「......ほんとに灯りが一個もつかないんですね....」
蝋燭で照らされた薄暗い室内でジョゼが不安げに呟いた。
日はすでにとっぷりと暮れ、辺りは真っ暗である。
「ほら。だから僕の好意に甘えて正解だろ?泣いて感謝しなよ」
「.....はぁ。ありがとうございます。」
「感謝が足りない」
「どうしろと」
ベルトルトはジョゼのベッドに寝そべり、まるで我が家の様に寛いでいた。
「ジョゼ、このベッド小さい」
「ベルトルトさんが大きいだけですよ」
「はぁ、眠くなってきた。寝て良い?」
「.....何しにきたんですか貴方」
「あ、僕が寝ちゃったら一人になるから怖いんだろ」
「まぁ、そうですが.....」
ジョゼは正直に答えながら寝そべるベルトルトの隣にそっと腰を下ろしてきた。
恐らく傍を離れたくないのだろう。
(.....昔は特に暗いところを怖がる様子は無かったのに.....こっちに来て、この子は少し臆病になったな....)
昼間と同じ様にそのグレーの髪を撫でてやった。
彼女は少しくすぐったそうに目を細める。
「でもベルトルトさん....灯りが無いと星がとても綺麗に見えますね」
ジョゼは安心した様にその表情を緩め、部屋の窓から星を見上げた。
「....そうだね。」
頭から手を離し、ベルトルトも初夏の空を見上げた。
遠くには真黒な家々が連なり、紫紺色の夜空が覆い被さっている。
そしてその中空に夥しい星が白熱した花火のように輝いていた。
星と、蝋燭に照らされた彼女の白い横顔を交互に眺めていると、何故か胸がひどく痛んだ。
ジョゼは変わらない。昔から僕の事を好いてくれている。
以前の記憶が無い今もずっと.....
他人みたいに接せられるのは少し悲しいけれど....どこかほっとしている自分もいる。
彼女は覚えていない。あの悲しい世界の事も。僕がしてしまった事も。
他の連中と違って産まれたときから記憶を受け継いでいない彼女に急に記憶が戻れば...そのショックは大きい筈だ。
きっと僕とも...今まで通りにはいかないだろう....
思い出して欲しい。以前の様にちゃんと名前を呼んで欲しい。
思い出して欲しくない。君に、侮蔑の眼差しを向けられる事がすごく怖い。
ジョゼは顔こそ怖いけれど優しいから....人を蔑む様な事は決してしないと分かってはいるからこそ....
もしもあの目に、睨まれたら、と....冷えた視線を向けられたら、と....思っては、ひどく辛い気持ちになるのだ...
「星が綺麗な事なんて....当たり前の事なのに、忘れていたなぁ....」
ジョゼがぽつりと呟く。
「うん....そうだね」
「昔は....電気なんかなかったからこれが当たり前だったのに....」
「うん.....」
「ベルトルト、私ね、昔の記憶が戻ったんだよ.....。」
「........そっか」
彼女はそっとベルトルトの手を握る。
恐れていた事の筈なのに、こうして言われるとあまり驚きは無かった。
来るべくして...来た日なのだ。
静かに目を閉じて星の光を遮断する。
左手に感じるジョゼの手はひんやりとしていた。
「......僕の事も、覚えてるんだね....」
微かにそう囁けば、掌を握ってくる力が強くなる。
「覚えているよ。昔から君はずっと意地悪で....それで、優しい人だった。」
彼女の掌をもっと強い力で握り返した。胸が痛い。怖くてジョゼの顔が見れない。
「.....何で、すぐに言ってくれなかったの」
「ごめん....」
「僕はずっと、寂しかった....」
「ごめん....」
ひとつ呼吸を置く。声が震えてきた。でも....聞かなきゃ。例え、今まで通り一緒に過ごせなくなっても....
「......僕がした事を、覚えているの」
返事は無かった。
それで、全てを理解した。
ジョゼは覚えている。僕との楽しい記憶も、辛い記憶も....全部.....
