「……本当に産まれたんだなあ…」
「そうだよ。…きっとすぐに大きくなるよ。身長もマルコを抜かしちゃったりするかもね。」
「うーん。もうちょっとこのままでいて欲しいかなあ…。」
「そうだね…。でも、時が経つのは本当にあっという間だから…。
この子と過ごす毎日を大切にしないとね。」
「うん……。」
(15巻ネタ、マルコの死を強調した話です。苦手な方はご注意下さいませ。)
肩を揺すられて起こされた。
古い厩には友人たちのまどろんだ寝息、傍らでは固く冷たく時が刻まれる気配が微かにしている。
それを拾い上げて確認した。……自身の見張りの時間である。
「…………。兄さん、お疲れ様。」
寝起きの舌足らずの口調で、先までその役割をしていた兄を労った。
彼の顔半分は深い闇に沈んでいた為にその表情をよく伺うことは出来ない。…しかし疲れていることは分かった。
ジャンだけでは無い。今日は皆くたびれている。…だが、不思議とジョゼは疲労を感じていなかった。
高揚しているのか、奮い立っているのか…真逆の臨界を突破していたのか。どれかは定かでは無いが。
「ああ、お前も…あんまり無理するなよ」
「大丈夫だよ。ちょっと寒いけれど……」
ジョゼは応えながら毛布の中から這い出して銃を受け取る。凍てついており、外気以上の冷たさを蓄えていた。
「いや……そうじゃねえよ。」
ジャンは外へと向かう彼女の背中に静かに声をかける。彼女は振り向いてその続きを待った。
「……………平気か。」
「心配しなくて大丈夫だよ。ありがとう、兄さん。」
「そうか……。」
「……………。兄さんは優しいね。」
それだけ呟いて、ジョゼは白熱する星灯りの元へと向かう。
彼の妹で良かったとぼんやり考えながら。
*
ジョゼは青い闇の中で目を凝らしては、先刻腕に抱いていた筈の温もりを確かめるように自身の掌をじっと見つめていた。
(確かにここにいた。)
…………私の、子供。
そして君の、子供。
温まっていた指先が外気に晒されて徐々に冷えていく。胸の内も深々と凍えていくようだった。
………何となく、持って来た白い額縁を胸元から取り出す。自ら発光しているかの如く清々しい空気を纏っていた。
「寒い」
端的に呟く。白い息が闇の中へと溶けていった。
「寒いな」
………少しして、傍から男の声がジョゼに応える。
当然独り言のつもりだったので彼女は大いに驚いた。…しかし表情はいつも通り鋭い貌に定まっている。
「…………リヴァイさん。」
暗がりから姿を現した上官の名を呼んだ。彼は何も返事をせずにジョゼの隣に並ぶ。
「どうしました」
無言のリヴァイにジョゼは短く質問した。……彼はしばらく黙ったままだったが、やがて口を開く。
「クソを…しようと思ってな。」
「こんな真夜中にクソとは相変わらず快便ですね」
「お前の調子はどうだ」
「人並みでしょうか」
ジョゼとリヴァイは視線を交えずに会話した。
少しだけ…彼女にはこの無愛想な上官が起きて、自身に声をかけた理由が分かる気がしてくる。
兄と言い彼と言い、他の友人たちと言い…自分は人には恵まれているなあとジョゼはしみじみと感じ入った。
「…………。分かってはいたが、お前は中々に図太い野郎だよ」
リヴァイはゆっくりと切り出す。ジョゼは(野郎じゃ無いんだけどなあ)と思ったがそれを口にはしなかった。
「そうでしょうか。」
「アルミンは混乱している。
あいつは頭が良いが優しい人間だ。それが奴を苦しめている」
「………そうですね。」
「では…反対にお前は頭が悪くて人情に欠ける人間なのか。
…………………。そういう単純な話ではねえよな。」
初めてリヴァイはジョゼの方を向く。………彼女は遠くの黒い森を眺めたままだった。
「それは……どうなんでしょう。あの時の私は正直に言えば高揚していました。
