「……全く、キミって子はさぁ……………」

 はああぁ、大きく溜息を吐く。
 暗めの茶色に染めた髪、うすめのメイク。少し胸の開いた鮮やかなスカイブルーのワンピースの裾は短い。
 細い指、色を合わせて綺麗に飾られた華奢な爪の動きで世のバカ男共を惑わしている場面を想像すると、なんだか涙が出そうになる。

「ごめんなさーい」
「返事は真面目に」
「はいはいっ」
「はいは一回」
「はーあーいー」

 ほんとに、まったく。
 反省の色など欠片も見えない彼女にはもう何を言っても無駄だということは解り切っているけれど、立場的にゲンコツをくれてやらない訳にはいかないことは判っているので俺は渋々口を開く。

「“…何でまた、こう何回も援助交際なんてするかなあ”」

 …白々しく棒読みに形だけ言ってみたところで、今更止めるだろうとは思っていないのだけれど。

 おひさま園は万年金欠である。
 特にエイリア学園事件以降、その傾向は顕著に表れた。元々がお父様の趣味の産物のようなものだったからあまり財閥との関わりは公にしていなかったし、片手間での運営だったために特別に従業員などを雇っていたわけでもなかったから、お父様が逮捕された直後なんかは問い合わせが殺到したりなんかして、それはもう、大変な事態に陥ったこともあった。
 加えて、事業のスポンサーが大幅に減ったのだ。これが非常に痛かった。財閥を建て直すには、私財―――吉良のポケットマネーを投入するほかはなく、それによって日々、園の財政は厳しくなっていった。

 あれから十年。当時の関係者、特に元エイリア学園の生徒達を中心とした支援者団体の存在によって、今では園の運営も随分と楽になっている。
 まず、子供たち全員に毎月きちんとした一定の額の小遣いを遣れるようになった。各々の名前を手書きした使い回しの薄い茶封筒に入って配布される五百円玉硬貨一枚きりではなく、硬い紙で出来ていて裏地までついた立派な白封筒に入れた5000円札を。
 それから施設自体も未だ一軒家風ではあるが、一応中はリフォームも済ませ増築工事もしたのだ。部屋数が増えたことによって個人部屋を持てる子供の数も増やせた。ランドセルや制服、文房具等の寄付も増えたし、日々の食事もシチューやカレー等の栄養価が高いものが増え、プレートにもごく当たり前に肉が並ぶ。一汁一菜が基本だった俺の時代とは大違い。
 …それでも、足りない子には足りないし、若いうちに自分のやりたいことを見つけられる子も多い。だからアルバイトをしたいと言われればその要求には応えるし、出来る限りのサポートも惜しまないようにしている…の、だが。

「だぁーって。普通のバイトとか、めんどくさいしつまんないじゃん」

 ………この子だけはどうにも、勝手が違う。
 初めは、彼女も他の子供たちと同じようにファミリーレストランやファストフード店でアルバイトをしていた。“学校以外の人とも知り合いたい”。よくあること、よくある理由だ。
 ボウリングクラブ、カラオケ、回転寿司、コンビニ、派遣の登録。アルバイト先を頻繁に変えたがるというのも、まあ儘あることだったし好きにさせていた。
 しかし、ある日唐突に園に掛かってきた電話で全ては明らかになった。
 “お宅の園の一ノ瀬彩子は援助交際をしているようだ”。
 相手は警察署―――ではなく、善意の刑事(つまりは鬼瓦さんのことだ)で、ひとまず不問にしておいてくれるとのことだったので僕等は全力でそれに甘えた。それで彼女を散々叱り、問い詰め―――結果、返ってきた答えは“おもしろいから”との一言きり。

 自分の分と一緒に飲み物を出してやって、もう恒例となりつつある『お説教』。

「で?したの」
「んーん。まだバッリバリの処女」
「まだ?」
「いつか負けたらヤっちゃうかもねえ」
「…それって怖くないの」
「べっつにい。デートだけで終われるギリギリで満足させちゃえば平気だし」

