ジョゼはトンネルからひとつ戻ったところにあるイワシの群れがいる水槽の前でじっと佇んでいた。
声をかけると先程と同じ様にはっとこちらを向く。
そして、また「ごめん、ぼーっとしてて....皆から遅れちゃってたかな....」と何でも無い様に言う....
「ジョゼ、君...変だ。」
マルコは彼女の肩にそっと両手を乗せて瞳を覗き込んだ。
二人の近くをイワシ達が銀色の体を鈍く光らせて泳いで行く。
「いつも少しぼんやりしているけれど.....今日は何か違う。....どうしたの。」
ジョゼもまたマルコの瞳をじっと見つめ返した後、ゆっくりと首を横に振った。
「.....何でもないよ。いつもと同じ。心配かけちゃって....ごめん。」
銀の群れはひとつの生物の様に巨大な水槽の中で蠢いている。
.....静かだ。動くものはこの得体の知れない生き物だけである。
「......何でもあるよ。大丈夫だから....言ってごらん。」
小さな子供に言って聞かせる様にマルコは尋ねた。
今ここで、彼女をこのままにしてはいけない気がする......。
「ねぇジョゼ。辛い時は我慢する必要は無い。
君はもう強くなくて良いんだ。兵士じゃない、普通の女の子なんだから....
だから.....僕を頼って欲しい。」
ジョゼはぼんやりと青白い水槽を眺め、その視線をマルコへ向け....躊躇う様に口を開いた。
「......現実感が無さ過ぎて、少し...怖いんだ。」
彼女の囁く声がいやに耳に響く。
「.....怖い?」
「うん。何て言えば良いのかな....。幸せ過ぎて、怖い...かな。」
イワシの群れが大きく呼吸する様に膨らんだ。渦巻きながらそれは上へと昇っていく。餌の時間か何かだろうか。
「幸せならそれで良いじゃないか。何故怖がる必要が....?」
「......毎日楽しくて....今日はこんなに素晴らしい所に皆と来れて.....見た事も無い素敵な魚が一杯いる.....
あの壁の中では考えられなかった事だよね....。」
「.....そうだね。」
「......まるで夢みたいで、本当に夢だったらどうしよう、と思ってしまったの。
もし.....目を覚ましたら、周りは壁に囲まれた世界で、海も綺麗な魚も無い.....。私は調査兵で、戦わなくちゃ生きていけなくて.....。そして世界のどこを探しても、君の姿が見つからなかったら.....」
銀色の群れが下降してきた。それは水槽の中を隅々まで埋め尽くしていく。
「ジョゼ、少し座ろう。」
マルコは彼女の肩を優しく抱いて、水槽から少し離れた所にあるソファに導いた。
ジョゼの顔は蒼白だった。ブルーライトの所為では無い。それを震える肩が物語っていた。
しばらく二人は互いに体重を預け合いながら少し遠くなったイワシの群れを眺めた。
真っ白な腹をした巨大なマンタがゆっくりとそれに突っ込み、ぶわりと銀色が散らばっていく。
彼女は少し落ち着いた様で、目を伏せて自分の手元を見つめていた。
マルコはジョゼの髪をそろりと撫で、そのまま自分の胸元に頭を抱き寄せる。
それを受け入れる様に彼女は目を閉じた。
「......ジョゼ。僕の心臓の音が聞こえる?」
安心させる様に出来るだけ優しい声でそう聞く。胸の中でその頭が微かに上下した。
「僕はちゃんと生きて、ここにいるんだよ。.....君の傍に、これからもずっといる。」
ぎゅっと自分の服が掴まれる感触がする。その行為に、何だか胸が締め付けられた。
「ねぇジョゼ、僕と一緒に生きてくれるって約束したじゃないか。そういう悲しい事は....考えたら駄目だよ...。」
「うん....。ごめんなさい。」
「大丈夫だから。.....また不安になったら、いつでもこうしてあげるから....」
「........ありがとう、.....ごめんなさい。」
「うん......。」
マルコはジョゼの柔らかな髪を撫でながら、目の前に広がる壮観な水中の景色を眺めていた。
相変わらず音も無く、その銀色の群れは膨らんだり縮んだりを繰り返す。
やっぱりまた、二人で来よう....とその時ふと思った。
今度ははぐれない様に....手を繋ぎながら、一緒に歩こう。.....ね、ジョゼ......。
*
「わ、すごい....」
ジョゼはトンネルの天井を見上げながら言葉を失っている。
ようやく彼女らしい、いつもの表情を取り戻してくれた事にマルコはほっとしていた。
「.....綺麗。夢の中みたい....」
囁く様な声が隣から漏れる。
「そうだね。......でも、現実だよ。」
「うん.....。そっか。....君の横でこの景色が見れて、良かった....。」
「また来よう。今度はふた「おいぼんやり大将。どこほっつき歩いてたんだ。」
その時、ジョゼの頭が勢い良くジャンにはたかれた。
「.....ごめんなさい。ぼーっとしてたらはぐれました.....。」
頭を抑えながら彼女が呻く。
「オレはクラゲが嫌いなんだよ!こんな所にいてストレスフルだ!!」
「....出口で待ってれば良かったじゃないか。」
マルコが口を挟む。
「ジャンは二人が心配でここを離れられなかったんだよ。」
良かった良かったとアルミンはジョゼの手を取る。彼女の体はすでにミカサによってがっちり抱き締められていた。
「...あいつに何かされなかった....?」
「うん....?何もされてないよ」
「ジョゼはこういう事に疎過ぎる。でも安心して。貴方の貞操は私が守る。」
「.......て.....?」
「人聞き悪い事言わないでよ。僕とジョゼは清く正しい交際をしているんだから」
「.......どうだか」
ミカサはじとりと横目でマルコを睨むと、ジョゼを引きずって先の方へ進んでしまう。
本日何回目かの溜め息を吐いて、絶対にもう一度二人で来よう、と彼は心に誓うのであった.......
長月様のリクエストより
マルコとジャン+104期と水族館に遊びに行くとか…で書かせて頂きました。
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