そして最後、江ノ電に乗り込み、前回は奥津宮を残して辺津宮・中津宮しか巡れなかった江島神社へとやって来た…。

 本殿に向かって手を合わせたまま、奈々は隣に並んだ崇の横顔をそっと盗み見た。いつも通りのボサボサの髪はさておき、高い鼻、切れ長の目、長い睫毛――つい、魅入られたように眺めてしまう。
 この人は今、どんな事を考え、何に思いを馳せているのだろう。きっとそれを尋ねたら、長い長い歴史蘊蓄の披露が始まるのだろう。小さく笑みを零した奈々をよそに、丁寧に最後の一礼を終えた崇は、「行こうか」と微笑んで奈々の背中を押した。


「ねえタタルさん」
「ん?」
「今日はどうしてまた鎌倉に? 何か調べたい事でもあったんですか?」

 江島神社での参拝を終え、江ノ島駅に向かって夕闇迫る空の下を崇と並んで歩きながら奈々は尋ねた。
 この季節になると、夜は駆け足で世界を覆い隠そうとする。紫のインクで染めたような天幕の端で、きらりと一番星が輝いた。

「前に沙織くんと三人で来た時――いや、途中で熊つ崎が合流したりもしたが――あの時、鎌倉にはまたゆっくり来ようと言っただろう? いつか、君と一緒に来られたらいいなと思っていた」
「そう…ですか」

 勿論憶えている。けれど、あの言葉が自分に向けられたものなのかどうか自信がなかったのだ。

「でもタタルさん、どうしてあんな朝早くに突然…。お誘いは嬉しかったですけれど、ビックリしちゃいました」

 言いつつも、前もって連絡をもらっていれば服だって新調できたし美容室にだって行っておいたのに、と、奈々としてはなんだかもう泣きたい気分になってしまう。

「君だってこの前は突然俺の職場にやって来ただろう? これでおあいこだ。…と言うのは建前で、」
「建前…?」
「当日なら断られても諦めがつくと思ったんだ。こう見えて臆病者なんだよ、俺は。…これが、本音」

 ふっと自嘲気味に笑って、崇は奈々を見つめた。奈々もじっと見つめ返す。

「断りませんよ」

 弾かれたように瞠目する崇に、奈々はにっこり笑って言った。

「私、これからもタタルさんと一緒にいろんな所に行きたいんです。今まで知らなかった事、知っておくべきだった事、これから知っていきたい事…沢山ありますから。タタルさんは『甘えずに自分で調べろ』っておっしゃるかもしれませんけど、でも、私、歴史について何かを学ぶとしたら、タタルさんが先生じゃなきゃ嫌です」

 丁寧に、ひとつひとつ噛みしめるように奈々は言葉を紡いだ。そんな奈々の視界は、崇によって唐突に遮られた。

「タタルさ、ん」

 抱きしめられている、と気付いて、奈々は耳まで真っ赤に染めて硬直してしまう。心臓が早鐘を打ち鳴らし過ぎて破裂しそうだ。そんな奈々の耳元で、崇が低い声で囁く。

「…まったくもって君には降参だ。俺は一生、君には敵わないんだろうな」

 身を委ねていた奈々がそっと顔を上げると、崇は緩やかな仕草で奈々の頬に触れ、そして優しく唇を重ねた。
 往来をゆく車のライトが眩く辺りを照らす。奈々は崇の袖を掴んだまま目を伏せて俯いた。

「タタルさん、あの、こんな場所でこういうのは、すごく…恥ずかしいです…」
「何が?」

 崇は、意に介さずといった風情で口端を持ち上げて笑った。自分は臆病者だと言ったのはどの口だ、と、上目遣いに睨んではみたものの、崇の穏やかな眼差しに、奈々はくたりと溶けそうになってしまう。

「仕方ないな。奈々くんが恥ずかしいと言うならば、続きは場所を変えてするしかないか」
「な…っ!」
「冗談」

 言いたい事だけ言って奈々から離れた崇だったが、ふと振り返って奈々へと手を差し伸べた。

「さあ、帰ろう」
「はい」
「…あれ? 本当にこのまま帰る? さっきの続きは無しで?」
「もうっ、タタルさん!」

 すっかり夕闇に包み込まれてしまった江の島のシルエットと仄かに輝きだした星々を背景に、「私だってまだまだ帰りたくないです…」と、不敵に笑う崇の手を取りながら奈々は呟いた。

-END-



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