「まったく、二度とこういう事はしちゃ駄目だよ」
少し温めになった湯に浸かりながら僕はジョゼに話しかけた。
.....彼女は特に気にしていない様だが、未だにその体の方へ視線を寄越す事ができない。
以前ジャンにジョゼがそれなりにスタイルが良いという事は聞いていたが....確かにあるのだ。それなりの膨らみが。
「......でもどうしてもお風呂には入りたかったし.....まさかこんな遅くに誰か入ってくるなんて思わなかったから....」
彼女はしょんぼりしながら答える。
「......僕じゃなかったらどうするの」
「うん....?」
「前にも言ったけれど世間の男性は君にとっての僕やジャンみたいな奴だけとは限らないんだよ....」
「.....分かってるよ」
「......ジョゼは....何も分かっていないよ....」
「.....そうかな」
「何も....分かっていない癖に.....」
「.......ごめんなさい....」
.......違う。謝らせたかったんじゃない.....。
自分の気持ちを伝える勇気も無い癖に....ジョゼに信頼されている今の立場を手放したく無い癖に....
本当、駄目な奴なんだ僕は.....
「でもね....私は今夜マルコに会えて嬉しかったよ」
ジョゼがぽつりと呟く。
隣をちらりと見ると、彼女は湯船から少し出ている自分の膝小僧を見つめていた。
白い頬が上気して赤くなっているのが可愛らしい。
「だって、君とお風呂に入れる機会なんて滅多にないじゃない.....」
そう言いながらジョゼは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
彼女のグレーの髪は水に濡れると褐色じみてジャンのものに近くなる。それが水に濡れて肌に張り付き、別人みたいに見えた。
「まあそりゃあね....」
何だかどっと力が抜けた。
そうだ、ジョゼはこういう呑気な人間なんだった....
「....マルコは結構しっかり筋肉ついてるよね」
いいなあ、と言いながら彼女がそっと僕の二の腕に触れてくる。
状況が状況だけに、ぞくりとした感覚が背筋を這い上がった。
「多分、兄さんよりもちゃんとした体をしてるんじゃないかなあ....」
「そうかな....」
自然と顔に熱が集まる。
近付かれるだけでも緊張するのに、肌を直接触られるなんて困ると思う反面、もっと触れて欲しいと思ってしまう。
つくづく自分の中は矛盾だらけだ。
「.....でも、兄さんの裸を最後に見たのは訓練兵になる前だったから、今はどうか分からないけれど....」
ジョゼは僕の二の腕から手を離し、自分の膝の上にそれを置いてぼんやりと眺めた。
「......は?」
「あ、勿論上半身だけだよ」
彼女が照れた様に言う。
「......と言うと....?」
「よく兄さんと、こういう風に一緒にお風呂に入ったんだ...だから今日は何だかすごく懐かしい気分だよ....」
「........へ」
「まあ主に私が無理言って押し掛けちゃう事がほとんどだったけれど...」
「.........はあ!?」
あぁ、成る程......。道理でジャンがジョゼのスタイルの事情を知っていた訳だ。
何だあいつ羨まし過ぎる。とりあえず明日一発殴ろう。
そして....この子の危機感の無さはこういう所から育ったのだろう。うーん、やっぱりジャンが悪い。
「私はね...マルコの傍にいるとすごく安心するんだ...」
考え事をしていると、ジョゼの頭がそっと肩に乗ってくる。体は緊張でぴくりと震えた。
「初めて会った日の夜....私に話しかけて来てくれたのがすごく嬉しかった。今まで他人の方から話しかけてもらう事は無かったから....」
「そんな、僕は何もしてないよ.....」
「ううん...そんな事ない。そんな事ないんだよ、マルコ....。」
「そう、かな......。それなら僕も....ジョゼに話しかけて良かったよ....。」
「.....不思議だな。マルコはお兄さんみたいだけれど....何だか私の兄さんとは少し違うね...」
「.....そりゃあ....ジャンに似てると言われたら少しショックだな....」
「....正直だね。」
「.....僕は、ジャンでは無いんだよ....ジョゼ....」
「....知ってるよ、マルコ」
「うん.....」
今はまだ....これで良い。これで.....。
天井から、ぽたりと一滴雫が落ちて来る。
ジョゼの髪からもじわりと水が沁み出して、僕の肩を濡らしていく....。
.......僕に、勇気が無くて良かった.....。
今気持ちを伝えても.... 彼女を混乱させてしまうだけだろう....
