ジャンと夜明け
「これが本物の敬礼だ!心臓を捧げよ!」
―――こうして、私たちは正式に調査兵団となった。
*
(....明日は遂に壁外調査に出発する......)
深夜3時、ジョゼはまんじりともできず自室の椅子に腰掛けていた。
寝なくては明日応える事は分かっていたが、どうしても気が昂って眠る事ができなかった。
(兄さん...マルコ....みんな.....)
沢山の優しい人に支えられて今の自分は生きている。彼等にはどうか幸せになって欲しかった。
しかし、その人たちは今何の理由もなく死の危険に晒されている。その事がたまらなく理不尽で、哀しく思えた。
(.....これからきっと、もっと辛い別れが沢山ある....)
自分はそれに絶えられるだろうか.....
(マルコ....私に勇気を分けて欲しい....)
マルコが死んだと聞いた時、怒りによって悲しみに打ち勝つ事が一時はできた。
しかし彼にもう会えないという事実は、どす黒い蜷局を巻いてジョゼの胸に鎮座し続けている。
とても重かった。
カツン
窓ガラスに何か当たった。
カツン
無視していると更にもう一回当たる。
訝しげに思って窓の外を覗いた。
「.....兄さん?」
3階に位置する自分の部屋の窓に、抜群のコントロールで地面から石を投げていたらしい。
....窓が割れたらどうしてくれるんだ....
ジャンは窓の下からジョゼの姿を確認すると、唇に指を当てて地面を指差した。
バレない様に降りて来い、という事だろう。
(了解)と目で応えると、カーディガンを一枚羽織って静かに部屋を出た。
*
「どうしたの兄さん」
宿舎近くの広場のベンチに腰掛けながら尋ねた。
昼間は人で賑わっている馴染みのこの場所も、深夜の静けさの中では知らない場所の様に思える。
冷ややかな風が心地よく、まだ空には星が瞬いている。
「....どっかの凶悪面がまんじりともできずにいるんじゃねーかと思っただけだ。
そうしたら案の定部屋に灯りが着いていやがった....」
「わざわざ来てくれたの....?」少し驚いてジョゼが尋ねた。
「あ、あぁ......」何故かジャンの回答は歯切れが悪い。
「.........いや.....本当は....まんじりとできなかったのはオレの方だ....。
それで....気付いたらお前の部屋の前にいた.....」
短い沈黙の後、ジャンがぽつりと言った。
「そう.....」
しばらく二人は黙って星を見ていた。
どちらともなく、二人の手は重ねられている。
どこかで鳥の鳴き声がする。夜明けが近い様だ。
「なぁ....」ジャンが口を開く。
「お前....マルコの事が好きだったのか....?」
静かな声だった。
「......好きよ....。きっとこれからも好き.....。」
ジョゼの手に力がこもる。
「ジョゼ、分かっていると思うがな.....」
「....分かっている、分かっているよ.....。
でも....男の人をあんな風に好きになったのなんて初めてだったもの....。忘れる事なんてできない.....」
「それは...辛いだろ....」
「そうね....。でも、マルコがある日ふと私にハンカチを返しに来てくれる気がするんだよ....。
彼は絶対に約束を破らない筈だから....
.....これはもう約束じゃなくて呪いだね、彼からハンカチを受け取るまで私は絶対に死ねない....。」
声は掠れていたが、涙は出なかった。
彼の言葉に呪われる事で、心は不思議な安らぎに包まれていた。
例え現実逃避と呼ばれるものでも、今のジョゼにはそれが必要だった。
「そうか......それならその呪いをかけてくれたあいつに感謝しないとな....」
ジャンが呟いた。
頭上では、空が濃紺から藤色へ少しずつ変わっていこうとしている。
星達がその日最後の輝きを瞬かせていた。
「ジョゼ、オレは怖えーよ....」
ジャンが空を見上げながら言う。
「自分がいつマルコと同じになるかも分かんねぇ....そもそも人類が巨人に勝つ事なんてできるのか?」
ジョゼは黙ってその言葉に耳を傾けている。
「なぁ.....ジョゼ....お前はオレを助けてくれるよな....?」
ジャンはジョゼの方へ向き直る。互いの似た色をした双眸が見つめ合った。
「オレも....お前の事を助けて、お前の力になる....
....だから、お前もオレの力になって、助けてくれるよな....?」
ジャンが重なっていた手を強く握った。その顔は今にも泣き出しそうだった。
ジョゼは兄のこんなに余裕が無い表情を見るのは初めてだったので、少し驚く。
しかし、それと同時に胸の中に優しい気持ちが広がっていくのを感じた。
「兄さん、私は貴方の力になりたい....どんな所にだってずっと着いていくよ....」
安心させる様にそう言って、ジャンの背中に優しく手を置いた。
空は藤色から茜色に変わっていき、いよいよ夜明けの時が訪れた。
白い光が次第にあたりの闇を追い退けて行く。
「ジョゼ.....悪いな....」
ジャンがごく小さな声で言う。その顔は暁の光に優しく照らされていた。
「悪くなんて無いよ....私たちは兄妹だもの....。だから、こういう時はありがとうと言うんだよ.....」
ジョゼが柔らかく笑った。
「あぁ.....ありがとう...ジョゼ.....」
夜明けの光が木々の上に拡がっていこうとしている。まるで黄金を透明にしたような色だ。
露で濡れた草原も、二人がいる広場も、調査兵団の宿舎も日の光を一面に受けて輝いている。
私はずっと....兄さんの背に守られているのではなく、隣に並んで歩きたかった....
だからこうして今貴方の隣りで夜明けの空を眺められている事を、とても誇りに思います....
この時に見た黄金の光が、何度でも何度でも、私たちの進む道を照らしてくれている―――
「いつか見る空」end
最後までお付き合いありがとうございました。
201309
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