◇肯定 2
「……………前から思っていたが。」
道を歩む傍ミケが話を切り出す。ユーリは彼を見上げては続きを待った。
「お前のそれは…もう少しどうにかならないのか。」
「え、……これ?」
ミケが耳へと触れてくるので、ユーリは自分のそこを貫く少なく無い量の装飾のことを思い出しては「ああ、」と声を上げる。
「どうにかって?」
「幾ら何でも多すぎる。普通多くても左右に数個ずつくらいだろう。」
「そうでも無いですよぉ。」
「それはお前が昔いたところでの話じゃ無いのか。」
「ん、まあ…それはそうかも……。」
「少し塞いだらどうだ。邪魔だろう。」
「………でも、塞いだら痕になっちゃうじゃ無いですか…。」
…………ユーリのピアス穴は、彼女自身が空けたものでは無かった。
適切な処置もなされずに無理矢理空けられた穴は耳だけでは無かった。身体に開かれたものは流石に塞いだが、想像通りにそこの皮膚は歪なものになってしまっていた。
せめて顔にほど近いこの箇所に痕を作りたくない、と言うのがユーリの希望である。
女神の百合≠ノいた頃も価値を保つために顔面を欠損させられることだけは無かったので…ここだけがユーリが唯一好きな自分自身だった。
そうして、それ以外に好きなところは無かった。
別にそれで良いと思っていた。
だが……好きな人が出来てしまった。
好きな人にもっと愛される綺麗な人間になるには、色々なことが手遅れだった。
ユーリは自分の左乳房の辺りをそっと触る。心臓の上である。
腕や首の傷を晒すことへの躊躇は少なくなったが、ここだけは未だ人に見せることが出来ない。
もう、取り返しがつかない形となってしまっているのだ。ここは。
…………けれど、そんな醜い箇所すらも愛してくれる物好きがいるわけで……。
ユーリは、チラとミケの方を見る。
それからここを慰るようにそっと撫でられ、唇で触れられた時のことを考えた。思い出すだけで、遣り切れなくて泣きそうになる。
ミケはユーリの視線に気が付いたらしく、応えるようにひとつ頷いた。そうしてまた耳の窪みへと指を添わせてくる。
「別に痕になっても良いだろう。俺としては、体に空いた穴をそのままにされている方が痛々しくて見ていられない。」
「……そうですか。」
「身体の痕も…お前にとっては忌むべきものだろうが。傷は塞がったんだ。……多少歪でも。それで、良いじゃないか……。」
呟くように言いながら、彼が辿り着いたのは大きな窓が張り出した空色の外壁を持つ店だった。
店内に規則性を持って並べられた装飾物も明るく鮮やかな色をしているらしい。店外からでも、充分にその色彩を拝むことが出来た。
(……………………?)
ここがミケが気になって、欲しいものがあった店なのだろうか。
彼の意図するところがよく分からず、ユーリは窓硝子に鼻先をくっつけて店内を良く見ようと頑張ってみる。
だが充分に店の様子を確認しない内に、ミケがユーリの襟首をヒョイと掴み上げて中へと入っていく。いつもの事ながらあんまりに雑な扱いをなされたので、ユーリは思わず「おぅ、」と声を上げては苦笑した。
兎にも角にも、投げ込むようにして店に入れられたユーリはひとまずキョロキョロとしながら室内を見回す。
…………見る限り、女性用の装飾を取り扱う店である。年季の入った書棚だの蘭の鉢だの、やや骨董めいたものがあるのが居心の好い空気をつくっている。そうして店内は何やら良い匂いのする香が焚かれていた。
(あ、これはいけない。)
そう思ってユーリがミケの方を振り向くのと、彼が大きなクシャミをするのはほぼ同時だった。
鼻が利きすぎるこの上司はいつもこうなのだ。とにかく香水やお香との相性が悪いらしい。
「ミケさん大丈夫ですかぁ?店出ましょうか。」
「いや………。」
ミケは鼻の下から口にかけてを掌で覆って実に渋い顔をしながら応答する。
なんとも苦しそうなその様を、彼には悪いがユーリは少々可笑しく思いながら観察した。
「というかこんなところまで来て何が欲しんです。入る店間違えてません?」
「間違えてはいない。」
ここに来て彼は再び堪えきれなくてクシャミをするらしい。
あららと言いながら、ユーリはポケットに入っていた鼻紙を渡してやった。それを受け取った彼は中々に良い音を立てながら鼻をかむ。
「ああ……。贈り物なら誰に贈るのか教えてくれたら私が選んどきましょうか。外で待っといて良いですよ。」
「さっきからお前はなんなんだ。そんなに俺とここにいるのが嫌なのか。」
「えっ…いやぁ、なんでそんなネガティブな思考になるのか良く分かんないんですけど…。普通にミケさん何やらしんどそうで可哀想だなあって思ったんで。」
ミケは鼻孔の調子がやや落ち着いたらしく、少しばかり赤くなった鼻を一度擦った。しかし機嫌は直っていないらしく、ユーリのことをじとりとした視線で見下ろしてくる。
ユーリも負けじと「なんスか、」と言っては斜めに彼のことを見た。
………ミケは少しの間それを見つめ返してくるが、やがて行儀良く棚に並べられていた髪を彩るための装飾へと視線を移す。そうしてその内ひとつを手に取っては暫し眺めた。
その様をユーリは少し首を傾げながら見守る。
「痕が気になるのなら…耳が隠れるような髪型にすることは出来ないのだろうか。」
彼はポツリと呟いて、ユーリのざんばらと色気もなく下ろしただけの髪に触れながら思索に更けるらしい。
