「ベルトルトさん」
彼女は僕の事をこう呼ぶ。
「この前のテストが帰って来たんです。少し成績が上がりましたよ」
勉強を教えてあげるのは相も変わらず僕の役目だ。
「でもまだ何で間違えたかよく分からないところがあって....教えて頂きたいんですが....」
僕の事を見上げるその目付きの鋭さも変わらない。
「お時間、ありますか?」
でも、以前と大きく違う事がある。
「.....いいよ。放課後に図書室においで。」
ジョゼには、記憶がない。
「はい。ありがとうございます。」
僕の事も.....覚えてはいない。
*
「現文の成績ちょっと酷過ぎない?筆者も恨むよこの点数」
「はい.....。心理描写を読み取るのが苦手なんです、昔から....。」
「ジョゼは鈍感で間抜けだからなぁ。それは仕方無いんじゃない」
「ひどい....」
「というかそれ以前に字がヤバい。全く読めない。先生は採点よく頑張ったと思うよ」
「はい.....。仰る通りです。」
ベルトルトは隣に座るジョゼの頬をびよびよ引っ張りながらつらつらと辛辣な感想を述べる。
ジョゼは根っからの理数系らしく、その分野では比較的良好な成績を収める。
.....が、それ以外はてんで駄目だ。これも昔と変わらない事のひとつ。
......まぁ以前質問された古文の成績が随分上がってるからな....これには満足だ。
「.....ま、頑張ったんじゃない?お疲れ」
そう言いながら頭を撫でてやった。
柔らかい髪の毛の感触が気持ちよくて、いつまでも触っていたくなる.....ので、しばらくその頭をぐしゃぐしゃと掻き回し続ける。
「ベルトルトさん...頭が鳥の巣みたいになるから止めて下さい....」
「もうなってるよ」
窓の外では葉桜が夕日を受けて、その形を地面に投影していた。
樹々の影は濃く、これから訪れる本格的な夏の暑さを予感させた。
「でも成績が上がったのはベルトルトさんのお陰です。ありがとうございました。」
「君に勉強を教えるのは僕の役目だから....。昔から、ずっと.....」
「.....そうですか。」
(......敬語、嫌だな)
だが仕方無い。先輩に対して使う言葉としては自然だし....以前やめろと言っても直らなかった。
でも....何だかお前は他人だと線引きされてる様な気がして....
アブラゼミのジリジリ鳴く声が耳の裏にこびり付く。この時刻にも聞こえるものなのか。
....この部屋は冷房が効き過ぎだ。寒くて仕様が無い。
「ん....そういえば今日は停電かぁ。」
ジョゼの紙挟みからはみ出していたプリントを摘まみ上げながら呟く。
本日夕方から明け方までこの付近一帯が停電する事を知らせるものだ。
「.....嫌ですね...。停電。」
彼女は嫌そうに溜め息をついた。
「何?暗いのが怖いとか?」
面白そうな予感がして途端にベルトルトは元気になる。
「.....悪いですか」
しまった、失言をした、という表情でジョゼが返した。
「ジョゼの癖に可愛いこと言うね。気持ち悪いよ。」
「.....だって真っ暗なんですよ...?怖いじゃないですか....」
「ふうん。いつもみたいにジャンに泣きつけばいいじゃないか」
「.....兄さんは今日友達の家に泊まりなんです。」
「親は?」
「二人とも働いているので帰るのは遅くて....」
「ジョゼもジャンと一緒に泊まりにいけばいいじゃないか」
「....無理ですよ。話した事ない人ばかりですし」
「だろうね。ジョゼは人見知りだからなぁ。」
「.....分かってるんなら聞かないで下さい。」
「じゃあ僕が行ってあげようか」
「.........はい?」
「だから、僕がご両親が帰ってくるまでジョゼの家にいてあげようかって言ってるの」
「.........いいです」
「何でだよ。先輩が好意で言ってやってるのに。可愛くない子だなぁ」
「嫌な予感しかしないからですよ....」
「何でさ」
「自分の胸に聞いて下さい」
「.........?聞いてみたけどさっぱり分からなかった」
「とにかく大丈夫です。暗闇の中でベルトルトさんと過ごすよりは一人でいた方が幾分マシです」
「一回家に帰って着替えてから行こうかな....。あと二人で観るDVD持って行かないと。ゾンビと怨霊どっちが良い?」
「....見事に悪意しか感じられないチョイスですね。」
「じゃあ並木道下ったところで待ってもらってても良い?すぐ戻るから」
「いや、だから結構ですってば。」
「あっはっは。楽しみだね」
「いえ、全然」
「君の家、十字路直進したところだよね?坂の下に居なかったらそっちに直接行くから先帰っても無駄だよ」
「あーベルトルトさん....話を聞いて...ってもういない!?」
ジョゼはひとつ溜め息をつくと、机の上を整理し始めた。
こうなったら腹を括るしかないだろう。
(......でも)
一人で過ごさないですんで、よかった。
それにベルトルトの事は困った人だとは思うが嫌いではない。むしろ好きだ。
ほんの少しだけ楽しみだな....と思いながら、ジョゼは図書室をあとにした。
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