「....きょうの朝、リヴァイさんの物置整理手伝わなくちゃいけなかったんだ....」
朝食後、片付けを終えて少し寛いでいたジョゼが思い出した様に顔を真っ青にして立ち上がった。
当然、その膝の上にいたマヤは転がり落ちる。マルコがそれをおっと、と言いながら受け止めた。
「遅刻したらまたページ数延べ2988のお掃除大全の角で頭を殴られる...」
ジョゼがそこを抱え込みながら呟く。恐らくもう既に何回か殴られた経験があるのだろう。
「マルコ、マヤ....お母さんが撲殺されてもつよくいきるのよ...」
何やら意味不明な事を口走りながら自室へと駆け込んだ。大急ぎで出掛ける準備をし始めたらしい。
そして僅か数分で出てくると、死にそうな顔で飛び出して行く...しかし玄関前でぴたりと足を止めてこちらに駆け戻って来る。
「いってきます」
そう言って息子の頬に、夫の唇に軽くキスを落とすと、今度こそ全力疾走で家を後にした。
..........。
先程ジョゼの膝から滑り落ちたマヤを抱えていたままだった事に気付き、床に下ろした。
......この子、軽過ぎる。中身は詰まっているのだろうか。
自分もぼちぼち準備をして....マヤを学校の近くまで送ってから出勤しようかな...と、リビングから出て行こうとすると、小さく服を引かれる気配がした。
後ろを振り返ると、彼がきゅっと、非常に控えめであるが...服を掴んでいた。
......恐らく初めてマヤからアクションを起こされた。
それが嬉しくて、目線を合わす様にしゃがんで「どうしたの」と尋ねる。
彼はしばらく無言でこちらを見つめていたが、やがて微かな声で「母さん、死ぬの」と声を漏らした。
(あー...)
まあ、100%生きるだろう。死なない程度に殺される可能性は大いにあるが。
「大丈夫だ。君の母さんのしぶとさはお墨付きだから。」
しかし、それを本気で心配しているこの子は本当に可愛い。なんて純粋なのだろう。
......僕の言葉に、彼は....やはり無表情で、見つめ返すだけだった。
やがて再び口を開き、「父さんも、死なないで」と呟く。
(.........。)
なんとなく、理解した。
彼は、幼いながらも自分の両親がどの様な仕事をしているのか分かっているのだろう。
先程のジョゼの言葉だけではなく、様々なものがこの小さな胸の内に不安を齎しているに違いない。
床に下ろした体をもう一度抱き上げ、腕の中にぎゅっと閉じ込めた。
「こんなに可愛い子供と、愛する奥さんを残して僕は死ぬもんか」
その言葉を自分へも言い聞かす様に言う。
マヤもきゅっと僕の服を掴んで応えてくれた。
うん....僕も、少しずつではあるが...この子の事を分かり始めている。
まあ....分からなくても良いけどね。お互いが愛し合っているという事実さえあれば、それで充分だから...。
*
.....家に帰ると、明かりは点いているにも関わらず、しんと静まり返っていた。
まあ、いつもの事だ。
リビングに入ると、ジョゼとマヤがソファに隣り合って座って、黙々と蜜柑の皮をむいていた。
先に剥き終わったマヤがそれを一房ジョゼへと差し出す。ジョゼはそれをぱくりと食べた。
またジョゼも同じ様に蜜柑を一房摘んでマヤへと差し出す。彼も小さな口にそれを収めた。
.....それの繰り返しである。会話は一言もない。
やがてジョゼはそのやり取りを中断する様に食べかけの蜜柑を机の上に置いた。
そしてマヤをぎゅうと抱き締める。....可愛さ極まったらしい。
ジョゼとマヤは...テレパシーでも使用しているのかと思う位会話をしない。しかし非常に仲が良い。
流石、僕よりも10ヶ月早く彼と出会っていた事はあるなあ...と感心せずにはいられなかった。
「あ、マルコだ」
僕の登場でようやく部屋に声が登場する。
おかえりなさーい、とマヤの手を持ってひらひらと振らせながら迎えてくれた。
無表情の二つの顔。それを見るととても落ち着く。そして....二人の表情が無い分、僕は沢山笑おう。
「ただいま」
そう言って、大好きな二人を笑顔で力一杯抱き締めた。
*
夜、ジョゼは自分の隣でマヤが寝た事を確認すると、ごろりとこちらに体を向けてきた。
「.....この子はどんな大人になるのかな....」
彼女は僕の頬をゆっくりと撫でながらそう呟く。
滑やかなその掌を握って、自分の唇まで持って来てから軽く口付けると、ジョゼの頬が微かに朱色に染まった。
....いつまで経っても初々しくて可愛いなあ。