「街で…丁度、こう……。うまい具合に耳が露出しない髪型をしている婦人を見た。だがあれには何か頭髪を留めるものが必要だ。」
独り言のように呟きながら、彼は低めの棚に並んでいた髪留めの数々を大きな身を屈めて慎重に吟味している。
やがてひとつずつユーリの顔の傍に持ってきては、その金の髪色と見比べるようだった。
…………何やら真剣な様子である。ユーリはただただ成すがままになって、彼の行動を見守った。
「ああ。」
ふと、ミケが合点がいったらしい声を上げる。
「これが良い。」
それを受けてユーリはミケの方を見た。だが彼が身を屈めていた所為で想像以上に顔が近い。一気に気恥ずかしくなって、ユーリは思わず顔を伏せた。
その頃には、流石のユーリも彼が意図することが分かっていた。
………勿論、心の底から嬉しかったのだ。だが不器用な彼女は、やはりそれに対して素直で可愛らしい反応をすることは出来なかった。
なので、俯いたままで「べっ、別に…大丈夫、良いよ…。お金、無いし。」としどろもどろになりながら言う。
「それに……。折角選んでもらって悪いけどさ。こんな可愛いの…装置使ってる時に落としたら嫌だし。」
覚束ない言葉を漏らしながら、ユーリはミケの掌中にある小さな白い花がいくつかあしらわれたガラス質の飾りを眺める。
ユーリがよく知っている派手で安っぽい造りの装飾とは違う、落ち着いて静かな佇まいの飾りだった。
「買うのは俺だ。ユーリに文句を垂れる資格は無い。それに…お前は365日24時間装置を扱っているのか?」
滑らかな七宝細工の表面を撫でながら、ミケもまたポツリと言葉を漏らした。
「え?」
「兵務の際に付ける必要は無いだろう。……休みの日だとかに使用してもらえればそれで良い。今日みたいに、一緒に出かける際……、いや、これも考えたら兵務のうちだな。だから、まあ……。」
ミケはそこで一拍間を置く。その間も相変わらず彼の太い指先は、繊細な七宝細工の表面を落ち着きなく撫でたり触ったりしていた。
「……もっと色々なところに二人で行こう。」
小さく漏らされた彼の声は、僅かに掠れていた。
「二人の時間を、沢山持つんだ……。」
独り言のように続けられた言葉も同じように。
どう言うわけか…それを聞いていたユーリの方が苦しくて堪らない気持ちになる。
ミケの手の中にあった淡い色の髪飾りを、彼女はそろりと受け取った。
自分の髪の辺りにちょっとだけ近付けてみて、ひどく照れ臭い気持ちになりながら恋人の方を伺う。
だが……もしかしたら彼も自分と同じように気恥ずかしくて仕様がないのかもしれないと思うと、こそばゆいような微笑ましいような気分になった。
「私なんかに、似合いますかねぇ…?」
そう尋ねれば、髪飾りを持っていた掌を握ってもらえる。ひどく切ない気持ちになって、ユーリは心弱く笑った。
「似合う。」
ミケははっきりとした声でそれを肯定してくれた。その心地良く低い声色に、ユーリはそっと耳を傾ける。
「こんな髪飾りひとつ買ってやれなくて、悪かったな…。」
ーーーーー彼の優しすぎる懺悔の言葉を最後にして、周囲を取り巻いていた全ての明るい風景は……収縮する様に、あっという間に消え去った。
ユーリは、ゆっくりと瞳を開く。
辺りは闇に包まれた真夜中で、弱い陽光を反射する落葉も、店内の繊細な装飾の数々もどこにも見えなかった。全ては夢の中、美しく残酷な妄想の世界へと跡形もなく失せてしまったのだ。
ものが山積みの自室の机に頬杖をついた…眠りから覚めた姿勢のままで、ユーリは薄く笑った。時計を確認すると、時刻は帰ってきてから一時間も経過していなかった。
浅い眠りの中で、随分と深い夢を見ていたようである。
自分の真っ直ぐな金色の頭髪に触る。ただ下ろしただけで、いつもの如く飾りなどひとつも付いていなかった。
……触れば、指通りが良い。いくら頑張って巻き毛を作ろうとも決して成功しないこの頑固な直毛は、間違いなく父親譲りのものである。
彼も整髪料を使用しなければ、非常にボリュームが希薄な髪型になるのをユーリはよくよく知っていた。
(良かった。)
そう思いながら、ユーリは肩にかかっていた毛布を畳んでベッドの上に戻す。
(貴方にもらったものが、形の無いものだけで本当に良かった。)
……眠りに落ちた時の記憶は無いのに、毛布を被るだけの意識はどうにかあったらしい。
苦笑しつつ、ユーリは深い翠色の暗闇が落ち込んだ窓の方に視線を移した。白い月が、ポッカリとひとつ浮かんでいる。
(今…目の前に思い出や愛情が形としてあったら、きっと耐えられないと思う。)
そうして吐く息と変わりないくらい微かな声で、夢の中にいた彼の言葉へと返事をした。
「良いよ。」
そうしてつくづく実感する。本当に愛していたし、愛してもらっていたのだ。
「何にもいらない。」
けれど、まだ泣いていなかった。
「生まれて来てくれただけで…。それで、充分。」
だって、私が泣き虫なのはミケさんの前でだけだからね……。
リクエストBOXより、
・ミケさんとお出かけのお題を小説で
・主人公とミケさんが買い出しに行き、帰りにミケさんが「髪飾りを買おう」と言い出す。
から追加させて頂きました。
素敵なネタをどうもありがとうございました。
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