 とうとう連れて行かれた初めての警察署でも、彼女はこうのたまった。

 ―――君はあの男と何をしてたのかな
 “なんにも。遊んでただけ”
 ―――遊ぶ?何して?
 “お茶してー、ゲーセン行ってー、カラオケ?”
 ―――そのあとはどうするつもりだったの
 “ご飯行って、バイバイしようって約束”
 ―――バイバイ?
 “えー、おまわりさん知らないの?さよならするって意味、”
 ―――そんなことは聞いてない!本当にあのまま別れるつもりだったのか!?
 “うん。いつものことだし”
 ―――常習犯か……今までの客とは?どうなのかな、
 “客なんて言い方やめなよー、オトモダチ。みんないいヒトだよ、危険な橋は渡れないの”
 ―――………………。
 “おじさんっていーよ、ガッついてなくって。…おまわりさんみたいにさ”

 へらへらと掴みどころのない口調で若い警官をブチ切れさせた挙句、うまく立ち回り何の罪にも問われずするりと警察署から出てきてしまったのには、実にひやひやさせられた。
 …何が恐ろしいって、これらのやり取りはどうにも心底からの彼女の本心であるらしいということだ。
 彩子ちゃんは小さな頃から本当に変わった子で、園に来るよりも前からいわゆる“奇行”ばかり取る子供だと近所では有名だったのだと聞いた。“石と石を叩き合わせると形が変わり”石器ができるのだと聞いたとたんにその辺にあった石を拾い上げ、傷がつくまで石を噛んでいて歯が欠けたという話や、何も言わずに一人で家を出て行ったと思ったら五時間後に作業服を着た男に連れられて帰ってきたという話(男が言うには“三時間程前から自分の働いている工事現場を立ったままじっと見つめていた。気付いたときにはそこにいて、なんだか心配になったので連れてきた”とのことだった)だとか、とにかく彼女には妙なエピソードが多かった。
園に来てからもそれは変わらず、全員に折り紙を一セットずつ配れば目を離した隙に貰った色紙を全部丸めて床に点々と置き、これはどうしたの?と問えば“綺麗でしょ?”と返ってきたり、ともうなんだか相手をするのが大変だった。
 そのくせ頭は悪くない。学校の勉強に苦労しているところなど見たこともないし、場の空気を読むことにも長けていた。…その頭脳が彼女にとっての“楽しいこと”にしか使われないのには閉口したが。
 それでも、それでも彼女は園の人間にとって大切な存在だ。園の一員で、自立間近の子供。
 だからこんな方法で自分を安売りして欲しくも、こんなちっぽけな事で人生を潰して欲しくもない―――少なくとも俺は、心底そう思っている。

「…僕にとってさ、」
「なに」
「個人的に仲良くなった園児って、キミが初めてなんだよね………」

 気付けばそう口にしていた。
 初めてどころではない、むしろ最初で最後なのではないかと勝手に思っている。

「どうにも目がいっちゃって。なんでか知らないけど」

 それまでの適当な反応とは打って変わって、視線がこちらを射る。
 俺の言葉が興味を惹いたらしく、挑発的に眇めた瞳で先を促された。

「リスクの計算が得意なキミに言っても無駄だろうけどさ、私用の電話の番号を知ってる女もキミだけなんだよ…ああ、姉さんは別だけどね」
「…ふうん?」

 小首を傾げて訳知り顔のベビーフェイス。

「まどろっこしくていけないねえ、センセも」
「なにがかな」
「…もっとはっきり、言っちゃえば」

 うすく色付く程度に口紅の塗られた口端がきゅっと上がる。
 滑るように自然な動きで間を隔てる机に上体を乗り上げて、額がこつんと突き合った。

「………………」

 暫し、無言で目をかち合わせる。
 じっと覗き込んだ瞳には、色も熱も燈らない。あるのは、

「ほんと馬鹿なコ」

 ごん。
 っつ、と小さく呻く彼女の鼻頭をぎゅっとつまんでやった。
 興味本位で飛び込んでくる荒削りな危うさも魅力的だけれど、ここで摘んでしまうのは凡夫のすること。
 もっともっと、熟れて焦れて。
 手近に切り売りされたファストフードで満たせるキミより、欲望と本能に研ぎ澄まされてギラついたキミがいい。

「俺を欲しがるには十年早いよ、子豚ちゃん」

 手垢に塗れて、またおいで。





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