「さあ...。でも、良い人に巡り会えるといいね。友人も...愛する人も。」
何となく、ジョゼが愛しくて溜まらなくなったので...その体を抱き寄せる。
すっぽりと腕に収まった彼女の頭を撫でると、胸にそれを寄せて来た。
......出会ってから、もう15年。時がいくら経過しても、やっぱり僕はジョゼが好きだった。
僕の心は...あの、解散式の夜の...星空の下で止まったままだ。
きっと...永遠に、君に片思いをしている。
彼女の事で新しい発見がある度に、知らない場所をもっと知りたくなって、酷くもどかしい。
ジョゼも、僕に片思いをしてくれているのだろうか。
一緒に時を重ねる毎に強くなるこの気持ちと同じもので居てくれるなら...それだけで、僕が生きている意味はある。
「マヤは....兵士になりたいんだって。」
ジョゼが静かに言葉を紡いだ。
「え....」
少し、驚く。そして....不安と共に、自分の息子を危険な目に合わせたく無いという気持ちが胸の中で湧き起こった。
「心配なんだね」
ジョゼの穏やかな声がする。....全て、見透かされている様だ。
「....マルコだって、男なら王に心臓を捧げるべきだ...と言っていたじゃないの」
彼女が顔を上げて僕の瞳を覗き込んで来た。
「でも、人間って....そういうものだよね。いつだって矛盾だらけ....」
淡く笑っている。.....僕も一緒に笑ってしまった。
「私は...兵士になってよかったよ。」
「うん、僕も....」
腕の力を強くする。....きっと、考えている事は同じだ。
「でも...将来の夢なんてすぐに変わるものだし、あまり深く考えなくても良いかもね...」
ジョゼが今度は可笑しそうに笑う。マヤを見慣れた所為で、彼女が非常に表情豊かに見えた。
「そうだね....。まあ、願わくば鈍感な人間を好きにならない事を願うよ...。苦労するから...」
「........?何故」
「あー....もう僕しらなーい」
そう言って少しの仕返しに思いっきり抱き締めた。「....いたい」という呟きが聞こえたが気にしない。
......そうか。あの子が兵士かあ....
もし憲兵団に入団したら、僕と同じ職場かあ....
一緒に働いているところを想像すると、すごくこそばゆかった。
「調査兵団に入団したら、同じ顔がみっつだね....」
ジョゼがぼそりと発した言葉に、思わず吹き出してしまった。
「いーや、マヤは憲兵団に来るんだ。調査兵団みたいな変人の集まりに放り込んだら悪影響を受けてしまう。」
「...その変人の中に私は「大いに含まれてるよ」
「ひどい....。」
「それに、憲兵団の方が調査兵団よりずっと待遇が良いんだ。こっちに入団を希望するに決まってる」
「調査兵団じゃないと....やだ。一緒に働きたい。」
「決めるのはマヤだよ。まあ憲兵団だろうけど」
「じゃあ賭ける...?」
「良いとも。何を賭けようか」
「........そうだね。負けた方は、勝った方のものになるとか。」
............。
「二人共、既に負けてるじゃん.....」
「.....賭けになんなかったね」
溜め息を吐いて、腕の力を少し緩めてやった。「今日、このまま寝ても良い?」と聞かれたので、元よりそのつもりだった僕は「勿論」と返す。
「......この幸せは、全部、マルコのお陰だね....」
ジョゼが息を吐く様に声を零した。
何の事だろう...と思って黙っていると、「君が私の事を好きになってくれたお陰なんだよ」と言葉が続く。
「私の事...好きだなんて言ってくれた男の人は兄さん以外で初めてで...凄く嬉しかった。」
服がきゅっと掴まれた。それが朝のマヤの仕草と被り、ああ...あの子は本当に君と僕の子供なんだね、という
感慨が胸に滲み出す。
「好きになってくれて...本当にありがとう。」
胸元に少し...じわりとした熱が触れた。
僕は特に何もせず、ジョゼの頭を優しく撫で...「どういたしまして」とだけ言う。
やっぱり....ジョゼも僕と同じものだった。
お互い...永遠に片恋のまま。
けれど、その間にはマヤがいる。
君が居るから....切ないことだらけでも、寄り添い合い生きる事ができるんだ。
世界で一番、幸せな家族として.....。
「....おやすみ、ジョゼ、マヤ」
やまだ様のリクエストより
生存ifで子供が生まれた後のエピソードで書かせて頂きました。
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