いつか見る空 | ナノ

「兄さん、兄さん」

「何だよ」

「私ね....将来兄さんのお嫁さんになるんだ」

「.....オレはお前みたいなチビのまな板と結婚するのは嫌だぞ」

「......これから大きくなるよ....。」

「...10才越えてお前の色んな所がもう少し成長したら...考えてやるよ。」

「....本当?」

「あぁ」

「嬉しいな....。それじゃあきっと私をお嫁さんにしてね。大きくなってみせるから...」

「果たして大きくなるかね。オレはそのままな気がするけど」

「ひどいな....でも、約束だからね...。」

「....あぁ、約束するよ....」






「......なんつー夢だ....」

ジャンはそう呟きながら寝床から体を起こした。

もう日は高く、ルームメイト達はすでに支度を終えて食堂に行ってしまっている様である。

「クソ....あいつ等...。起こしてくれても良いじゃねぇか...」

ぶつぶつと口の中で零しながら自分も準備に取りかかる。朝食を逃がすのだけは御免だ....





「あれ、兄さん。今日は随分ゆっくりだったね」

マルコと並んで朝食を摂っていた妹がこちらに声をかけて来る。

今朝の夢の所為かどうも顔を合わすのが気まずい。

「マルコ、お前起こせよ...」

そう言いながらその隣の彼の頭を軽くはたく。「いてっ」という短い声が聞こえた。

「いや....君が何だか幸せそうな顔して寝てたから...良い夢見てるんじゃないかと思って。
起こすのも悪いな、と.....。」

「朝飯食いっぱぐれるとこだったじゃねーか」
もう一度はたいてやった。

ジョゼは頭を抱え込むマルコを労る様に「大丈夫?」と声をかけている。


とりあえず早く食べなくては訓練が始まってしまうので、二人の正面に腰掛けて朝食を摂り始める事にした。

「でも兄さんが遅刻するなんて珍しいね。どんな良い夢を見ていたの」

ジョゼの問いにパンを口に運ぶ手がふと止まる。

ジャンはしばらく考え込んだ後、彼女に対して「.....お前、昔の将来の夢とか覚えているか」と逆に尋ねた。

「.....将来の夢?」
ジョゼがおうむ返しに言う。

「いや....何となく...覚えてるかなって....」
彼の返答はいつになく歯切れが悪い。

「うーん...」
天井の方を見上げながらジョゼは唸った。どうやら覚えていないらしい。

「......時計屋さんかな?」

ようやく彼女の中に浮かび上がって来たらしい答えはジャンを非常に落胆させた。

「.....違えよ!もっとこう....あるだろ!」

「えぇ?....そうだなぁ.....」

再びジョゼは腕を組んで考え込む。

「......時計塔の整備士「時計から離れろ」

言葉を放った瞬間彼女の頭は勢い良くはたかれた。

「そういうんじゃねーよ....!もっと女っぽい...色っぽい奴だよ...!」

「女っぽい?花屋さんとか?」
マルコが口を挟む。

「そうそう、その路線だ。流石マルコだな。」

「......あ、印刷工場で新聞刷るのにも結構憧れ「その路線っつってんだろが!!」

再びジョゼの頭がすぱんと小気味の良い音をさせながらジャンにはたかれた。

今度は彼女が頭を抱えてマルコに気遣われる番だ。

「もう良い....。クソ、オレの気持ちを踏みにじりやがって...」

がたりと空になった皿を持って立ち上がる。今はジョゼの顔も見たくない気分だった。

「お前なんか時計と結婚しちまえ!」

捨て台詞を残してジャンは肩を怒らせながら遠ざかって行ってしまう。

残された彼女はマルコと顔を見合わせながら「随分と今日はご機嫌斜めだね....」と呟いた。





座学の時間中、いつも隣に座ってくれるジャンがわざと一番遠くの席に行ってしまったのでジョゼは寂しい思いをしていた。


授業にも身が入らない。....自分は兄さんに悪い事をしてしまったのだろうか....


(将来の夢.....?私の夢はいつも兄さんの傍にいる事だったからな....)

もう一度過去の記憶を探ってみる。

(それで....大きくなっても一緒にいられるのは何かなって....)

思考が深まるにつれて板書をする手が止まってしまう。

(兄妹だといつか離れなくちゃいけないから....もっと近くにいられる....)



