(マルコと一騒動、幸せな未来への続編)
(子供の名前は固定されています。)
マルコの朝は早い。
簡単な身支度を済まし、郵便受けの新聞と手紙を確認する。
自分に来ている手紙があれば、出勤の際に投函できる様、すぐに返事を書く。
そのついでに仕事場から持ち帰った簡単な仕事を片付けた後、淹れたコーヒーを飲みながら新聞に目を通す。
.....と、ここまでの一連の動作をしていると良い時間になってくるのだ。
我が家の一番の寝坊助にしてぼんやり大将を起こしてやらねばならない時刻だ。
行くか....と、椅子から腰を上げた時、ふと小さい人影が目に入る。
(お.....)
「マヤ、起きてたのか」
彼はこくりと微かに頷いた。
.....この子もまた朝が早い。しかし非常にもの静かな為その存在が全く感じられないのだ。
「....おはよう。」
挨拶をすれば深々とお辞儀を返された。喋らんかい。
.....彼は....顔こそ、僕の血が混ざった事によって母親程怖くは無いが....ひどく、無口だ。というかほとんど喋らない。おまけにジョゼ以上に表情が無い。
僕は...流石にジョゼが考えている事はもう完全に理解できる。だが、この子の事は時々分からなくなるのだ。勿論良い子なのは確かなのだが。
彼はこちらをじっと見つめてくる。.....うーん。何かを求められている様だ。
でも....ちょっと懐かしい。ジョゼと出会った当初もこうやって彼女が考えている事を一生懸命探ろうとしたものだ。
まあ...でも、こうしていても仕様が無い。
.....焦らなくても大丈夫だ。
何せ僕はジョゼの事を理解できる様になったのだ。血が繋がっている分、この子の事はもっと簡単に分かる様になるだろう。
「マヤ...母さんの事、起こして来てもらっても良い?」
優しく尋ねると、彼は再び微かに首を上下させた後寝室へと向かった。足音がほとんどしない。本当に存在感皆無だ。
まあでも...あの子は僕とジョゼが愛し合っている証だ。それが目に見える形をしている事は何て幸せなのだろう。
マヤを見る度にそれを何回も実感する。
そして僕は愛する家族の為に頑張って生きなくちゃなあ...と改めて思わずにいられないのだ...。
*
マヤは....布団に包まる母親を見下ろして、どうしたものかと考えていた。
いつも母親が非常に苦しい思いをしながら朝目覚めている事を彼は知っている。
だから、起こすのは少し可哀想だなあ...と考えていた。
しかし....自分は父さんに、母さんを起こす様に頼まれているのだ。やり遂げなくては。
布団越しに肩を軽く叩く。.....全く反応が無い。
次にゆさゆさとそれを揺すった。.....反応無し。
マヤは諦めた。
潔いのは彼の長所である。
......そして、しばらく気持ち良さそうに眠る母親を見下ろす事にした。
自分の顔は父親よりも母親に似ている。....そして叔父にも似ている。
マヤは...母親が好きだった。勿論、父親も大好きだった。
彼女だけは自分の考えを何でも汲み取ってくれたし、彼だけは自分を理解しようと努めてくれるから。
いつかこの二人みたいな大人になりたいと思っていた。
そして、今...子供のうちは、沢山甘えたい...と思うのだが...如何せん、そのやり方がよく分からない。
.....ふと、ジョゼの目がぱちりと開く。
まだ寝ぼけているのかとろりとした色をしているが、息子の姿を確認すると淡く微笑んだ。
そして小さく「おいで」と言って布団を持ち上げ、自分の隣を示す。
マヤはほんの少し頬を染めて頷くと、彼女の体温が仄かに移ったベッドの中に、遠慮がちに小さな身体を沈めた。
そうすると体に手が周り、背中をトントンと優しく叩かれた。
....たちまち眠気が襲ってくる。
同じベッドの上で...母子は再び眠りの淵へと落ちて行った。
――――――
「......ああ。」
マルコは心っ底呆れながら気持ち良さそうに寝息を立てるジョゼとマヤを見下ろした。
「ミイラ取りがミイラになってどうするんだ....」
頭を振ってひとつ溜め息を吐いた後.....マルコは一気に毛布を引っ剥がし、引きずる様に二人を寝室から引っ張り出した。
*
「あー...」
ジョゼはごんごんと所々の壁に激突しながら歩く。その傍らでマヤが真剣に彼女の掛け違えたボタンを直していた。しかし当の本人はそれに気付いていない。.....母親としてそれで良いのか。
そしてやっと自分の身支度をマヤが手伝っていた事に気付くと、無言で見つめ合った後、よしよしと頭を撫でた。
どうやら喜んでいる様である。頬が微かに赤味を帯びている。
「マルコ...」
半目のままジョゼが自分の旦那様を呼んだ。
「ん?何」
朝の大仕事を終えて寛いでいたマルコが新聞に目を落としながら応える。
ジョゼはおもむろに、自分の服の裾を掴んでいたマヤの体をひょいと持ち上げて、マルコの膝にすとんと落とした。
「...........?」
頭上に疑問符を浮かべてマヤとジョゼの顔を見比べる。....この子は昔からそうだが色々と唐突過ぎる。
「マヤが....そうして欲しかったって....」
それだけ言うとジョゼは覚束ない足取りで台所に消えて行った。
「.............。」
とりあえず息子の頭を撫でてみる。...相変わらず表情が無い。
ただ、テーブルにちょん、と乗せられた小さな手に...きゅっと力が入った事から、少しは嬉しいのかなあ、と優しい気持ちになった。
――――
「......で」
マルコは出来上がった朝食を前に...困惑の表情を浮かべていた。
いや...凄く美味しそう、美味しそうではあるのだが....
「なんか...誰かの誕生日かって位ボリュームがあるんだけど...」
ほんとにこれ朝食か?
「あー....なんかマヤが可愛過ぎるからテンション上がっちゃって...ネ」
「ネじゃないでしょ」
ジョゼは膝の上に乗せた息子の頬を自分の長い髪....昔と比べると随分伸びた...の一房でこしょこしょくすぐりながら応える。
それが鼻の辺りをかすめたのか彼は小さくくしゃみをした。.....しかし、満更でもなさそうである。
「まあ...寝ぼけてやってしまった事だから...残りは今日の夕飯にして良い?」
マヤを自分の隣の席に移し、皿に朝食をよそってやりながらジョゼは質問する。「たんと食べて大きくなれー」とまだぼんやりした口調で呟きながら。
「ああ、勿論良いけど」
マルコも自分の皿によそいながら淡く笑って答えた。
彼は...ジョゼが作る料理が好きだった。
以前はこの手の事がほぼできなかったらしいが結婚を申し込まれた時から『必死こいて』修得したらしい。
平々凡々している料理の数々ではあるが、とても美味しいし...愛する人の料理が自分の、そして自分の子供の体を作ってくれているのだと思うと何だか嬉しい。
「いただきます、ジョゼ」
感謝をこめてそう言えば嬉しそうに「召し上がれ」と返してくれた。
マヤはジョゼの事をじっと見つめる。....ジョゼも何も言わずに見つめ返す。
数分が経過した時、マヤが本当に本当に微かな声で「いただきます」と零した。
ジョゼはそれでも少しの間無言でいたが、やがてぎゅっと小さな体を抱いてから「召し上がれ」と言った。
......微笑ましい。三人が全員、全員を好きなのだ。僕たちは、世界で一番幸せな家族だと...どうしても思わずにはいられない。
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