「…………おい、マルコ。」
鼻の頭を赤くしながら、ジャンはまたしてもずびと鼻を啜っては隣に立ち尽くして冬の海を眺める友人に話しかける。
「こんなしんどい思いして来たんだ。言い出しっぺの責任取ってちょっと海入って来いよ」
「嫌だよ寒い」
「今日オレが風邪ひいたらお前の所為だからな」
「知るかよ」
すげない返答の連続である。
それを聞いたエレンはまたしても呆れた様にし、ミカサは無反応、アルミンは苦笑した。
沖のほうには二、三艘の小舟がゆったりと横切って往く。
やがてそれらは鳩が地へ舞いおりるように徐々に、一艘ずつ半町ほどの沖合いに屯していった。
五人は終始無言であったが、ジャンのみが時折「あーさむ」「誰かの所為で」と言ったような詰まらないことをぶつぶつと呟く。
…………最初は聞き流していたマルコだったが、やがて何かを考える様にしてからゆっくりと頷いた。
そして口を開く。
「よし分かった。じゃあお前の望み通り海に入って来てやろう。」
彼の言葉に、その場に居た他の四人は驚いて彼の方を見る。
中でも言い出した本人にも関わらずジャンが一番驚いていた。まさか本当に実行するとは思わなかったのだろう。
「ただし」
そこでマルコは隣にいたジャンの腕をはっしと掴んだ。
「お前も一緒にだ。」
そう言ったマルコの表情は得も言われぬ良い雰囲気を纏ったものであった。
「………………はあああああ!?」
一拍置いてジャンは頓狂な声を上げる。
それに構わずマルコは彼の腕を引いたままずんずんと冷たく白い波が押し寄せる浜のほうへと向かって行った。
「ちょ、ちょちょちょっと待て!なんでそうなる!!お前ひとりで勝手に入って来いよ!」
ジャンの悲鳴に似た叫び声に応えて、未だ笑顔のマルコは彼の方を振り向く。
そして「ジャン、これはいわば僕からの勝負の持ちかけだよ。」と呼びかけた。
言葉の意味が分からず数回瞬きをしたジャンの方へ、マルコは一歩前に踏み出して近付く。
「………もし。僕がお前よりも沖の近くへ行くことが出来たら、良い加減にジョゼと付き合っていることを認めてもらう。」
勿論結婚を前提にね、と付け足したマルコの笑顔はどんよりと曇った空の色を打ち消さんばかりの澄んだものであった。
………………ジャンは微動だにせずそれを聞いていたが……やがて彼の言葉の意味を理解したのか、「はあああああ!?」と再び叫び声をあげる。
「さ、行こう。精々お前はくるぶしが浸かった辺りで音を上げるだろうからズボンを捲るのは少しで良いと思うぞ」
だがマルコは一向に構わずに靴及び靴下を脱いで冬の冷たい海に入る用意を整えている。
それを聞いてジャンは流石に癇に障ったのか「おう言ってくれたなこのロマンチック助平そう簡単にジョゼとイチャつき合えると思うなよ」と吐き捨てる様に言いながらマルコに倣ってスニーカーを脱いだ。
「「「…………………。」」」
その様を、エレンたち三人は無言で見守っていた。
それぞれ色々と考えるところを抱えながら。
ふと。
エレンの傍で…もう磯の方近くまで言ってしまった二人を眺めていたミカサがするりと隣を通り抜けて、彼等に近付いていく。
先程のジョゼとは対照的な赤い色をしたマフラーがそれに合わせてゆらりと揺れた。
((…………………?))
エレンとアルミンはその様を不思議そうに見つめる。
平素より、ジョゼを抜いた例の二人のもとにミカサの方から傍に訪れる…というのは滅多にないのだが。
やがて、自分たちに近付いて来たミカサにジャンとマルコも気が付く。
二人とも靴、靴下は勿論脱いだ状態で、ズボンは腿の辺りまでたくしあげて氷のような海に挑む準備は万端の状態だった。
「……………………。」
「……………………。」
「……………………。」
全くの無言で見つめ合う三人。
ミカサが何も言わないので、ジャンとマルコは状況がよく把握出来ずに首を捻る。
が、次の瞬間。ミカサは履いていた黒いブーツと厚手のタイツを脱ぎ捨て、スカートをたくし上げては腿の辺りでぎゅっと結んだ。
元より露出されることの非常に少ない彼女の真っ白い脚が突然あらわとなった事態に、ジャンのみならずマルコも目を丸くする。
「言っておくけれど」
しかし彼女は二人の慌てた反応を気にする様子はまるで無い。
岸との間に大きい白い磯波が巻き返している海を真っ直ぐに眺めながら、ゆっくりと声を発する。
「私が貴方たちの関係を認めた覚えも無い。」
それだけ言い切ると、ミカサは何の迷いも無い足取りで水平線を目指すが如く直進していってしまった。
ぽかん…として傍観していたジャンとマルコだったが……やがて彼女の言葉、そして行動の真意を理解すると途端に、マズいとでも言う様に顔を見合わせてその後を追う。
………お互い思うことは様々であったが…とりあえず今の状況はヤバいという何とも言えぬ焦燥が二人の胸を駆け巡り……
「おいミカサ、待てったら!!」
「た、頼む…、思いとどまってくれ!」
と口々に彼女を引き止める声を発して、遂には駆け出して凍てつくような波の中に足を踏み入れていくこととなる。
そして後ろからは何故か「よく分からねえけど楽しそうだからオレも混ぜろよ!」と言う死に急ぎ野郎の声が近付いてくるのを聞いて…ますます面倒なことになった、と頭を抱えたい気持ちになるのだった。
*
…………………ジョゼが皆の元に帰って来た時に、まずその状況への理解不能さと呆れから持っていた温かい缶の飲み物を六本、全て取り落としてしまった。
この海辺にやたらと多い藪草の間に転がっていくそれら。
呆然と立ち尽くしてしまったジョゼに代わって回収してやるアルミン。
疎らに砂の上に頭を垂れる藪草たちは乾いた狐色である。けれど潮を吸ってはどこかしっとりとしていた。
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