「何処へ行く」


貴方のいないところへですよ、という本音を飲み込んだ。言える状況ではなかった。
背中を向けたのがいけなかったのかもしれない。
めりめりと頭に鴉さんの指が食い込む。
狭く長い廊下のはしっこに立っていた鴉さんを見つけて、私は反射的に元来た道を辿った。
鴉さんは、私が踵を返した一瞬に間合いをつめて、正面に立っていた。
私をひき止めた。
片手で頭部を鷲掴みにして。

「お前に会えて嬉しいよ」
「鴉さん、痛い」
「人間は脆いからな」
「しぬ…」
「こんなに優しく触れているというのに」


指の隙間から顔色を伺う。
マスクで隠された口許は弧を描いているだろうか。わからない。

鴉さんに恋人がいたら、たとえ妖怪だとしても大変だろうなと思う。
彼の愛撫は凶器で、接吻は爆弾だから。




「余計なことを考えるなよ、殺すぞ」


頭蓋骨ががらがらと瓦解する寸前に、鴉さんは手をゆるめた。
じわんじわんと痛みを残していった。
今日も無事だ。よかった。

鴉さんの指は離れることなく、そのまま私の髪に指を通した。その手つきは驚くほどに優しかった。
彼は美しいものを愛でる。
そういえば昨日、髪を洗っていない。
今度こそ死んだかな、と思った。