しばらく二人の間には重たい沈黙が横たわった。
その間、ベルトルトは決して目蓋を開けようとしなかった。
目を開けば、自分の事を冷ややかな視線で見下ろしているジョゼの姿が目に入るのではないかと....そういう悪い想像ばかりが頭に浮かんできてしまって....
「ベルトルト....」
耳元で彼女の囁く声がする。自分の体のすぐ横のマットが沈む感覚。目をそっと開けば、目と鼻の先にその顔があった。
「.....覚えていないよ」
ジョゼはぽつりとそう言う。
「私はベルトルトとの楽しいことしか覚えていない。そんな悲しい事は、知らない。....知らないんだ。」
彼女の瞳から胸の内を読み取る事は難しかった。
でも、責めたり、否定するものは無い。それだけは確かだった。
「.......そっか」
言いたい事や聞きたい事は沢山あったけれど、それしか言葉がでてこない。
「そうだよ....。だから私と君は、これからも同じ様に一緒に過ごすんだ。.....何も変わらない。」
ジョゼはそう言いながら淡く笑う。
......何故だろう。嬉しい筈なのに胸の痛みはひどくなる一方だ。
繋いだ彼女の手を両手で包み込む。やっぱり冷たい。
「.....そうだね。何も、変わらない。」
息を吐く様にそう零した後、もう一度目蓋を閉じた。
......そういう事にしよう。ジョゼの優しい嘘を信じる事にしよう。
彼女は何も知らない。僕たちは何も変わらない。
それで良い。......僕は、それが良い。
*
「これからは敬語やめてよね。すごく気持ち悪かったんだから」
ベルトルトが呟く。
「でも先輩と後輩はそういうものだよ。」
ジョゼがテーブルに食器を手際よくセットしながらそれに答えた。
台所から香る匂いから今晩はカレーライスの様だ。
「.....お腹減った」
「もう少し待ってね」
「嫌だと言ったら」
「お米に手間取ってしまったんだよ。ガスで炊くのなんて初めてだったから」
そう言う彼女はどこか楽しそうだ。足取りは軽く、台所とテーブルを行き来する間に鼻歌も聞こえて来る。
「.....何だか楽しそうだね」
テーブルに着席し、頬杖をつきながらその様子を見守った。
「.....暗いのは怖いけど、ほんの少しだけわくわくしている....かも。」
お米がどうやら炊けた様だ。
ジョゼが皿によそったものを見せて「これ位で足りる?」と尋ねてくるのでもう少し多くと注文する。
彼女は柔らかく笑ってその要望に応えてくれた。
「僕が居るおかげだね」
運ばれて来たカレーライスを受け取りながら言う。
「そうかもしれないね」
「.....素直になられると何だか物足りない....」
「どうしろと」
「ジョゼ」
「はい?」
「僕も何だか楽しい」
「それは良い事だね」
「.....食べて良い?」
「どうぞ。簡単なものですが」
ジョゼもエプロンを外してベルトルトの向かいに座った。
ジョゼが作ったカレーは家のものと比べて少し辛い。
何てことも無い食事も普段より美味しく感じるのは、蝋燭に照らされた非現実な空間だからか...それとも二人で過ごす時間が楽しいからか.....
「というか記憶戻ったんならすぐ教えてよ」
「......随分と根に持つね」
「当たり前でしょ。で、何がきっかけで思い出したの」
「マルコと色々あってね」
「ふうん....」
「?どうしたの」
「何でもない、ほら人参あげる」
「こらちゃんと食べなさい」
それから父親が帰ってくるまで数時間に渡りジョゼはベルトルトからネチネチと記憶が戻るに至った経緯を詰問される事になる。
そしてベルトルトを送った後は盛大な勘違いをした父親からまたしても寝るまでネチネチと二人の関係について詰問され、翌日寝不足により授業中に爆睡してしまったジョゼはリヴァイ先生に教科書の角で頭を殴られた。
緋色様のリクエストより。
ベルトルトに記憶を取り戻した事を内緒にしての、ドッキリで書かせて頂きました。
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