(マルコに嬉しいお知らせの続編)
「おや、アルミン。随分と大荷物だね。」
大量の資料を抱えて階段を登ろうとしていたアルミンは、声をかけられてその足を止める。
「.......ジョゼ」
後ろを振り向くと、声の主であるジョゼが軽く腕を組んで立っていた。
「その量を一片に持ち運ぼうなんて計画的な君らしくもない。手伝うよ。ほら、半分頂戴。」
「いや、いいよ。」
「一人じゃ無理だよ。」
そう言ってジョゼはアルミンの腕の中に高く積まれた資料を半分程奪い去って階段を登り始める。
「ジョゼ.....!本当に良いって....。君は少しお腹に子供がいる自覚を持つべきだよ...」
「......アルミンも心配性だね。これ位大丈夫だって。」
「駄目だよ。これで転んだりしたら大変だ。頼むから大人しくしてってば....!!」
「もう安定期に入っているから大丈夫。調査兵団は万年人手不足なんだから妊婦だってきりきり働かないと。」
「君とお腹の子に何かあったらジャンとマルコに殺されるのは僕なんだよ?」
「大袈裟だなあ、アルミ.....ン.....」
言葉を交わしながら二人は階段を登っていたが、ジョゼの言葉は上の階に近付くに連れて小さくなっていった。
不思議に思ったアルミンは彼女に習って二階を見上げる。
「..........げ」
アルミンは思わず声を上げた。視線の先では腕を組んだジャンがじろりと二人を見下ろしていたのだ。
彼は小さく舌うちした後、ずんずんと階段を下りてジョゼに近付き、その腕に抱えられた資料の山を引ったくる。そしておもむろに彼女に頭突きを食らわせた。.......ごつん、と結構痛そうな鈍い音がする。
「..........お前なぁ.....何やってんだよ」
「何.....と言われても.....」
「だから家で寝てろって言ってんじゃねえか!!」
「大丈夫だよ。安定期に入ってるし....。兄さんも一人じゃ大変でしょう?」
「そういう問題じゃねえんだよ!流れたらどうすんだ!!」
「不吉な事言わないでよ.....。」
「......ともかくだ。もし公舎に来るんなら資料室から一歩も出るな。延々とラベル貼りでもやってろ。」
「........はい。」
言いたい事を言い終えたジャンは肩を怒らせて大量の資料と共に立ち去って行く。
ジョゼはしょんぼりとして頭突きを食らって赤くなった額を擦った。
「........ジャンは心配なんだよ。」
その様子を苦笑いを浮かべながら眺めていたアルミンが彼女に話しかける。
「分かってるよ......。」
「だって大事な妹と親友の子供だよ?無事産まれて来て欲しいって、神経質になるのは当たり前だよ。」
「うん....そうだね。兄さんは優しいから....。」
「それに僕や皆だってそうだよ。君とマルコがそういう風になってくれて、すごく嬉しいから....。」
少し照れくさそうに言葉を紡ぐアルミンを見てジョゼは何だか胸が一杯になり、思わず彼の体をぎゅっと抱き締めた。
アルミンは驚いた様に資料を抱え直すが、やがて小さく笑って彼女に体重を預けると、「頑張ってね、お母さん」と囁く。
ジョゼは瞳を閉じて彼の体をしっかりと抱き締めたまま首をこくりと一度だけ降った。
*
「........ジャンから話は聞いたよ。」
「はい.......。」
........家に帰ると、夫であるマルコはキレッキレの説教モードに突入していた。
ジョゼはげんなりとしながら命じられるまま机を挟んで彼の正面に座る。
「.......いくら安定期に入ったとはいえ、流産する危険は常にあるんだよ?」
「うん.....。その通りです....。」
「なるべく重いものは持たない様にって言ったよね?」
「はい......。言われました.....。」
「資料室からも出歩かない様にって口を酸っぱくして言ったのに.....」
「でも、それじゃ折角出勤している意味がないじゃないの.....」
「口答えしないの!」
「あだ」
マルコにべちりと額を叩かれる。本日二度目の額部へのダメージ。
「君には母親の自覚がまだ足りないみたいみたいだね。全く、そんな事じゃこの先が思いやられるよ.....。」
「うん.....。すみません....。」
「僕らの最初の子供なんだから.....僕は心配で心配で仕事に身が入らないよ.....。」
溜め息をひとつ吐き、マルコは机の上に置かれたジョゼの手をそっと握った。
ジョゼもまたそれを握り返して「ごめん.....」と小さく呟く。
「僕は、僕の.....僕たちの子供に、笑顔が会いたいんだ。分かってくれよ....。」
「そうだね....。」
「はぁ......。何でジョゼはそんなに落ち着いてるんだよ.....。怖くないの?陣痛ってすごく痛いって聞くよ?」
「まぁ、それはそうだろうけれど.....。できちゃったものは仕様が無いしね。出すしかないもの。」