もう少し待とう....。ジョゼの中で、変化は起こり始めている....。
「また、こうして一緒にお風呂に入りたいね....」
ジョゼが微笑む気配がする。
「.....そうだね」
.....正直心臓が持たない気もするが.....。
「でも中々そんな機会無いよね....こうしてばったり鉢合わせる事も奇跡の様な確率だし....」
「もう男性用の方に来ちゃ駄目だよ。絶対に。」
「......うん。」
彼女がしゅんとしてしまっているのが声色で分かる。一応反省している様だ。
「でもジョゼ....少し先になるけれど一緒にお風呂に入る機会はきっと...沢山あるよ....」
「そう....?」
「うん、きっとね....」
「そっか......。だといいな...」
「そうなるよ.....僕は、頑張るから.....」
またしても天井から雫が2、3滴垂れて来る。
それがジョゼの体に当たったらしく、彼女の口から形容し難い声が漏れた。
「え.....」
次の瞬間、僕の首にジョゼの腕が回っていた。
体の右半分には柔らかな彼女の体を感じる。
「あ、あのマルコ....ごめんなさい...!!雫が急に当たって....びっくりしてしまって.....」
ジョゼが急いで手を離した。その顔は入浴で上気していたのも相まって真っ赤になっていく。
「〜〜.......と、とにかく....っ...あの.....本当にごめんなさいっ.....!!」
たまらなくなったらしいジョゼはざばりとその身を起こして脱衣所まで駆けていく。
驚いた事に首筋まで赤くなっていた。
「............。」
......凄く、柔らかかった......。
思考が現実に戻ってくるにつれ、嬉しさと、恥ずかしさと、思春期として当然のやましい感情が湧き上がって来る。
「..........〜〜!!」
.....何なんだよ....!!本当にあの子は何なんだ...!!
待とうと思ったのに、今すぐにでも欲望に身を任せてしまいたくなる。
落ち着け.....落ち着くんだ.....。
そんな事をしたら今まで築いてきたものが全て台無しになるし、何よりジョゼの事をとても傷付けてしまう。それだけは絶対に駄目だ。
ゆっくりで良い....。この気持ちは掛け替えの無いものだから、大事にしていこう....。そう、決めているんだ....。
......それでも......それでもジョゼ.....、
「これは反則だよ、.....ほんと....」
その言葉と共に、深い深い溜め息が浴室の湯気の中へと紛れていった。
*
あ、あり得ない......!!!
自分は何てことを.....マルコに.....!!
ジョゼは体を拭くのもそこそこに大急ぎで服を着て脱衣所の外に飛び出した。
しっとりと濡れている髪から雫がぽたりぽたりと流れ落ちる。しかし、そんな事はどうでも良かった。
心の中には羞恥が渦巻き、今にも叫び出したい気分だった。
(......あんな格好で抱きついてしまったなんて....はしたない....)
今の今までなんともなかった事なのに、気付いてしまうとじわじわと恥ずかしさがこみ上げて来る。
(何で...何でこんなに恥ずかしいの....マルコだから大丈夫だと思っていたのに....!)
マルコはジョゼの中で信頼できるお兄さん、つまりジャンとほぼ同じ位置にカテゴライズされている。
だから今日、風呂で鉢合わせても何とも思わず、むしろ嬉しかったのだ。
(でもマルコは....兄さんとは違う....)
当たり前だが、今更それをまざまざと思い知る。
(だって、優しい顔をしているのに体はあんなに逞しくて...男らしい....)
抱きついてしまった時の事を思い出し、ジョゼは思わず口元を手で覆ってその場にうずくまる。
.......男。そうか....彼は....自分とは性別が違うんだ.....
それを、彼の体を全身に感じたあの時に....気付いてしまった。
遂先程まで何事も無い様に同じ浴槽に浸かっていた事実がたまらなく恥ずかしい。
しかし.....何でここまで恥ずかしくなるのかは分からなかった。
マルコは兄さんとは違う....かといって他の男の人とも少し違う....
ジョゼの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。感情のキャバシティが一杯一杯になってきたのだ。
(もう.....今日は寝よう....。それで明日....もう一度謝ろう....)
きっと自分は疲れているだけだ.....。寝て、食べれば元に戻るだろう....。
(何でこんなに胸が苦しいんだろう....)
今まで....ふとした瞬間に同じ感覚を味わった。マルコが笑う時、触れてくれた時、頭を撫でてくれた時....
でも、こんなに強く感じたのは初めてで....
(どうしたらいいのか分からない....)
遂にジョゼの瞳から涙がこぼれ落ちる。自分で自分の感情を制御できないのが....少し恐い。
「......胸が痛いよ....マルコ....」
ジョゼもまた....深い深い溜め息と共に言葉を吐き出した。
マルコとお風呂でいちゃつくというリクエストより。
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