「……失礼します。」
そこで室内に再びノックの音が転がる。三人が扉の方に視線を向けると、黒髪の見目麗しい女性、ミカサが顔を覗かせる。そしてその後ろに、ここ一週間で体重が20kg落ちたのでは無いかと思わせる程のやつれ方をしたジョゼが続いた。
「……………!」
彼女の姿をいの一番に発見したマヤは少しの間目を見張った後、おもむろにソファから立ち上がって母親の元へと駆け寄る。
……………が、マヤが彼女の傍まで辿り着く前にその身体は軽々と宙に持ち上げられ、ジョゼの手前にいたミカサの腕の中に収まった。
「……………マヤ?」
オーバーワーク気味でグロッキーになっていたジョゼは何故友人の腕の中に自分の息子がいるのかさっぱり理解できず、首をひねりながら目の前の光景を眺める。
「何でここに………」
そう呟きながらその白い頬を軽くつつくジョゼ。この柔らかな感触は間違いなく本物だ。
「今日、僕は…「私に会いに来たに決まっている」
マヤがジョゼの質問に答えようと口を開きかけるが、今度はミカサによって遮られてしまった。
ジョゼはそれを聞いてほほう、と頷いた後、「………それじゃあミカサに会えて良かったね。」と言ってマヤの頭を撫でる。
マヤは違う、と懸命に首を横に振るが、ジョゼはそれに気付かずにリヴァイの方へと向かい、何がしかの書類を渡しながらの彼との会話を始めてしまう。
「………マヤ。そんなに私の事が恋しかったなんて嬉しい。でも言ってくれれば次の休みにでも尋ねて行ったのに。」
ミカサは腕の内にいる少年へと優しく声をかける。
マヤは、困った様に目を伏せた後、「………ミカサには、勿論あいたかった。でも、今日は違う……」とゆっくりではあるが、ようやく自分の意見を述べ始めた。
ジョゼも何かと思って振り返り、息子の小さな声に耳をすます。
「今日、僕は母さんに……お願いがある…。」
真っ直ぐにジョゼの事を見つめながら言葉を紡ぐマヤ。
そして目を数回瞬かせたジョゼの隣ではジャンが腕を組んでほうほう、と頷いた後、無言で一歩踏み出して少年の頭に拳を落とした。
「……………!?」
突然の衝撃に頭を抑えて眼を白黒させるマヤ。ジャンは再び腕を組むと盛大に溜め息を吐いた。
「んな下らねえ理由で一人でこんな遠くまで来るんじゃねえ、危ないだろうが!」
そして人差し指をマヤの鼻先につきつけながら 少しキツめの口調で言い聞かせる。
マヤはぽかんとした表情でジャンを見上げるが、やがて地面に目を落として反省した様に項垂れた。
「………第一、いくら忙しくても壁外に行っている訳じゃねえ。いつかは帰ってくるんだ。それまで家で大人しく待つ事位、お前ならできるだろ?」
ジャンの言葉にマヤは何かを堪える様にミカサの胸の辺りの服をきゅっと握りしめる。
………少しして、意を決した様に再び口を開いた。
「………ごめんなさい。でも、今日は……母さん、一緒に。」
散漫な言葉ながらもそこから何かを理解したジョゼははっとした様にしてマヤへと近付いた。そしてごく自然な流れでミカサの腕の中から地面へと下ろされたマヤの視線に合わせて、その身を屈める。
「マヤ……。ごめんね。明日には必ず帰るから……。」
ジョゼの言葉に、マヤは俯いたまま答えようとしない。ジョゼは困った様に「……マヤの好きなもの、何でも作るよ。そうだ、久しぶりにお風呂も一緒に入ろうか。」と言葉を重ねていく。
「だから、明日まで、マルコと一緒に家で「駄目。」
か細いながら、はっきりとした響きを持ってマヤがジョゼの声を遮った。
「今日は……今日、だけだから………。」
それに続いた弱々しい言葉に、ジョゼはゆっくりと目を伏せて、眼前の息子をぎゅっと抱き締める。
少しの間、何かを確かめる様に目を閉じながら真っ白な頬に同じものを寄せていたが、やがてジョゼはおもむろに立ち上がってリヴァイの名を呼んだ。
「リヴァイ兵長」
「なんだ」
ソファの上で足を組みながら事の顛末を見守っていたリヴァイがそれに応える。
「私………今日は帰りますね。」
「…………お前の本日分の仕事は終ってない筈だが」
「明日ちょう頑張って何とかします。」
「…………できるのか?」
「た、多分。できます。」
「…………………。」
「大丈夫です。ちゃんと、やりますから…………」
「………今月一杯の便所掃除」
「はい………?」
「できなかったら今月一杯便所掃除はお前一人でやれよな」
「………………。」
ジョゼは少しの間ぽかんとした表情でリヴァイの事を見つめていたが、やがて淡く笑って「ありがとうございます。」と一礼した。
「帰ろうか、マヤ。」
そう言ってジョゼはマヤへと掌を差し出す。マヤは遠慮がちにそれを握り返すと、微かに頬を染めて首をこくりと縦に振った。
「じゃあ兄さんにミカサ…私は帰るね。」
ジョゼは何処か上機嫌で二人へと軽く手を振る。マヤもそれを真似てひらひらと手を振った。思わずジャンとミカサも振り返してしまう。
扉が閉まり、二人が姿を消した後、ジャンはひとつ溜め息を吐いて「………変な所で行動力があるとこまでそっくりだな……」と零した。
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