……………帰りのバスの中、ややムスリとして窓の外を見つめるマルコの隣でジョゼは困った様に眉を下げていた。
「…………マルコ、どうしたの?」
本日の戦利品である水着が入った紙袋の手提げをきゅっと握りながらジョゼが気遣わしげにマルコに声をかけた。
「どうしたもこうしたも……着るだけとか言いながら結局買ってるんじゃないか、それ……」
マルコが恨めしげな視線を水色の紙袋へと送る。ジョゼはばつが悪そうに瞳を泳がせた後、それの角を意味なく指でなぞった。
「でも………、店員さんに聞いたら透けないって確かに言ってもらえたよ?」
「そんなの分からないよ。もしもの事があったらどうするんだ。」
「その時は……その時だよ。」
マルコは盛大に溜め息を吐いてシートの背もたれへと寄りかかり、首だけ動かしてジョゼの事をじっと見つめた。
彼の真っ直ぐな視線に思わずジョゼは顔を伏せてしまう。
………しばらく、二人はそのままで過ごした。
外はいよいよ暑い時間帯となっている。バスの中では古い扇風機が天井でぶうん…と鈍い音を立てながら回っていた。
後ろの座席でライナー、ベルトルト、ジャンの三人が話している声がいやに遠く聞こえる。
「…………僕は、君の事が心配なんだよ。」
そう言いながらマルコはジョゼの柔らかい質の髪へと手を伸ばした。
そこをくしゃりと撫でると顔を伏せていたジョゼはようやく視線を……恐る恐ると言った感じではあるが………こちらに戻す。
「いっつもぼんやりしている癖に変な所で頑固だし……」
「そ、そうかなあ……。」
「…………おまけに試着した後の水着は見せてくれないし………」
「だ、だって何か恥ずかしいじゃないの。私だけ水着だなんて………」
…………マルコは若干拗ねているのであった。
折角ライナーに勇気付けてもらって、いざ彼女の水着を選んでやろうとはしていたが、結果的にジョゼは自らの意思で例の白い水着を購入したのであって………。
まあ、ジャンやベルトルトのチョイスしたものを購入するよりは幾分かマシな結果ではあるが………
「で、でもね、水着はやっぱりこれが良かったんだ。」
「…………そう。」
声色は不機嫌ながらもマルコはジョゼの髪を撫で続けた。
段々とジョゼの頬が赤くなっていくのが可愛らしかったし、揺れるバスの中で交わすやり取りが不思議な心地良さを齎してくれていたから………
「…………まあ確かに、似合うだろうとは思うけれどもね………」
マルコはそう呟いてジョゼの膝の上に乗った水色の紙袋へと視線を落とす。ツルリとした光沢のある紙に銀色の文字がプリントされている。夏らしい爽やかなデザインだ。
「…………………。」
特に意味はなく零したマルコの発言に、どういう訳だかジョゼは息を呑み、またしても俯いてしまう。
不可思議に思ったマルコは彼女の髪を撫でる手を止め、その顔を覗き込んだ。………それを避ける様にジョゼは窓の外の空へと視線を向ける。そこには輪郭のくっきりとした白い雲が青空を背負って広がっていた。
「………………?」
ジョゼの謎の行動に首をひねるマルコ。…………少しの間ジョゼは空を、マルコはジョゼの後頭部を眺めていた。
だが………やがてジョゼがちらり、とこちらを振り返る。
………今気付いたが、彼女の肌の赤みは今や耳たぶまで広がっていた。こちらを見つめてくる瞳も微かに潤んでいる。
「…………この水着がどうしても良かった理由はね………」
そして微かに聞こえてくる小さな声。バスが揺れる音に遮られて聞き取りにくい。
………マルコはジョゼとの距離を少し詰めて、今一度彼女の言葉に耳を澄ませてみた。
「…………君が、似合うと思うって、言ってくれたからなんだよ。」
本当に小さな小さな声だった。
…………それだけ言ってジョゼは再び窓の外を向いてしまう。やはりその耳は色濃く赤かった。
そしてその赤はどういう訳だか徐々に、マルコへも伝染していく。
先程まではどうとも無かったのに、こうもこそばゆい反応をされてしまうと…………一気に胸の中に羞恥が溢れ出す。
……………マルコはそっと目を閉じて、心臓の音が収まるのを深く呼吸をして待っていた。