「つわりも凄く苦しそうだったし....。僕は可哀想で見てられなかったよ。」
「過ぎてみればどうという事はないよ。マルコは相変わらず繊細で優しいね。」
「......ジョゼが変な所で逞し過ぎるだけだよ....。もう.....」
マルコは手を取ったまま机に突っ伏す。.....やはり母親というものは強いものだ....。
「マルコ」
ジョゼの声が上から降って来たので頭だけ動かして彼女を見る。淡く微笑む彼女と目が合った。
「大丈夫。きっと元気な子供が産まれて来るよ。」
そう言って空いている方の手をそっと伸ばしてマルコの髪を優しく撫でる。
「.........そうかな。」
「そうだよ。だって....こんなに沢山の人に心配されて、守られてるんだもの。大丈夫だよ。」
「でも.....心配だよ....。」
「こらこら。悪い方に考えちゃ駄目だよ。もっと素敵な事を考えよう。.....例えばどんな子に育っていくか...とか。」
「やっぱり僕らの子供だから兵士になるのかな...」
「なって欲しいの?」
「男ならね。やっぱり王に心臓を捧げてこそ僕らの息子だと思う。」
「.....マルコらしいね。」
何だか可笑しくてジョゼは頬を緩める。
「ジョゼはどう思う?」
「そうだね、私は何でも良いよ。好きな事を見つけて....一生懸命になれればそれで良いと思うんだ。」
「君って本当呑気だよね.....。」
「.....よく言われるよ。私たちの子供も呑気かな、それともマルコに似て心配性かな」
「どっちでも良いよ....。どうせどっちに似ても物凄く可愛いんだから....。」
「おや、もう親バカが始まってる。」
遂さっきまでのピリピリした雰囲気も何処へやら、部屋は和やかな空気に包まれていた。
二人の会話は尽きる事無く、その日寝るのは随分と遅い時間になってしまった。
*
家に帰ると、ジョゼがソファに腰掛けたまま眠っていた。
出産予定日まで一ヶ月を切り、流石のジョゼも仕事を休んで家にいる様になったのだ。
そのお腹も随分と大きくなり、穏やかな呼吸に合わせて微かに上下している。
マルコは眼前の光景になんとも言えない幸せを感じ、隣に腰掛けて彼女の腹部にそっと手をあてがった。
(......もうすぐ、会える.....。)
ずっと好きで....大好きだった女の子が、女性になって....今、隣で....僕の子供をその身に宿している....。
これ以上の幸せがあるだろうか。
(.......生きていて、本当に良かった.....)
不覚にも目頭が熱くなり、それを隠す様にジョゼの体を強く抱き締めた。
マルコの腕の中に収まった彼女は少し身じろいだ後、寝ぼけた声で「.....おかえりなさい、マルコ」と言って抱き返してくれる。
しばらく二人は抱き合ったまま動かなかったが、やがてジョゼが小さく笑ってマルコの頬に口付けた。
「......もうすぐ、こうやってソファに座ってる私たちの間に小さい子が入って来る事になるんだね」
そして寝起きの掠れる声で呟いて再びマルコにその体を預ける。
「マルコ....。今の内に沢山抱き締めておいてよ。
きっと赤ちゃんが産まれたらこうやって二人でゆっくりする時間もしばらく無くなっちゃうから.....」
「それは.....嫌だな。」
「仕方無いよ。.....きっと、それ以上に変え難い、素晴らしいものが手に入るから....」
マルコは無言で頷き、言われた通りにジョゼの体をそっと抱き締め直した。
「ごめんね....お腹が邪魔でしょう。」
彼女が苦笑する気配を感じるが、柔らかいその髪をやんわりと撫でてやれば安心した様な溜め息が聞こえる。
「.......名前。どうしようか。」
マルコはジョゼの髪を撫で続けながらそっと瞳を閉じて尋ねた。
「まだ女か男か分からないからね.....。どっちにしても、マルコの名前に由来するものが良いな。」
「ジョゼの名前は.....?」
「私はいいの。マルコの子供を産んで、育てる事ができるだけで充分だよ。
.......それに、私は自分の子供には君みたいな素敵な人に成長してほしいと思う....。」
「......何だか父親って責任重大だな....。」
「頑張って...お父さん。」
「うん......。」
マルコの頬にもう一度ジョゼが口付ける。お返しに彼女の唇にキスをした。
幸せで堪らなかった。ジョゼの事が頭の天辺から爪先まで愛おしいと思う。
........ジョゼを好きになって、良かった。
きっと君も同じ事を思っていてくれるのに違いない。
どうかどうか何事も無く、無事で.....元気な子供を産んで欲しい....。
今の僕の望みはそれだけだ.....。
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