いつか見る空 | ナノ
(花、とか……?)


ちょっとした雑貨屋に入って乱雑に並べられた物を冷やかしているジョゼの傍で、マルコは向かいの花屋を見た。


いや、花は…それは喜んでくれるかもしれないが……何だかきざったらしすぎるし、何より枯れてしまう。

どうせあげるなら形に残る物が良いな、と思いながらマルコも狭い店内を見渡した。


(装飾品……)


安そうな素材で出来た首飾りだの腕輪、指輪が収められている棚に目が留まる。

………これらも悪くは無いが、身につけていては日々の過酷な訓練の邪魔になってしまう。

勿論持っていてくれるだけでも良いのかもしれない……。しかしそれだけでは少し寂しい気がした。


ちら、とジョゼの方を眺める。

彼女は熊の縫いぐるみをぼんやりと見下ろしていた。


「欲しいの?」

と聞いてみれば、「いや……。でも母さんがよくこういうのを買ってくれたから、なんだか家を思い出してね。」とゆったりとした言葉が帰ってくる。



「へえ…何匹いたんだ?」

「三匹。」

「………名前は。」

「ナマケ、メガネ、ツキノワ。」

「名前っていうか種類だね……。」

「名前付けるのって何だか難しくて。……でも三匹とも可愛かったよ。」


ジョゼは周りの商品に埋もれていた熊の腹の辺りを少しいじくった。

それに合わせて縫いぐるみはくったりと身体の向きを変える。


「家に帰りたくなったりは…する?」


縫いぐるみと戯れる彼女をぼんやりと見守りながら聞くと、「たまにはね。」といった呟きが返って来た。


「でも私には兄さんがいるし…こっちに来て友達も沢山できたから……まあ。」


そう言うジョゼは少々照れた様子である。

マルコは彼女の言葉の裏にあるこそばゆい感情を読み取ってやり、「そっか…」とだけ応えた。


それから、店内の壁にかかる小さな絵の数々を眺める。

どうやらこれも売り物らしい。

聞いた事も無い作家の名前が書かれた札が申し訳程度に添えられてあったり、中には中身が無くて額だけのものもある。


どうにも良い加減な店だ。

店主もカウンターの内側で老眼鏡越しに新聞を読むばかりで、たった二人だけの客であるジョゼとマルコにはあまり興味を示していない。

だが、店の空気は不思議と悪く無かった。むしろ雑多なこの空間に居心地の良さすら感じる。


(…………………。)


