「おっせんだよ」
ジャンは苛立った口調でそう述べた後マルコの頭を小突いた。
「悪い悪い」
と言いながらもマルコはとても楽しそうな笑顔である。それがジャンの気に一層触ったのかその頭にはもう一発拳がお見舞いされた。
「でも………良かった。マルコが来てくれて。」
そんなジャンの後ろからひょこりと顔を出すジョゼ。彼女もまた楽しそうである。
(あ…………、ワンピースだ。)
薄い青と藤色、紫陽花色の彼女の丈の長い洋服を見て、マルコの胸の内の幸福度は更に上がっていく。
裾に揺れる控えめなレースがまた、女の子らしくて「言っておくけどな」
しかし………そんなマルコのこそばゆい思考はジャンのドスの効いた声によって遮られた。
「お前の為に着てきた訳じゃあねえぞ。試着の時に着脱が楽な服を選んだ結果これになっただけだからなあ………」
「わ、分かってるよ、そんなの」
本当はちょっと期待していたのだが、まあそんなものだろう。
だが、ジョゼの夏らしい私服を見られたのは良かった。…………純粋に、可愛い。心からそう思った。
マルコの視線に気付いたのかジョゼは少々恥ずかしそうに顔を伏せる。その頬がやや赤く染まっていたのは見間違えでは無いだろう。
「で、何で君等がいるの?」
一通り照れるジョゼを観察して充足感を味わったマルコは不思議そうな視線をライナーとベルトルトに向けた。
「それはもうジョゼに似合うちょう可愛い水着を僕直々に選んであげようと「嘘だ」「うん嘘」
ベルトルトは涼しげな顔で耳の穴を小指でほじりながらいけしゃあしゃあと発言する。
「まあ僕はこういうイベント事にかこつけてジョゼを虐められたらそれで良かったんだよね」「ひどい………」
ジョゼはぞくりと身体を震わせてジャンの後ろにそっと隠れた。ベルトルトはとても良い笑顔でそれを眺めている。
本日はジョゼにとって大いに波乱を含んだ一日になりそうだ。
「俺は………、、ジョゼが少々心配になって着いて来たという所だ。」
ベルトルトの隣でライナーが溜め息を吐く。マルコもつられて溜め息を吐きたい気分だった。
……………ベルトルトが来ると、99%の確率でジョゼとの会話がままならなくなる。彼の事は嫌いでは無いが、悉く僕らの邪魔をしてくるのは止めて欲しかった。
(だが………!)
誰が何と言おうと、ジョゼは僕の恋人、大切な彼女である。
ベルトルト一人の存在だけで僕らの距離が広がってしまうなんてあり得ない、あってはならない事なのだ。
…………そこでマルコはひとつの賭けを思い付く。
本日、自分が選んだ水着をジョゼが購入すれば彼女の気持ちは確かに僕のもの。…………ベルトルトが選んだものを購入すれば……………………
……………………そこから先は、考えたくなかった。
とまあ、こんな訳でマルコは『絶対にジョゼには僕が選んだ水着を着て海に来てもらう』というひとつの使命を背負う訳になったのである。
それを知ってか知らずか、ベルトルトは早速嫌がるジョゼの頭髪を掻き回して遊んでいた。
…………それぞれの思いを胸に、一行はジャ○コへの道を辿るのであった…………
*
「却下」
ジャンが眉間に皺を寄せてジョゼが手に取って眺めていた水着を奪い去る。
ジョゼはまた?と言う様な困った顔をジャンへと向けた。
「何だってそんな変態的に布が小さいものしか選ばないんだ。お前やっぱり露出の癖があるなこの痴女め」
「み、水着だもの。露出が多いのは仕方が無いじゃない。」
「そうだそうだ。ほらジョゼ、何も言わずにこの水着を試着するんだ。」
「お前が持ってくるのはさっきからほぼ紐じゃねえか!!」
ジャンはベルトルトが嬉々として持って来た妖しい雰囲気の水着を見て凄まじい剣幕で怒鳴る。
「それでお前も抵抗無く受け取ってんじゃねえよ!!」
更にその水着を手渡されてごく自然な所作で試着室へと向かおうとするジョゼにもうひと怒鳴り。
さっきからずっとこんな調子なので、ジャンの体力は既に相当消耗されていた。
「だって………これじゃあいつまで経っても試着室に辿り着けないもの。」
