がひどい有様になるな、と思って掌をそこに伸ばす。

………が、彼女の手の甲が涎と血液と汗とでひどく汚れていることに気が付き、床に丸めて落とされていた毛布で今一度自身の手を保護しながらそこを口から離してやった。


うんざりとした気持ちになりながら、改めて娘のことを見下ろす。


自分は何をしているのだろうと思った。


苛つき心がささくれ立つばかりだと理解しながら、何故自分はこのみすぼらしい存在を視線で追いかけてしまうのだろうか。


(…………………。)


自分には夢があるのだ。


それを叶えるために、今まで幾多の犠牲を払ってきた。

その甲斐あって…もう直ぐなのだ。もう直ぐ、微かにそこに・・・手が届く予感があるのだ。


ユーリが…見た通りの、その振る舞い通りの粗野で馬鹿な屑野郎では無いことくらい、もう分かっていた。

彼女の功を成さない努力も報われない苦労も全て知っている。…………全てを、見てきた。


だがそれは自分も同じことだ。成し遂げなければ。今まで失ってしまった、失わせてしまったものたちへの示しがまるでつかない。


……………自分なら、やり切れる。


「やり切れる……筈だ。」


決意を固める為に呟いた言葉が予想外に震えていたことに驚いた。

思わずハッとして、口元を抑える。


ユーリはもう魘されてはいなかった。

寝息すら立てずに、死んだように眠っている。

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