「彩子」

 他の人には聞こえないくらいの声で、小さく呼ぶ。なんだかよくわからない言葉を呟く彼女に、少し可笑しくなってしまった。



 別に、俺と彩子は他人に対してこの関係を隠している訳ではない。でも二人きりのとき以外は苗字で呼び合うのが、なんとなく、お決まりになっていた。
 今日もそうだ。サークルの飲み会で、いつものように少し離れた席に着く。俺は普段つるむ面子と、彩子も普段よく喋る友人と。飲み会中に何気に彩子を見れば、目が合う。それもいつも通り。
 そこそこアルコールを入れると眠くなる体質の彩子は、時間が経つと大抵隣に座る友人にもたれかかる。限度を知っているからか、そもそもアルコール自体には元々対して興味がないせいか、そうなると無意識にノンアルコールをちびちび飲み出すのだが。
 さて、今日は会がお開きになるまでに醒めるだろうか。



「彩子、ほら、出るよ」

 腕に絡みついてぐずる彩子に声をかけるサークル仲間。彩子の隣に座っていた彼女は、今日の一番の被害者だ。内心で謝りながら、彩子の相手をしてくれたことに感謝する。

「潰れた?」
「ううん、そこまでじゃないんだけど」

 苦笑混じりの言葉に、俺も同じような調子で相槌を打った。

「一ノ瀬、大丈夫? 帰るよ」
「んー…」

 彩子の態度に二人で苦笑い。友人はどうにか彩子の拘束から抜け出そうと四苦八苦しながら、彩子に再度呼びかける。

「おいてくよ!」

 …怒鳴ってると言っても良い。

「それはやだぁ」
「じゃあさっさと支度する!」

 力任せに彩子を振りほどいた彼女は、ごめんお手洗いと早口に言って席を立つ。ちゃっかり荷物を持っていったから、この場は押し付ける気満々なんだろう。

「早く支度しないとほんとにおいていくよ」
「ううんん…」

 とろん、とした瞳を向けられ、鼓動が高鳴る。無意識だ。わかってる。計算できるタイプじゃない。それ故に、ズルい。
 手が伸びかけて、俺に触れる寸でで宙を掻く。酔っていても相手を選んでいて、状況を読んでいるのは知っていた。でも、聞こえてしまった。

「ひろ、と…」

 小さく呟かれた言葉は、多分、俺以外にその言葉は聞こえていないのだけど。
 不意を付かれた俺は一気に顔が熱くなった。

「彩子」

 ぽつり、とこぼれた。大丈夫、こんな喧噪の中だ。誰にも聞かれてない。微かに反応した彼女に、嬉しいやら可笑しいやら、なんだかよくわからない感情が沸き上がった。

「ほら、立って」

 一ノ瀬、と。今度はしっかり苗字を呼ぶ。ようやく気が済んだのか、うんうん言いながら身仕度をする彩子。立ち上がった彩子を先に行かせる。準備が出来た人から店を出ているから、別段なにか不審に思う節も無かったようで、すんなり向かった。

「……はぁ」

 本当に、もう。彩子はずるい。
 彼女のちょっとした言動で俺はこんなに心が乱れるのに、本人は全部無意識でやっていて、欠片も自覚が無いんだから。
 彩子と初めて出会った頃の俺が今の俺を見たら、どう思うんだろうなぁ。
 知らずに笑っていたらしく、友人が真顔でどうしたんだ? と訊ねてきた。思い出し笑いだよ。少し悩んで返したら、若干腑に落ちない表情は見せたが、大して掘り下げもせず、行こうぜ、と促された。
 同意して荷物を持つ。忘れ物が無いか確認を済ませてから、俺も後を追った。


【不意打ち】




 20111030 ayako,i


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