「彩子」

 何処か動揺したような声で私の名を紡ぐ拓人。わかってる、ちゃんとわかってる。でも、やっぱり許せないと思う自分とか、許せないと思う自分が子どもだなぁと憤っていたりとか。
 そっと、私に触れようとした拓人を、無意識に拒否してしまう。多分反射的に、拓人も手を引っ込める。
 ああ、もう。またやってしまった。いい加減許してやればいいのに。いや、許すもなにも無いのに。だってあれは事故で、拓人に非がある訳じゃないし、故意でもない。私が勝手に怒ってるだけ。拓人がせっかく歩み寄ろうとしてくれているのに。でも、無駄に高いプライドのせいで、素直に受け入れることが出来なくて。

「も、いいよ」

 ようやく口から出た言葉は、思っていたこととは違った。こんなことが言いたいんじゃない、のに。
 視界に入る足元。拓人の顔が、見れない。拓人が私の名前を口にする。
 ごめん、違うの。そんな、辛そうな声、出さないで。
 事故だって、わかってるんだって。私が意地はってるだけなんだ。そうなんだって、言わないといけないのに、言えない。ああ、なんて面倒くさいんだろう。こんなんじゃ、愛想を尽かされてしまう。早く、謝らないと。一方的に怒ってごめん、もう大丈夫だから。一言なのに、口から出ない。
 たまらず背を向けて走り出す。追ってこないで。でも追ってきてほしい。矛盾した思いを抱きながら。もっと素直になれたら、こんな思いしなくて済んだかもしれないのに。

 たまたま、だった。
 たまたま、私は階段を降りようとしていて。
 たまたま、拓人は階段を上がってこようとしていて。
 たまたま、拓人のすれ違い間際、段差を踏みはずした女子生徒が側に居た。

 拓人は反射的に彼女を支えた。
 礼を言う彼女に恐縮する拓人、一部始終を見ていた私。目があった瞬間に私は逃げようとして、拓人に呼び止められた。
 わかってる。拓人は悪くない。それはわかっているけど。心の狭い私は、そんな些細なことすらも許せなかった。
 直ぐに素直な気持ちを言えば、まだ取り返しがついたかもしれないけれど、ただでさえ意固地なのにこんなときだけ素直になれるはずがない。通りすがりの女の子に、嫉妬したんだよ、なんて。言えるはずが無い。
 結果、拓人を困らせて、私は一方的に怒って。逃げてきてしまった。

 走る足を止める。追ってはきていない、らしい。乱れる息を、整える。全力疾走なんて、体育の授業以外では久しぶりだ。一筋、頬を伝った物を汗だと思いこむ。
 ああもう、一方的にアツくなって、バカみたいだ。でも、バカみたいに、好きなんだよ。本当に、ずっと自分の中だけで隠し続けるつもりだった気持ちだから、拓人が私と同じ気持ちなんだって知った時は、舞い上がるくらい嬉しかった。こんなに大好きなのに、私は逃げてきてしまった。

「拓人ぉ…」

 ああ、暑い。走ったから。汗ばかり流れる。気持ちが溢れる。全部一緒に、流れてしまえば――

「彩子」

 不意に右手を引かれ、体が反転する。そのまま私は、倒れこむようにその胸の中に吸い込まれた。

「た、く」
「ごめん」

 降って来た言葉に、はっとした。頭を振る私の頭を、拓人が優しく押さえた。

「良いんだ」

 オレも、彩子に甘えてたから。
 拓人を伺う。困ったような表情を浮かべる彼は、少しバツが悪そうだった。

「だって全部一人でしょいこもうとしてるだろう」

 いつも。告げられた言葉に、目を見開く。
 わかるよ、いつも見てるから。気づいていないフリをしていたのは、彼の優しさだったのか。少し居心地悪い。

「でも、そういうの表に出さないようにしてると思って。だから触れなかったんだけど」

 触れない事が彩子にとって良いことだと思ってた。本当は、ちゃんと受け止めるって言うべきだったのに。甘えていたのはオレだった。ごめん、もっと早く気付けばよかった。
 すぐ近くで落とされた言葉。回された腕に力が籠る。困惑したのは私の方だ。そんな、ただの強がりだったのに。

「ごめん…」

 あの子に、嫉妬してた。ああ、そうか。口にした本音は、思ったより優しく受け止められた。なんだかくすぐったくて、そのまま拓人の胸に顔を埋める。

「私、面倒くさいよ」
「それは彩子の主観だろう」

 一般的にはそれは頑張りすぎって言うんだ。お願いだから少しくらい頼ってくれ。
 無条件に零れてくる甘い言葉にすがりきるには、まだ私の自制心が邪魔をする。だけど、拓人の気持ちが嬉しくて、私は少しだけ自分に素直になることにした。
 拓人の背中に腕を回す。控えめだな、と彼は苦笑したけれど、比例して腕の力を強くしてくれた。



【もういいじゃない、愛されにおいで】


愛を喰らえ様に提出。
 イメージしてるようなケンカではなくて、なんか静かな雰囲気になってしまった…。

 0120131 ayako,i



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