不安なのよ。ぽつりと対面に座る彼女がこぼした言葉の続きを、拓人は黙って待った。カフェ独特の喧騒が空間に響く中、彼女は、ちらりと彼を見て居心地悪そうに目を反らす。

「拓人のことは、嫌いじゃないわ」
「ああ、知っている」

 そしてその言葉の意味が、彼女からの最大限の好意を示すものであることも。彼は知っていた。しかしわからなかった。彼女がどんな不安に苛まれているのか。だから、その言葉の続きを待った。

「嫌いじゃない…一緒にいたい。でも、そう。怖いの」

 怖い? そのまま返した言葉に、彼女は視線を落とした。拓人も視線を落とす。適温だった紅茶は、きっと大分温くなってしまっただろうなぁ。場違いにそんなことを思いながら、彼女の位置からは見えないように膝の上に構えていた、装飾の無い小さな箱を一撫でする。

「あなたは、素敵な人だから」

 わたしには勿体無いくらい。消え入るような声に、拓人はハッと顔を上げた。

「そんな」
「勿体無いよ、もったいなさすぎる、わたしなんかが隣にいるなんて」

 ガタンと、突くような音が言葉を遮った。目を見開いたのは彼女で、音を立てた張本人である拓人はテーブルに身を乗り出して彼女の手を掴むように握っていた。

「やだ、はなしてっ」
「きっと同じだ」

 場にそぐわない穏やかな声音に、彼女は口を噤んだ。柔らかく微笑んだ彼をじっと見つめる。

「お前が俺を思うのと同じくらい、俺だってお前を思っている」
「うそ、」

 掴んでいた手を離し、ずっと膝の上に置いていた箱を彼女の手の平に握らせる。

「開けてくれ」

 多くは語らずに、じっと目を見てそれだけ言う。きっと何を言うより、どんな言葉を紡ぐより、この想いの、証拠になる。
 彼女が箱を開き、目を瞠った。

「俺だって、不安だ」

 ちゃんと隣に立つに相応しい男でいれているか。きちんと彼女を支え、手を差し伸べられているか。一人先に進みすぎず、リードできているのか。彼女を、孤独にさせやしていないか。

「…わたしばっかりが不安なんだって思ってた」
「そう思わせてたのは俺だ」
「そう…」

 目を伏せ、開いた箱の中を見つめる。シンプルな装飾を施した細いシルバーの線に、光が反射した。

「でも、」
「小さい頃に教養としてワルツを習っていたんだ」

 彼女の、逆接の言葉を遮って拓人が口を開いた。倒してしまった椅子を戻して腰を下ろす拓人。なんの脈絡もない話題に面食らった彼女は、思わずそこまで出ていた言葉を飲み込む。

「三拍子って馴染みも無いし、中々上手く踊る事が出来なかった」

 だけど、言葉を一度止める拓人。二人の視線が合う。

「続けていると、馴染むものなんだな。今なら目を閉じてもステップを踏める気がするんだ」

 言葉の意味するところが上手く理解できない彼女が、表情でそれを示した。つまりだな、拓人が柔らかく微笑った。

「俺と相性の良いお前とは、そんな関係になれると思うんだ」

 だから、受け取ってくれるだろう。イエス以外の答えは認めないという口振りなのに疑問系に取れるようにいうからズルくて、彼女は思わずクスリと笑った。

「そんな関係になるにはまだ足りない段階があるわ」

 不思議そうな表情を浮かべる拓人に、彼女は悪戯っぽく言う。

「まずは不動産屋さんね」

 一本取られたな、苦笑を浮かべてから、彼はわざとらしく改まった。

「まずは一緒に住む所から始めませんか」
「よろこんで」



【心のワルツになるまで】


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