「私ね....将来兄さんのお嫁さんになるんだ」




ぼたりとペン先からインクが零れる。動揺のあまり前に座るコニーの席を蹴ってしまった。

訝しげな顔をして振り返る彼に謝りながらも、顔が赤くなるのを押さえ切れない。


........思い出した......。


そうだ、私は兄さんのお嫁さんになりたかったんだ.....。





ジャンは遠くの席に座るジョゼの後ろ姿をぼんやりと眺めていた。

(....流石に大人げない事しちまったかな....)

少し反省する。....でも、覚えていて欲しかったのだ。

(.....そういえば....もう10才は越えてるし...あいつは背もオレより少し低い位で充分でかい....)

(.............。)

(......胸も....結構あるよな.....)

そこではっと我に返る。

(何考えてるんだ...。オレ達は間違っても結婚はできねえ...。)

(でも....今でも....少しだけでも良いからその気持ちを持っていてくれたら....)

溜め息を周りに聞こえない位の大きさでつく。

(....やっぱりオレは...あんなに懐いてくれていたお前が離れていっちまうのが...少し寂しいよ....。)

もう一度溜め息をつくと、ペンを放り出して机の上に突っ伏し、彼は堂々と寝る体勢に入った。







「.....兄さん」

肩に優しく手を置かれ、その重みで目を覚ます。

顔を上げると教室の中にはもう誰もおらず、隣にジョゼだけが座っていた。

口元に付着していた涎を拭いながら妹の方を見ると、何故か気恥ずかしそうに目を逸らす。

(........?)

「に、兄さん....。早く....食堂に行かないと...。今度は昼食を逃してしまうよ....」

目を合わせようとしないままそう言う彼女は明らかに挙動不審だった。

まだぼんやりとする頭で「お前何かあったのか」と尋ねるとその頬に少し朱色が加わる。

「.....思い出したんだ....」

小さい声がぽつりと彼女の口から零れた。その言葉に胸の内がどくんと高鳴る。

「思い出したって....お前....」

「うん....。私の将来の夢....。」

ジョゼはハンカチをポケットから取り出すと、ジャンの口元をそっと拭った。

「私はね...兄さんのお嫁さんになりたかったんだ...」

夢の中でも記憶の中でもなく、直接本人からその言葉をもらうと想像以上に気恥ずかしい。

しかし彼女自身も恥ずかしかったらしく、下を向いてハンカチを持つ手をじっと見つめている。

「なぁお前.....今でも....そう思うか...」

何を聞いてるんだ、と心の中で突っ込むが、口から出てしまった言葉はもう戻らない。

「.....私たちは兄妹だから....」

「.....あぁ....そうだな....」

当然の答えであるのに落胆が隠せなかった。

「でも、今でも...勿論そう思えるよ。将来兄さんのお嫁さんになる人がちょっとだけ羨ましいもの....」

「......え?」

落胆した心が再び急浮上する。

しかしまだ素直になり切れず、下を向く彼女を見つめながら「.....じゃぁ....兄妹じゃない方が良かったのか?」と試す様な事を言ってしまった。

「そんな事ないよ。確かに兄妹じゃなかったら結婚はできるけれど....」

だがジョゼはすぐにそう答え、真っ直ぐにこちらを見つめて来た。
構成する遺伝子が同じなだけあって、自分と全く変わらない瞳の色をしている。

「やっぱり私は...兄さんの一番近くにいられる妹が良い。
私は一人では何も出来ない弱虫だけれど、生まれる前から兄さんが一緒にいてくれたって知ってるから...
だから、少しだけ強くなれたよ...?」

ジョゼがジャンの掌をそっと握る。白くしなやかな手だ。
同じものだった筈なのに...最近、性別の違いが随所に現れる様になってきた。

「私...兄さんの妹に生まれて良かったよ。毎日そう思って生きてる...本当だよ。」

「......そうか。」

「......うん。」

「......オレも....そう思うよ。」

「......うん。」

「...ジョゼ.....ごめんな。」

「私も...思い出せなくてごめんね...。」

「.....いいよ。もう...充分だ。」


「......充分だ。」

ジャンはもう一度呟くと、ジョゼの手を勢い良く引いてその体を立たせる。

「行こうぜ。腹が減った。」

そして先程までの不機嫌が嘘の様な笑顔でそう告げると、勢い良く走り出した。

当然それに急にはついていけないジョゼは、何回か転びそうになりながらようやく体勢を立て直して横に並ぶ。

廊下を走るなと途中で教官に怒られたりもしたが、気にする事は無く二人は一直線に食堂へと駆けていく...。



きょーん様のリクエストより。
ジャンとの恥ずかしい思い出話で書かせて頂きました。


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