「やあお兄さん、おはよう」
…………朝。食堂にて…平素そこまで親しくない少年の口から聞き慣れない単語を聞いて、ジャンは訝しげな表情をした。
「俺はお前の兄貴じゃねえよ……」
ていうか年ならお前の方が上だろ、と欠伸をしながら応える。
やがてジャンの姿を見つけたジョゼがいつものように傍までやってきた。
兄に対して「おはよう」と声をかけてから、近くにいた少年にも僅かな躊躇いの後同じように挨拶をする。
「うんおはよう、 ジョゼ。」
「……………なんだ。お前そいつと仲良かったっけ。」
自分の他はごく僅かな人間としか会話をしない妹が、意外な人物にも挨拶したことをジャンは不思議そうにした。
「仲が良い…のかな。話したのは昨日が初めて。」
「期間は問題じゃねえよ。俺はジョゼのこと好きだし。」
「えっ」
「なあ付き合おうぜ。お前この機会逃したら一生独り身だぞ、モテないんだろどうせ」
「えっ?」
「と言う訳でジャン、お前は俺のお兄さんな訳だ。よろしく。」
「「えっ!?」」
流れるように滑らかに、しかしとんでもない方向へと話は進んでいった。
キルシュタイン兄妹は相槌も打てずにそれを聞いてるしか無い。
「い、いやいやいやいやいや………」
膠着してしまった場に、遠慮がちにマルコが割り込んだ。
口を半開きにしていた兄妹は助っ人の登場に心から安堵した表情をする。
「付き合うっていうのは……まず、お互いの合意がないと成り立たないからさ……
ジョゼは…どうなのかな。初めて話したのは昨日なんだし、ちょっと急過ぎない?」
「あ……えっと、うん。すごい急だから驚いたよ。」
「いいよいいよ。まずは友達からっていうのが定石だもんな」
「やめろ下心があると分かり切ってる奴と誰が友達になるか。おいジョゼ、こいつの半径2キロメートル以内にはこれから近付くな」
「それ結構大変じゃない…?」
「いっいや、まずはジョゼが彼のことが好きなのかどうかが問題なのであって……」
マルコは冷静を保とうと深呼吸を一度してから話の内容を立て直す。
焦燥を孕んでいく彼の胸の内に反比例して少年の表情は晴れやかだった。
「俺は好きだよ」
「お前には聞いてない」
マルコには余裕が無かった。ぴしゃりと応答する。
「そうだね……。まだ話した回数が少ないから……でも、優しい人だと思ったよ。」
「なるほど、結婚しようか」
「おい通訳を連れて来い言葉が通じない馬鹿が出現した」
「馬はお前だろ」
「やべーこいつすげームカつく」
ジャンはこめかみに薄く青筋を浮かべて彼から妹を遠ざけた。
強く肩を引き寄せられたジョゼは少しよろめいてから兄の近くに落ち着く。
「お兄さん、そう怒るなよ」
「お兄さんと呼ぶんじゃねえこのクソ野郎」
「えっ、えっともう一度確認するけどさ、ジョゼは彼のことが好きって訳じゃ無いんだよね?」
マルコは落ち着けずにジョゼに再度確認を取っている。しかし彼の質問に答えてやる人間は誰もいなかった。
「……………………。」
朝からちょっとした騒ぎの中心となっていた彼らのことを静観をしていたベルトルトが、のっそりとその渦中にやってきた。
揃ってその方を見る四人。……ベルトルトは立ち止まってしばし見下ろした後、ジョゼの頭を一発叩いた。
「…………えっ」
数秒のタイムラグの後、状況が掴めずにぱちぱちと瞬きをするジョゼ。
それから「あ、ごめん。うるさかったかな」とベルトルトに謝るが、どうにも彼の不機嫌の理由はそれだけでは無いらしい。
「ジョゼの癖によくモテたな。良い気になるんじゃないよ。」
「モテてないし……良い気にもなってないよ」
「ああもう嫌だちょうムカつく。もう良い加減どっかに…ライナー辺りとでもくっ付いて落ち着いてよ。
それなら僕も許す。」
「なんでそこに俺の名前が!?」
騒ぎの輪が更に広がった。
「まあ……という訳でお兄さん。」
「二度とそれを口にしてみろ。ぶん殴るぞ」