マルコは、空の額縁のひとつを壁から外して手に取った。

質素な白木の造りだが、ぐるりと段飾りが一周してある。そして四隅にささやかながら花を象った紋様が彫刻されていた。

嵌っていたガラスは埃まみれである。彼はそれを払うようにふうと息を吹きかけた。


…………ここには且つてどんな絵が収まっていたのだろうか。

額の造りからして版画や素描など、厚みの無い作品のようだ。今では知る由も無いが。


「ねえ、ジョゼ。」


声をかけると、今度は熊の耳の具合を気にしていたジョゼがマルコの方を向く。

薄暗い店内で深緑の瞳が落ち着いた色をこちらに投げ掛けてきた。


「いつか……一緒に写真を撮らないか。」


マルコは白木の額を見つめたままだった。

ジョゼは突然の持ちかけに…縫いぐるみから手を離すのを忘れてただ数回、瞬きをする。


「うん……良いよ。でも何でまた。」

「いやさ、こうやって一緒に過ごす毎日が僕にはすごく大切だから……。
それで大切過ぎるから、ただ無為に過ごすのが勿体なく感じちゃったんだよ。」

だから何かの形に残したいんだ。そう言ってマルコはようようにジョゼのことを見る。

彼女は未だに少々驚いているようだったが、やがて「そう…」と淡く笑った。


「でも写真を撮ってもらうには中々にお金がかかるよ……。きっと随分先のことになっちゃう。」

それこそ成人した後くらいにならないとそんなお金は……と言うジョゼに、マルコはその頃だってきっと一緒にいる筈だから大丈夫だよ、と穏やかに返す。


「それに今の技術は日進月歩だ。結構近い内に僕らも気軽に撮れるようになれるかもしれない。」


だから今日はその為の額を買ってあげるよ、とマルコは手の内の四角い白木の意匠をジョゼに見せてやった。


「…………何だか、マルコらしいプレゼントだね。」

ジョゼはそっと目を伏せて四隅を飾る花紋様に触れる。


「用意周到というか……準備万端っていうか。」

「でもこれを見る度にジョゼは僕と写真を撮るっていう約束をちゃんと思い出してくれるだろ?」

お前は忘れっぽいからな…と含み笑いしたマルコに、ジョゼは忘れたりなんかしないよ、と少々不満げにする。


「でも……嬉しいよ。うん、素敵な贈り物で…約束だと思う。」

ありがとう、とジョゼが礼を述べた。


「………何ならその熊の縫いぐるみでも良いんだけれど」

ちょっとからかうようにすれば、「さ、流石にこの年で縫いぐるみは…。」と彼女はやや恥ずかしそうにする。

そして、それに私もマルコと写真を撮ってみたいし…とこれもまた気恥ずかしげに付け加えた。


彼女の言葉を聞き届けたマルコは満足そうに頷く。


……………奥で新聞を読みふけっていた店主に白木の額縁を買い求めれば…空の額が欲しいなんて随分変わり者だね、と呟かれた。

マルコはこれから収める予定のものがあるので…と呟き返す。


へえ、なんだいそれは。

写真です。

ふうん、誰の。

僕と彼女の。


そう言いながらマルコはまだ店の奥の方にいたジョゼの方を視線で示した。

老人は…ほおと言ったきりあまり興味は示さずに、ただ額を皺だらけの茶色い包装紙で包んでいく。


……………結婚でもするのかい。


しかし、突然零された爆弾にも似た彼の言葉にマルコはひえっと変な声が出そうになった。


何驚いてるんだい、あんたら位の年で写真を撮るって言ったら成人か結婚の行事のどっちかだろ。

いや………あの、確かにそうですが。


マルコは浅く早く刻まれる鼓動を鎮める為に外套の上から胸に手を当てた。

それから、本当に小さな声で「そうなれば…良いのですが」と零す。


まあなんだ、頑張んな。


老人は何だか呆れながら、包装紙と同様に皺だらけの手で包みを渡して来た。


ああ金はいらないよ。中身だけ売れちまって処分に困ってたやつだから。

え……。でも、それは……

なんださっきから面倒な奴だな、そんならその額に収まるべき写真が収まった時にでも見せに来てくれよ。そんなもんで充分な価値の代物だから。


老人はそれだけ喋ってまた新聞を読み始めてしまった。


…………もう、話かけても何も答えてくれなさそうである。

マルコは仕方なしに包みを受け取った後、彼に一礼してジョゼの元に戻った。


そして彼女に包みを渡しながら、「少し早いけれど…クリスマスおめでとう。」と言う。

ジョゼはそれを大事そうに胸に抱いて礼を述べた。


「写真、撮れると良いね。」

そして少しの期待がこもった声で彼に囁く。


「勿論……うん、勿論だよ。絶対に撮ろう。」

マルコは先程の老店主の言葉を思い出しながら、ひとつずつ言葉を噛み締めるように応対した。


「そうだ、その額無料だったから…どうせだし熊も買ってあげるよ。」


そして切り替えるように言えば、途端にジョゼはまたしてもうら恥ずかしそうにする。


「い、良いよ……!本当に良いったら……。」

「強がるなよ、欲しいくせに。」


笑いながらマルコは相変わらずくったりとして、周りのごちゃごちゃとした品物に埋もれていた熊をその中から掬い上げてやる。

そして早足でカウンター内の老人の方に戻り、流れる仕草で会計を済ましてしまった。



……………店を出た時、マルコは茶色と緑色の毛糸玉が入った袋をひとつ、そしてジョゼが持つ皺くちゃの包みはふたつになっていた。

ジョゼはそれを申し訳ないような、照れ臭いような、けれど少し嬉しいような気持ちで見下ろす。


「大事にしてくれよ。」

歩き出しながらマルコが言った。

ジョゼは無言でこくりと頷いたあとに、多くの人が行き交う道……そしてそのまた向こうの空を見る。


細くなってしまった裸の枝の間から空を透かして見ると、ちょっと指先に触れただけでが音をたてて壊れ落ちそうに冴え切っていた。

そこに白い息を吐き出して何事かを考えたあと、ジョゼは「うん……。マルコって名前を付けて優しくするね。」と呟いた。

そしてもう一度ありがとうと礼を述べる。


マルコは「……その名前はちょっと、やめないか。」と苦笑しながらやんわりそれを思い留まらせようとした。


「ううん。この子の名前はマルコだよ……。すごく可愛がって大事にするから」

「いや、別にもっと良い名前があるって」

「じゃあ…ジャンにしようか「それもなんかやだ」

「………………………。」


彼女は少し困ってしまいもう一度包みを見下ろす。

でもやはり、彼の名前はもうマルコだと…ジョゼの中では決まっていた。


「ん……。じゃあ元の通りにマルコにしておくね。」

意見を曲げない彼女に遂にマルコも折れ、もう好きにして良いよ…と疲れた風にする。

それが面白くてジョゼがちょっとだけ笑ってしまうとマルコは笑うなよ、と少し不機嫌に言った。


しかし彼女が笑うのをやめないのでマルコも何だか馬鹿らしくなり、つられて笑ってしまった。



……少し、風の音が変わっていった。夕方になると街の石畳は鉛筆で光らせたように凍てついてくる。

その上をこつこつとした足音で踏みならしながら、二人は賑やかな街から馴染みの訓練場に向かっての帰路を辿り始めた。



まさお様のリクエストより
マルコと冬のデート。で書かせて頂きました。

作中登場いたしました『チェスナットブラウン』はウィスタリアさんでよくマルコの瞳の色の形容に使われるものです。
使用のご許可を下さった藤乃様、どうもありがとうございました。



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