そっかあ。という事は…………、僕は、間接的ではあるけれど、ジョゼが購入する水着を選んであげたって事で…………
それから考えると、先程の自分勝手な賭けは……………
目を開けると、彼女の方も気持ちが落ち着いたらしい………未だに照れ臭そうではあるが、ジョゼがこちらを見つめて不器用に微笑んでいた。
マルコはジョゼの掌をシートの上でそっと握る。その際にジョゼの身体がぴくりと動いて何かを言おうと口が開きかけるが、マルコが首を振ってそれを制した。
……………この状況を、後ろのシートに腰掛けている三人に気取られる訳にはいかないから………
ジョゼもマルコの意を察したらしい。首をこくりと縦に振って、彼の手を握り返す。秘密が共有できるのが、何だかとても幸せだった。
淡く笑って再び窓の外を眺めるジョゼの横顔を見ながら、マルコは確信する。
………………賭けは、僕の、勝ちだ。
穏やかな気持ちで瞳を閉じれば、湿った様な、甘い様な、夏独特の匂いが鼻をくすぐる。
………後ろの三人が、何か下らない話をしては声を上げて笑うのが聞こえた。
そして、僕の右手の先には、大好きな人がいる。
これを幸せと言わずしてなんと言おう。
…………しみじみと生まれて来た喜びを感じながら、マルコは静かに深く、もう一度呼吸した。
「………ねえ、」
ふと、ジョゼの声でマルコのやや微睡んでいた意識が浮上する。
目を開けると、ジョゼは身体をひねって後ろのシートの三人へと話しかけていた。
「どうしたのジョゼ。さては僕の事が恋しくなったんだね、仕方が無い甘えただなあほらおいで」
良い笑顔で手を広げたベルトルトの頬を遠慮無しにジャンがビンタで殴る。あまりに素早い兄の動きにジョゼは感心した様に「おお……」と漏らした。
「みんな、これから時間ある?」
そして、少し間を置いた後にジョゼが緊張気味に尋ねてくる。
「…………?ああ。別に用事はないぞ」
ライナーの言葉に同じく、とベルトルトも軽く頷いた。
ジョゼがマルコの方もちら、と伺ってくるので、彼もまた急いで首を縦に振る。
「これから………私たちの家、寄って行かない…………?」
恐る恐ると言った感じでのジョゼの発言に、マルコは………少々意外だな、という感想を抱いた。
何故ならジョゼは自分の方から誘いを持ちかけるタイプでは断じて無く……彼女の口から周りに呼びかける積極的な言葉を聞くのは初めてだったからだ。
「ねえ、兄さん。良いよね?」
ジャンもマルコと同じ感想を抱いているらしく、少々ポカンとした顔をしてジョゼの事を見つめていた。
「あ、ああ……構わねえけどよ………」
ジョゼに話を振られたので、少々どもりながらもジャンが返す。
彼の答えにジョゼは非常に満足したらしく、珍しく誰にでも分かる程に笑いながら「良かったあ、すごく嬉しい」と零した。
それから前へと向き直り、また窓の外へと視線を移す。彼女を取り巻く空気が光って見えるかの様に、今やジョゼは身体の至る所から嬉しさを滲ませていた。
………………臆病になってしまっていた彼女も、少しずつではあるけれど成長しているんだな。
そんな彼女の変化が微笑ましくもあり、少し寂しくもあり…………
でも、彼女の気持ちは確かに僕のものなんだ。
それが分かっているからだろうか………僕の気持ちも、彼女につられる様に幸福で満たされて行くのが分かった。
………バスが停留所に着くと、数人の客が乗って来た。日に焼けた人が多かった。
今日は本当に良い天気だ。窓の外の風景は、相も変わらず青い空、白い雲と少しも変りは無かった。植物の緑は、とても濃い。
僕は汗が少し滲んで来た繋いだままの手を離そうとはせず、握る力を強くしてから、もう一度目を閉じて浅い微睡みへと落ちて行くのであった。
理莉様のリクエストより
夏休み前に水着を買いに行こうという事になって、皆で主人公に似合う水着を見繕うという事になる。で書かせて頂きました。
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