「ジョゼ、一緒に帰ろう」
「う、うん.....」
マルコが柔らかく笑ってジョゼを誘う。しかし彼の柔和さに反比例してジョゼの表情は固かった。
昼飯時に聞いた話によるとジョゼと彼等は過去に色々あった様だが、その記憶の無いジョゼにとっては初対面の人間に何ら変わりはない。
元から人付き合いが得意では無かったジョゼは唐突な出来事に戸惑うばかりだった。
「で、でも....兄さんと帰る約束しているので....」
そして彼の折角の好意を遂、拒否してしまった。
突然現れた友人たち....彼等はジョゼ自身が全く覚えの無い過去の自分を好きだったと言う。
では今の私は?その時の私と今の私はきっと違う。
深く付き合って行く内に恐らく現在の私に幻滅してしまうのではないか....それがとても怖いのだ。
だって私は今まで友人と呼べる人もほとんどいなかった様な人間で......
「ん?ジャンならさっき屋上に無断に入った事がバレたらしくて入学早々呼び出されてたよ?
その時に長引きそうだからジョゼに先に帰る様に伝えておいてくれって僕に....」
.......逃げ道を断たれた.....
というか兄さん....一人だけ捕まるとか要領悪過ぎるよ.....
「さぁ帰ろう」
再び穏やかな笑顔を浮かべてマルコはジョゼに手を差し伸べる。
ジョゼがその手を疑問符を浮かべて見つめていると、軽く溜め息を吐いたマルコに右手を引っ張られた。
そのまま彼は歩き出してしまう。
「えっと....あの、」
ここはまだ校舎である。手を繋がれて歩くのは.....かなり恥ずかしい。
周囲からも何だか温かい視線を向けられている。ジョゼは顔にじわじわと熱が集まっていくのを感じた。
一方マルコは「いいから、大丈夫」と爽やかな笑顔をジョゼに向けているが、全然大丈夫ではない。
今まで手を繋いでもらうなんて家族以外で数える程しか経験はないし、更に相手は(多分)今日知り合ったばかりだ。ジョゼの緊張ボルテージはMAXまで上がった。
(でも.....嫌ではないかもしれない......)
それはマルコの温和な人柄が思わせてくれる事なのだろうか....
何だかジョゼは彼に触れてもらう時、懐かしくて嬉しい様な、それでいてとても切ない様な複雑な気持ちになってしまうのだ。
(彼は私にとってどういう人物だったのだろう....)
ジョゼは一歩踏み出してマルコの隣に並んだ。自分の頭より少し高い位置に彼の黒髪がある。
雀斑のある優しそうなその顔が、ジョゼは初めて見た時からなんとなく好きだった。
やがて校舎の外に出ると、しばらく二人は手を繋ぎながらも言葉少なで桜並木になっている坂の小径を下っていった。
元から口数が多く無いジョゼにとってこの緩やかな静けさは心地のいいものだった。
何だろう.....彼の隣はとても安心する.....。
「マルコ君」
「その呼び方やめてよ.....」
ジョゼが呼びかけるとマルコは少し不満げに返答する。
今日一日他の3人にも散々止す様に言われたが、どうも知り合って間もない相手を呼び捨てにするのは気恥ずかしかった。
「.....ごめんなさい...でも何だか恥ずかしくて....」
ジョゼが少し顔を伏せる。マルコはそれを見て少し寂しそうに微笑んだ。
「ねぇ....私と君は....以前どの様な関係だったのか....教えてもらえませんか....」
ジョゼの問いにマルコは少し考え込んだ。
「.....その口調も止めて欲しいなぁ....うーん、そうだね....まだ、友達だったかな...」
「まだ....?」
「いや、あまり深く考えなくて良いよ」
「仲は良かったんでしょうか...?」
「まぁ、僕からは割とそう思っていたよ」
「どんな話をしていたんですか.....?」
「どんなって....君はそこまで話す方じゃない癖に、
時々急に『何かお話をして』とせがむものだから君が喜びそうな話のネタを仕入れるのが大変だったよ....」
「え....」
『何かお話をして』これはジョゼが15才になった今でも人肌が恋しい時にジャンに言う台詞である。
今までこの言葉は兄であるジャンに対してしか使った事が無い。
目の前の男性は意味は理解していない様だが、彼に対してこの発言したという事は...過去の自分は相当マルコに気を許していたらしい。
「そう、ですか....」
「でも僕は君と話すのは好きだったよ」
「本当に....?」
自分はお世辞にも口が上手い方ではない。彼を楽しませる事はできていたのだろうか....。
「心配しなくても君はとても魅力的な女性だったよ。」
マルコはジョゼの心の内の不安を読んだ様に優しく言う。その言葉にジョゼの胸はずきりと痛んだ。
(.....だった、ね.....)