「俺とジョゼの仲を認めてくれるかな」
「どういう風に受け取ったらこの流れで認められると思えるんだ」
「なージョゼ。お前この駄目兄貴と俺どっちが良いよ。」
「えっ……?だから、そんな……君のことを私はまだよくしらない……」
「そうか……。じゃあ俺の方が良いって言わせてやるから期待しておけよ!」
「おい通訳はまだか!?このポジティブ脳天気をどうにかしてくれ!!」
そうして……その後しばらく、ジャンは事あるごとに彼からどうしようもない嫌がらせを受けてはそれに引っ掛かることになる。
その度に少年はジョゼに「なっ、あいつ格好悪いだろ。俺のほうが断然頼りになる」と得意そうに言うが……彼女はどう応えて良いか分からずに曖昧に相槌を打つことしか出来なかった。
*
(今頃、ジョゼたちは壁外かー……)
少年は青年となり、憲兵団の公舎の窓から青く澄んだ空を眺めながらぼんやりとしていた。
同期の上位10名のうち、一人は殉死して他八人が調査兵団の兵士となった。
折角の憲兵団いきの切符を使用したのは一人だけだ。勿体ないと思うが、自身が繰り上げで憲兵となれたのはそのお陰でもあるから……感謝するのが良いのか。いや、それも違う気もする。
(ジョゼが調査兵団ね。エレンみたいな血気盛んな奴しか入団しないもんだと思ってたけど。)
トロスト区での戦いはひどいものだった。
それでも尚、自分が想う人は壁外に行くらしい。何が彼女…彼らをそこまで駆り立てるのだろうか。
(やっぱりジャンがいるからか)
ジョゼのことを単純に好きと思ってからも、やはり俺はジャンを嫌いだった。
だからあんな奴より俺といた方がずっと良い、もっと楽しい思いが出来ると何度となく説明したつもりである。
でも……彼女は曖昧な返事しかしなかった。兄が好きなのだろう。ずっと昔から、これからも。
(かなわねーよなあ。)
そして、ズルい。
あんなに利己的だったジャンまで調査兵団に…。心変わりの理由がなんとなく分かるから、素直にすごいと思った。
俺にはとてもその決断は出来ない。だから尊敬するしかない。
ついていくジョゼにしてもだ。血の繋がりは……いや、奴ら兄妹の絆は言葉の通り水より濃いのだろう。
他人が干渉してどうこうなるものでは無かった。
俺は何故ジョゼのことが好きになったのだろう。
単純に、鳥が死んでしまって心が弱っていたときに一緒にいてくれたから?
……………そうかもな。でも、そういうちょっとしたことが大事なんだ。
(……………。頑張れよー)
今の俺はもう彼女の助けになってやれることは出来ないけれど、せめて彼女の無事を……
あの鳥みたいに、翼が折れて食べられてしまうことが無いように祈るだけだ。
「………何してるんだお前。さっさと行くぞ」
「はーいはい。」
「………………。はいは一回だ。」
まだ馴染みの浅い上官に呼ばれて、俺の思考は現実に戻る。一角獣を背負った背中を追いかけて、その一歩後ろを歩いた。
沈黙のうちに歩んだ長い廊下へと、光を投げ掛ける窓の外では沢山の白い花が咲いている。
見覚えのある……いや、これはどこにでもある花だからな。結局名前は知らず仕舞だけど。
…………あの日、ジョゼが作ってくれた花輪を思い出した。
もしも彼女が鳥と同じようになってしまったら、俺はきっと泣くんだろう。
男にも関わらずよく泣いてしまうほうだから。
でも……無事に戻って来てくれたら、花束でも買って迎えてやろうと思う。
そのときにもう一度聞いてみようかな、俺とジャンどっちが良いか……
いや、選ばなくても良い。
まずはお付き合いして頂けませんか、改めて。と笑って言ってみよう。
はるか様のリクエストより
主人公に恋する男の子がジャンに嫌がらせを開始し、みごとに引っかかるジャン。で書かせて頂きました。
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