アルミンの時計とボタン 後編
「...できた」
無表情ながらも満足そうにジョゼは言った。
きちんとあるべき所にボタンは戻っていて、予想通りとても綺麗に仕上がっていた。
「ありがとうジョゼ。助かったよ。」
「どういたしまして。」
ジョゼが微かに目を細めた。
ジョゼが上着を返す為に軽く畳んでいると、ポケットから何かが滑り出してきた。
「あ、時計ポケットにいれたままだったんだ。」
銀の鎖がついた懐中時計をつまみ上げる。上着と同じくこちらもくたびれていて、古い物が持つ独特の雰囲気をまとっている。
ジョゼは僕の手からぶら下がったそれをしげしげ見つめた後、「...触っても?」と遠慮がちに聞いた。
とくに断る理由が無かったので どうぞ、とそれを渡す。カチャリと音を立てて時計は彼女の手の中に収まった。
「.......。」
ジョゼは無言で片手に包み込まれたそれを見つめている。
時計というのは見られる為に誕生した物である。
しかしこうもじっくりと見つめられた経験は数える程しかないだろう。(ただし時計屋でのオーバーホールは除く)
「それは僕の祖父のものだったんだ。」
「そう...とても大事に扱われているね...」
「ジョゼは機械が好きだよね。技巧術の成績もいいし...」
「そうだね、好きだよ。...時計がある事で私たちは広大な時の流れの中でも自分を見失わずに生活できるし、
立体起動装置は脆弱な人類が巨人の脅威に対抗できる唯一の手段だからね...
長い年月をかけて矮小な人類は強大な自然の摂理に立ち向かう為に知恵を絞り、改良を重ねてこれ等を生み出してきたんだ...。機械は人類が努力を惜しまなかった証だし、それを私はとても誇りに思う。」
文字盤の上に視線を固定しながらジョゼは言った。
その言葉は図書室の静かな空気の中にゆっくりと沈んでいく。
「でも」
目線は時計から動かさずに再び彼女は口を開いた。
「結局の所努力にも限界があるし、自然の脅威に対抗できる手段なんてたかが知れている...。
生命が持つ爆発力や力強さに機械が勝てるわけないんだ...。
...それは毎年出る大量の調査兵団の犠牲者数からも推し量れる...。
どんなに努力しても持たざるものとして生まれてしまえば、あらかじめ持って生まれたものに適うはずがない...」
まるで独り言の様に呟く。自分自身に言っているのだろうか。
そしてその言葉は僕にも痛い程理解できた。
絶対埋まらない才能の差がある事や、彼等に適う日が一生来ない事は認めたくなくても事実として目の前に立ちはだかる。
「...それでも...私は兄さんの力になりたい...」
ポツリとジョゼは言った。
視線は未だに時計の上に固定されていたが、瞳はもはやそれを見ていなかった。
...そうだ...僕にも、力になりたい人がいる。助けたい人がいる。
自分が無力だからって努力をやめてしまえば、今まで自分を形作ってきた物さえも否定する事になってしまう。
それだけは絶対に駄目だ。
「だからかな...機械を見ると頑張らなくてはいけない事を思い出すんだよ。」
ようやくジョゼの目がこちらを向いた。
「この時計、すごく丁寧に使われている。長い間一生懸命働いて来たんだろうね...。」
そう言いながらジョゼは僕の手を軽く握り、時計をそっと置いた。
その手つきは驚く程優しくて、なんだか涙が出そうになった。
「アルミンの事、私は好きだよ。」
「え!?」つい図書室に場違いな大声を出してしまった。
「機械を大事にする人は好きなんだ...
それにアルミンはいつも頑張っている...その姿を見るだけで勇気が湧いて来る。
エレンもミカサも、君たちは本当にすごいと思う...。とても尊敬しているよ。」
まっすぐにこちらを見つめられる。その瞳は汚れを知らない子供の様に澄んでいた。
*
「アルミン、そろそろ夕食の時間だ。行こう。」
そう言ってジョゼは腰を上げた。
手を引かれて図書室を出ると、窓の外はすっかり茜色に染まっていた。
夕食の時、エレンとミカサにジョゼにボタンをつけてもらった事を報告しよう。
きっと二人は羨ましがるはずだ。(特にミカサ)
ジョゼと並んで食堂に入ると、さっき僕が力になりたいと、心からそう願った二人が笑顔で迎えてくれた。
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