思い出せないのがとても歯痒かった。
昔の自分は彼等とどのような時間を過ごしていたのだろう.....。
彼の隣で.....自分はどんな風に笑っていたのだろう....また彼は....私をどんな風に見ていてくれたのだろう.....
「そうだジョゼ、携帯電話持ってる?」
マルコの言葉でジョゼは我に返った。
「は、はい.....。持ってます。」
この御時世持っていない高校生の方が貴重だ。
「良かったらこれ、僕のメールアドレスと番号だから....登録しておいてよ。」
今晩にでも君の方からメールを送ってくれると嬉しいな、と少し恥ずかしそうに言いながら、彼はメモに書かれた自分のアドレスを渡して来てくれた。
「はい....。分かりました、送らせて頂きます....」
ジョゼがそう言って淡く笑うとマルコはほっとした様に微笑んだ。
「それにしても便利な時代になったよね。前は遠くにいる人に急用があったら馬を走らせないといけなかったのに....」
「う、うま......?」
「いやぁ、こっちの話。そういう大変な時代もあったんだよ。」
マルコは笑いながらジョゼの頭を撫でる。
.....以前もこうして、彼に頭を撫でてもらった事があったのだろうか.....。
思い出したい....けれど何か....とても悲しい事もあった様な気がして思い出すのが怖い.....。
「じゃあジョゼ、僕はこっちだから.....」
十字路に差し掛かったところでマルコは右方向を差しながらそう言った。
ここの十字路にも大きな桜の木がある。
風が吹くと、淡い色の花びらを雪の様に散らす姿が、澄んだ空に良く栄えて美しかった。
ジョゼとジャンの家はこの道を直進した方向にある。どうやらここでお別れの様だ。
「それじゃあね」
マルコはもう一度ジョゼの頭を撫でた。
気恥ずかしさからジョゼが目を逸らすと、マルコはまた少し悲しそうに笑った。
そのままゆっくりと体を帰路へと向けて歩いていくマルコの後ろ姿をジョゼはじっと見つめていた。
(あれ.....)
遠ざかって行く彼の後ろ姿が、何故かジョゼの心をひどく不安定にした。
(駄目.....)
このまま永遠に会う事ができないのではないか.....そんな気持ちがむくむくと頭をもたげる。
(そんなの.....もう...絶対に....二度と嫌だ.....!!)
気付いた時にはジョゼは駆け出していた。
心臓は激しく波打ち、たまらなくなって後ろからマルコの腕を掴んでその歩みを阻んでしまった。
「え....ジョゼ....?」
マルコはかなり驚いた様子で振り返り、ジョゼを見つめた。
自分の腕を掴んでいる彼女は肩で息をして、軽く冷や汗もかいてしまっている。
明らかに普段とは違う様子に少し戸惑ってしまった。
「マ、マルコ君.....」
ジョゼがマルコの腕を握りながら真っ直ぐに見つめて来る。
「また明日....会えますか...?」
そう言うと空いている左手でマルコの制服をそっと掴んだ。
眉根は寄せられ、酷く不安げな表情をしている。
(........。)
マルコはいじらしい彼女の仕草に胸が一杯になった。
そしてやはりジョゼは心の何処かで自分を覚えてくれている.....と確信した。
彼女に掴まれていない方の手でその頬にそっと触れると優しく「大丈夫。また明日....必ず会えるよ」と安心させる様に言った。
......早く僕の事を思い出して欲しい。
その時に.....もう一度僕の気持ちを伝えたい......だから、どうか......
ジョゼはようやく安心したのかその両手をゆっくりと離した。
そして再び恥ずかしそうにその頬を染める。
「ごめんなさい....私....こんな事を.....」
消え入りそうな声でそう言う彼女が可愛らしくてマルコはもう一度彼女の頭を撫でた。
「....あんまり撫でないで下さい....恥ずかしいです...」
「今更だよ、ジョゼ....。」
それじゃあ今度こそまた明日ね、とマルコは手を振って再び歩き出す。
ジョゼはその後ろ姿をいつまでもいつまでも見送っていたが、やがてそれが見えなくなると何だか泣き出しそうになった。
そうだ。とても悲しい事があったんだ.....。
もう二度と....あんな事は.....
ジョゼは唐突にジャンに会いたくなった。
あの時も.....私は.....兄さんがいてくれたから耐えられた様な気がする.....
心が不安で一杯になってしまって今やジョゼは息も出来なくなっていた。
兄さんに......会いたい.......!
ジョゼは家への道を脇目も振らず一目散に走り出した。
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