……トロスト区での攻防も、初めての壁外調査も…きっと私は戦うことが単純に好きなんでしょうね…」
ぽつぽつと言葉を零すジョゼの髪を冷たい風が揺らす。相も変わらず彼女の顔色に変化は無く、心情を理解することは出来なかった。
「そうしてこれからも躊躇無く引き金を引けると確信しています。
私は兄さんや友達が、それからリヴァイさんたちが大事ですから……。」
「…………そうか。」
「私はひどい人間なんでしょうかね。きっとロクでも無い死に方をします。」
「だが…兵士としては役に立つ。」
「ありがとうございます。」
リヴァイとジョゼの言葉はいつの間にか囁き声と言えるまでに小さくなっていた。
しかし辺りはまったくの無音だったので、充分に互いの声を聞き取ることが出来る。
「…………でも」
今夜のジョゼはいつもと比べて随分とよく喋るな、とリヴァイはそれに耳を傾けながら思った。
やはり少なからず動揺しているのか…それとも興奮なのか。
「且つて私に、『ジョゼは優しいから人を傷付ける事を絶対にしない』と言ってくれた人がいます。
私は彼の気持ちを裏切って生きているんだなあ…と思うと、少しばかり悲しいです。」
「それは…そいつの目が節穴だったんだろ」
「……………。」
「人を傷付けないで生きられる人間なんているわけがねえ」
「その通りですね……。」
…………リヴァイは、彼女が持っていた白い四角の物体に視線を落とした。
多少塗装は剥げていたが、滑やかな表面と簡単な花の細工が上品な印象を与えている。
「…………額か。」
自然と受け取って、その質を確かめた。
表面はやはり想像したとおりに湛然に磨いてある。撫でるとつるりとした。
「はい、写真立てにもなりますよ。」
「………空だな。」
「空ですね。」
「入れる写真は…そうか、お前友達いねえから無いのか」
「いやあ……。」
「大事にしろよ。そこそこ良いもんだ。」
リヴァイは彼女へと額縁を返した。
ジョゼはそれを受け取って、ほんの少し微笑む。しかし曖昧な表情だ。泣きたいのか笑いたいのかさっぱり分からなかった。
暫時、二人は互いをじっと眺める。
腕を伸ばして…彼女の髪に触れてからリヴァイは少し乱暴にそこを撫でた。そうして顔に似合わず柔らかな毛質をしていることを意外に思う。
「俺は寝る。」
仕上げとばかりにべしべしと軽くそこを叩いてから彼は零した。
ジョゼはリヴァイの唐突な行動に若干狼狽えていたが、すぐに「…そうですか。おやすみなさい。」と応える。
「精々気張れよ…」
そう言い残した上官は振り向かずに厩に戻って行った。
ジョゼは彼の後ろ姿を見守る。程なくしてその背中は暗闇の中に消えてしまった。
(優しい人)
白く息を吐いて考えた。
そうしてとても救われたとも。ジョゼは彼のことが好きだった。優しい人ばかりで嫌になる。
未だに所在無さげに自身の両手の内に収まっていた空の額縁へと、彼女は視線を落とした。
ただのガラスに、空を覆った星がたっぷりと映り込んでいる。綺麗な光景だった。
(どこで見ても星は綺麗だなあ…)
そういえばあの人と初めて話をした夜も綺麗な星空だった。
だから…星がこの世にある間、きっと自分は寂しくないのだろう。
「ごめん」
また端的に呟いた。今度は誰も言葉を返してくれない。辺りはぞっとするほど静かだった。
「ごめんねマルコ」
しかしジョゼは構わずに続ける。星灯りがひどく眩しく感じて目を閉じた。
この空の額縁をくれた温かい人を、一生忘れないのだろう。
最初で最後に愛した男性が彼で本当に良かったと思う。心から。
優しい思い出も、懐かしい言葉も今のジョゼにとっては苦しみだった。
孤独は一生続く。でもそれは良い事だ。そうあるべきだ。
この痛みこそが、また自分の明日に光を与えてくれる。
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