頭の中で明後日提出のレポートの構想を立てながら歩く。大方纏まったそれに満足し、ちらりと時計を確認する。バイトの開始時間にはまだ余裕があった。この分なら着替えたあと文章に起こすくらいの時間はあるかもしれない。
殆ど纏まったレポート内容を反復しながら、彩子は自身がアルバイトをする喫茶店のドアを開く。
「あっ」
という声が二重に聞こえたのと、冷たい何かが彩子にかかったのは、殆ど同じタイミングだった。
「バイト中に喧嘩するなっていつも言ってるでしょ!」
彩子の怒鳴り声に、二人は肩をすくめた。
「だって風介がよぉ」
「しかし晴矢が」
「言い訳は聞かない」
ピシャリと言葉を遮ると、腑に落ちない顔はしたものの二人は黙った。
「たまたま私だったからよかったものの…」
タオルで濡れた部分を拭きながらこぼす彩子。流石にそれに関しては何も言い返せないようで、二人は黙って目をそらした。その様子を見て、彩子は溜息をつく。
本当、水がかかったのがお客さんじゃなくて良かった。そうじゃなくても飲食店でお客さんに何かやらかしたら大惨事だっていうのに。
「百歩譲って、ちょっと喧嘩するくらいならまだ良いけど、物を持ち出すのはやめてよ。惨事になってからじゃ遅いんだからね」
しかもピッチャー。いや、ピッチャーはプラスチック製なので、グラスが飛んできて破片が飛び散るよりマシかもしれないが。
流石に多少は反省しているのか、肯定の意が取れる返事を揃って返すものの、どこまで本気かわからないそれに、彩子は再び溜息をついた。
「で?」
「は?」
「何が原因で喧嘩してたの?」
訊ねると、二人は気まずそうな表情をして顔を見合せる。首を傾げる彩子。
「それは…なぁ」
「そう、だな」
歯切れ悪い二人の言葉に、余計にその内容が気になる。
「私が聞かない方が良いことなら干渉しないけど…」
今までとは違う二人の様子にただ事ではないと感じた彩子がそう言った瞬間だった。風介が突然距離を詰めてくる。
「え、ちょっ」
「彩子、私と」
「あっ、こら風介お前…!」
「私と付き合え」
遮ろうとした晴矢を無視して風介が言いきった。
「…は?」
「てめぇ、何言ってんだよ!」
「悔しければ貴様も伝えればいいだろう」
「何ぃ?!」
「もう、だから喧嘩はっ」
「一ノ瀬!」
「は?」
不意に晴矢が手を掴み、その方向を見る。晴矢が真面目な表情を浮かべていたことが予想外で思わず息を飲んだ。
「付き合うなら俺にしとけ」
「……二人とも何言ってんの?」
いい加減脳内の処理が追い付かなくなって、出てきたのはそんな言葉だった。
「あれ、そもそも私二人に喧嘩の原因聞いてたんじゃなかったっけ…?」
「いや、だから」
「これがその原因だ」
その原因って、喧嘩の? 訝しる彩子に、二人は揃って頷いた。やはり状況が今だわかりきっていない彩子はとんちんかんなことを聞いてしまう。
「なにそれ、なんかの罰ゲーム?」
「お前この期に及んで…」
脱力す晴矢を見つつも、彩子はひとつの考えに辿り着いた。
「あ、もし付き合うならどっちにするかとか、そういうことか」 二人が目を合わせて、若干腑に落ちない表情をする。しかし、二人の中で何かが合意したらしく、お互い頷きあった。
「そういうことだ、一ノ瀬どっちか選べ」
「私か晴矢、付き合うならどっちだ」
真剣な眼差しを向けてくる二人に怯む。んん、とすごし悩んではみたものの、もとより彩子の中にはひとつしか答えがなかった。
「どっちかって言われても、私付き合ってる人いるし…」
沈黙。数秒経っても動かない二人を不審に思って、おーいと声をかける。
「はぁ?!」
ようやく現実に帰ったらしい晴矢がすっとんきょんな声を上げた。しかし風介は未だ放心しているようだ。
「い、いつから!」
「え、あー…ちゃんと付き合い始めたのは三ヶ月くらい前とか…?」
マジかよ、しゃがみこむ晴矢の反応がいまいち理解出来なくて首を捻る。
「ちょっと、南雲?」
「いや、いい。なんでもねぇから」
ひらひらと手を振って立ち上がり、風介の背中を叩く。ようやく立ち直ったらしい風介がそのまま晴矢の顔を見た。目で何やら会話をしている二人。話題の中心にいたはずなのに完全においてけぼりにされた彩子は、状況もよくわからないのでこの場を離脱することにした。
「取り敢えずわたし着替えてくるから、二人ともさっさと前戻って。いくら今お客さんいないからって…」
言い掛けると、来訪者を告げるベルが鳴った。早く早く、と二人を追い出して、彩子も更衣室へ向かった。
「取り敢えずアレだな」
「ああ」
彼氏早いとこ潰す。。
二人が物騒なことを言っているとは、彩子は予想だにしなかった。
【僕らはまだ知らない】
☆二人は彩子の彼氏がヒロトだと、彩子はヒロトが二人の幼馴染みだとはまだ知りません。
それにしても風介の口調が掴めない…。
20111118 ayako,i