「やかましい。お前はウェットスーツでも着てりゃあ良いんだよ」
「今日ここに来た意味は!?」
ショックを受けた様なジョゼの背後からはひとつ溜め息が聞こえる。ジョゼが後ろを振り返ると、そこには少々呆れた顔をしたライナーがいた。
「お前等……さっきから同じ問答をいつまで繰り返してるんだ。」
これでは日が暮れちまう、とライナーはジョゼの腕を引いてジャンとベルトルトの間から救出する。
「ジャン、ベルトルト。ジョゼはお前達の着せ替え人形じゃないんだ。こういうのは本人の意思をきちんと尊重してだな」「で、お前の左手にあるやたらとフリルの着いた悪趣味な水着は何だ」「…………ジョゼが好むかと思ってな」「嘘付け!!」
ジャンのローキックがライナーの向こう脛に炸裂する。
ジョゼはライナーが取り落とした水着を眺めながら(…………ちょっと可愛いかも)と胸の内で呟いた。
(あれ………そう言えばマルコはどうしたんだ…………。)
ふと、向こう脛を擦りながらマルコの事を思い出すライナー。考えてみると水着の売り場に入ってからその姿を見かけていない。
不思議に思って辺りをぐるりと見回してみると、入口付近で明後日の方向を見つめながら佇む彼の姿が。
(……………どうしたんだ?)
訝しげに思いながら、彼の元へと近付く。それに気付いたのかマルコは少々居心地悪そうにライナーの方を向いた。
「…………具合でも悪いのか。」
どういう訳だか挙動不審なマルコに声をかけるライナー。マルコは地面へと視線を落とした後、小さく首を横に振った。
「……………?どうしたんだ。言ってみろ。」
マルコの事が少々心配になり、気遣う様に優しく声をかけてみる。
ライナーの言葉に、マルコはひとつ息を吐いて再び首を横に振った。
「僕からしたら………君等の方がどうしたんだ、だよ」
そして頼りない声で一言。ライナーは言葉の意味が良く理解できず、首をひねるばかりである。
「…………水着なんて、下着と変わらない形じゃないか……!そんなものに囲まれて、よく平然としていられるよな!?」
「いや、すぐ隣には男物の水着も売ってるし」
「細かい事は良いんだよ!!」
勢い余ってライナーの向こう脛を蹴飛ばそうとするマルコ。先程の二の轍は踏まないとライナーはそれを寸での所で躱す。
(ああー………。)
こいつの潔癖っぷりにも困ったものだ。………というかジョゼの水着を一緒に買いにいくっていう時点でこうなる予想はつかなかったのだろうか。
「…………おいマルコ。お前がジョゼを助けに行ってやらねえと今度の海であいつはウェットスーツか海外のセレブかって物かの二択しか身につける事ができないぞ。」
「うん…………。」
ライナーの言葉に俯くマルコ。脳内では分かり切っている事なのだろう。
「なあお前、あいつの彼氏なんだろ?」
「うん…………。」
「なら自分が選んだ物を着て欲しいとは思わないのか?」
「そりゃあ………うん。」
「ならこんな所でうじうじしてないで行って来いよ。なあ?」
「うん………分かっては、いるんだけど…………」
煮え切らないマルコの態度に段々とライナーも痺れを切らせて来たらしく、遂に彼の尻を蹴飛ばして強引にカラフルな色彩が溢れる水着の売り場へと押し込む。
「わ、あ。何するんだよ、ライナー!!」
マネキンに衝突しそうになるのを間一髪で堪えたマルコが振り向いて少々怒った様に訴える。
「やかましい。むしろ感謝して欲しい位だ。お前、今ここで男を見せないと今夏中後悔する事になるぞ」
腕を組み、眉間に皺を寄せたライナーがそれに応えた。
「……………行って来い。」
そう言ってライナーは親指を立ててマルコを送り出そうとする。マルコは彼のその行為に、何か感じる所があったらしい…………、遂に意を決した様にコクリと頷き、賑やかな店内へと足を進めて行く。
その後ろ姿を見つめながらライナーは(俺も中々良い事するじゃねえか………)と一人、悦に浸っていた。
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