「…………ジョゼ。今日、何か忘れてない?」
いつもの帰り道…別れ際の十字路で、ジョゼはマルコに尋ねられた。
彼女は瞬きをゆっくりとしながら彼の事を眺める。
しばし二人は見つめ合うが、やがてマルコが「……ごめん、なんでもないや」と苦笑めいた表情をして話を切り上げた。
「そう……?」
「うん、それじゃあまた明日ね。」
「…………、分かった。また明日。」
二人は別れの挨拶を告げて別の方向…家路へと歩き始める。
しかしジョゼはどうも釈然とせずに、マルコの質問の意味を考えながら道を辿った。
何か…忘れている?
自分はそこそこ迂闊な性質だからその可能性は大いにあるが、マルコは何を忘れているのかは教えてくれなかった。
首を捻りながら冷えた指先を摺り合わせるが答えは見つからず……やがてジョゼの思考も逸れていき、この件は終わりになったかのように思えた。
しかし、彼女の心には一抹の不安がじわりと薄く滲んでいく。
*
ジャンが上機嫌で帰宅をすると、ジョゼがリビングで宿題を広げていた。
軽く帰ったぞ、と言えばいつものように「おかえりなさい」と返される。
「……お前折角自分の部屋あるんだから勉強はそこでやれよ…。」
テーブルを挟んだ彼女の向かいに制服のままで腰掛けて、零す。
ジョゼはううん、だとかはっきりしない言葉を口にした。
……………しばしの沈黙が二人の間に落ち込む。
「………………。」
何となく事情を察したジャンは軽く妹の頭を叩いた。ジョゼは小さく「いた」と漏らす。
「お前はほんといくつになっても仕様が無い甘えただよなあ」
「いや……そんなんじゃ。ないよ。」
「じゃあどんなんだよ」
「………………。わ、私の部屋は二階だからさ…ちょっと酸素が薄くて」
「どんだけ高所にあるんだお前の部屋」
ジャンは呆れながらも満更な気持ちでは無かった。
…………ジョゼは、心に不安や引っ掛かりがあると一人でいられない性質の人間である。
今日も何かあったのだろう。
そして、玄関から一番近くで落ち着けるここで自分のことを待っていたに違いがない。
「………まあ、なんだ。話なら聞いてやるぞ」
オレはやさしーからなあ、とジャンは得意げになりつつ鞄の中から…今日もらった義理と思しき…市販のチョコレート菓子を開け、中身をばらばらと数個彼女のノートの上へ落としてやった。
ジョゼはそれらがノートを汚す前に素早く横に避ける。「ありがとう、兄さん」と礼を言うのを忘れずに。
「別に良いって。自慢じゃねえがしばらくチョコには困らねえからな」
「……………そう?」
妹から何かしら反応があることをジャンは期待していたが、彼女はほんの少し首を傾げただけで大人しくチョコレートを食べていた。
彼は少々落胆する。
「あー、なんだその。お前は作らないのか」
「なにを」
「チョコレート。」
「……なんで?」
「なんで…って。今日はバレンタインだろうが」
だからなあ、日頃世話になっている兄貴にくらいには…と続けようとしたジャンだったが、ジョゼがチョコレートをまさに口に運ぼうとした形のままで固まってしまっているのを見て……「おいどうした」と質問する。
「……………ということは。今日は、2月14日。」
「おう……。そうだぞ」
「バレンタインデー………なんだ」
「だからそう言ってるだろ」
「……逆から読むとデンイタンレバー……」
「………??気をしっかり持て?」
………その数秒後、ジョゼは凄まじい勢いで机に突っ伏した。
額を打ち付けたらしく、ごんと鈍く痛そうな音がする。……そしてうめき声。
ジャンはさっぱり状況が掴めずにただ唖然とするだけである。
「う、うわああ………」
「どうした、落ち着けよ。ここはきちんと酸素がある一階だぞ」
「ああ…ごめん……。ほんっと申し訳ない……うわああ…マルコ……。」
「………………。忘れてたのか。」
「そうだね、甘い匂いが確かに今日は一日中してた…。どこかで調理実習があったのかと…」
「まあお前は友チョコとかにも無縁そうだもんなあ」
気が付かないのも無理はねえ、とジャンは愉快そうにけらけらと笑う。
…………彼はそれなりに端正な容姿をした人間であったので、例年の如く義理も合わせると相当数のチョコレートを手に入れていた。
「なんかミカサがすごい丁寧なラッピングでくれたあれもチョコだったんだ」
「ちょっと待てなんだそれオレもらってねえぞ」
「とっとと、とにかくどうしよう…今から作って…駄目だ、今日中は絶対間に合わない」
「おいさっきの話を詳しく「うわあ…宿題してる場合じゃなかった、ちょっと出掛けてきます」
「こら待てこの野郎」
ジャンの制止を振り切って、ジョゼは脱兎の如し早さで玄関へと向かう。
…………これで先程のマルコの発言も合点がいく。
なんということだろう……。これでも恋人の自覚はそれなりにあったというのに。
自分の迂闊さが今日ほど呪わしいことは無い、とジョゼは険しい顔を一段と厳しい表情にしてひたすらに例の十字路まで走った。
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