いつか見る空 | ナノ
「寒う!!」


堪らなくなってジャンは思わず声を上げた。

それに同調するように、隣のジョゼもこくこくと首を縦に振る。


「畜生誰だよ、今の時期の海も綺麗だから行ってみようとか言い出したロマンチック助平野郎は!!」

「助平は余計だろ!!僕は健全だ!!!」


寒さを打ち消す様に大きな声でマルコは言い返した。



「でも……確かにマルコの言う通り、この時期の海も静かで綺麗だと思うよ。」


ジョゼは…そんな二人のやり取りに少しだけ笑ってから、そう言う。


「そうかあ?どこを見渡しても濁り切った鼠色が広がるだけだが。」

「そんなこと言わないの兄さん…これも趣きがあるというものなんだよ。」

「趣きい!?まさかお前に趣きを語られるとは思わなかったぜ…どこもかしこも全く趣いてないお前に…」

「ひどい……」


ジョゼはぽつりと呟く。

そんな彼女の首でたなびくマフラーの加減を気にしつつ、ミカサはそれを結び直してやった。

だが、どうやら力が入り過ぎたのかきつく締まってしまったようでジョゼは少々顔をしかめる。


「ジャン。ジョゼにそういう雑言を言っては駄目。」


ミカサは、苦しそうなジョゼには気が付かずにジャンに注意を促すようにした。


「お、おう。その通りだな、悪かったなジョゼ。お前は全身趣きまみれの人間だよ。」

「ああ……うん。ありがとう。」


ジョゼはマフラーを緩めながら兄になんと言葉を返して良いか分からずに…とりあえず礼を述べた。


ミカサは相変わらずジャンにじっとりとした視線を向けていたが、やがて今度は逆方向の隣にいるエレンのマフラーの加減を気にし始める。

エレンはやめろよ、と母親のような彼女の行為を嫌そうにした。



「…………あ、見て。飛行機。」


一方、アルミンは寒さを気にせずにどこか楽しそうにしている。

そして上空をゆっくりと、低い音を響かせて横切っていく飛行機を指差した。


六人はそれぞれの面持ちでぼんやりとそれを見上げる。



「…………飛行機かあ。オレ乗ったことないや。」


小さくなっていく白い機体を見送る様にしながらエレンが呟いた。

そしてほうと溜め息を吐く。


「さてはお前、怖くて乗れねえんだろ。」

彼の言葉を茶化しながらジャンが応えた。


「馬鹿、それはお前だろ。」

相変わらず売り言葉に買い言葉である。


………しかし、ミカサがそれを諌めるように不穏な空気を醸すので二人はひとまず口を噤み、口喧嘩に発展しそうだった場はひとまず収束した。



「あれどこに行くんだろうね……。外国かなあ。」

ジョゼが未だ点となって見えている飛行機を見つめたまま零す。


「さあ…。日本国内の可能性もあるけどね。」

マルコはそんなジョゼの横顔に笑いかけながら返した。


………彼女は溜め息を吐く。それは外気に冷やされて白くなっていった。



「やっぱりこれから寒くなるから…皆あったかいところに行くのかなあ。」

「そういう人もいるかもね。
でも普通はまだこの時期には仕事やら学校やらがあるから…渡り鳥みたいに簡単には避寒できないよ。」

「それもそっかあ……。」


ひたすらにぼんやりとした会話である。


だが、マルコはジョゼとこうした意味の無い言葉を交わすのが好きだった。

彼女ののんびりとした心持ちを少し分けてもらえるような気がして、落ち着くから。



「でもいつか…飛行機に乗って、外国とまでは言わないけど皆でどこかに行ってみたいね。」


遂には見えなくなってしまった飛行機の方角から目を離して、冷たい紺碧の波が打ち寄せる海を眺めながらアルミンがまた機嫌良く言う。


彼はどうやらこの状況を楽しんでいるようであった。

………自分たちが住んでいる街から電車に乗って数十分ほどであるが…非日常なこの光景が、彼の澄んだ青い眼をきらきらと輝かせている。

冒険や探検とまではいかない些細なことだが、平素からの離脱は常に彼の心を踊らす何かがあるらしい。



「いいねえ。皆で旅行かあ……。私、北海道に一回行ってみたいなあ。」


ジョゼはアルミンの提案に乗り気になったようである。表情の変化は少ないが、その頬が微かに紅潮した。


「北海道は熊が出る。食われるからやめろ。」

それに対してジャンがぴしゃりと言う。そして自らの両腕を抱き締めて寒さを堪える様にした。


「…………お前、怖いのか。熊が。」

人が居るところじゃ滅多に出ねえだろ…とエレンがぼそりと言う。


「馬っ鹿、どこの誰が怖いって!?」

ジャンはエレンの少々呆れた態度に我慢がならないという様に叫んだ。


「大丈夫。熊くらいなら私が倒す。」

「………流石のお前でも熊は厳しいだろ…。」


その脇で零されたミカサの言葉にマルコが苦笑する。


「問題無い。私が勝つ。」

「いや……だが…。」

「私が勝つ。」

「ああうん…。そうなんだろうね。」


頑としたミカサの主張に遂にマルコは折れて相槌を打った。

……というか、本当に勝てそうなことも問題があるような気がするのだが。



「っていうか寒い時に寒い土地の話すんなよ。どうせなら沖縄とかにしようぜー。」


ジャンの言葉の背景ではさざ波の音が静かにする。

灰色の雲の影が落ちてきて、海面は柔らかな紺鼠色となっていった。


「沖縄はハブが出るぞ。」

「はい沖縄中止ー。やめやめ。」


エレンの言葉に、すぐさまジャンが沖縄行きの取りやめを決定する。


………そして白い溜め息を吐いてから鼻をすすった。

ジョゼは無言のままそんな兄に布のケースに収まっているポケットティッシュを手渡す。

彼はサンキュ、と小さく言いながら一枚取り出して鼻をかんだ。



辺りには冷たい一迅の海風が浜の砂を少し舞わせて吹き、きんとした寒さが漂う。

だが空気が澄み渡っている所為で、どこか気持ちの良さを六人は感じていた。




「…………さっき自販機を見かけたから…何かあったかいもの、買ってくるよ。」


しばらく皆黙って海のほとりに立って、白く泡立った波が寄せては返すのを見ていた。

だがやがてジョゼがぽつりと呟いて持ちかける。


いくら心地が良いと言っても身体は確実に寒さに蝕まれていた面々は、これは有り難いと一様に首を縦に振った。


ジョゼは、自分の提案が受け入れられたのが嬉しいらしくまた少しだけ頬を染めてそれに応える。



「………じゃあ、ちょっと待っていてね。」


そう言ってジョゼは深い青色のマフラーを翻して急ぎ足で遠ざかって行った。


その背中にミカサが「ジョゼ、マフラーがまた緩んでいる。風邪を引くからちゃんと巻かないと駄目」と呼びかける。


…………だが、もう彼女にその声は届かなかったらしい。

ジョゼのマフラーの裾は相変わらずひらひらとして冷えきった空気の中でたなびいていく。



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