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 シャワーを浴びてリビングに戻ってくると、ソファの陰から不明瞭な声が聞こえてきた。何を言っているかいまいち理解できないが、それが自分に向けられているのは確かなようだった。
 L字型に配置されたソファを回り込むようにして、そこに寝そべった虎徹の姿を確認すると、その口を塞いでいる物の正体が明らかになる。
「どうしたんですか、そんなに大きなキャンディ」
「らんあふぇふぃーはーほっはほはあはんほ」
「口に物を含んだまま喋らないでください。ついでに何を言ってるか全く理解できません」
 大きな口をもごもごさせながら事情を話す虎徹を、バーナビーがぴしゃりと咎めた。両親と養父とに散々躾けられたマナーを強要するつもりはないが、あまりにも見苦しい真似には黙っていられない。
 冷たい物言いに不服そうに表情を曇らせた虎徹だったが、彼も一児の父として同じことを娘に教育してきた(もっとも、最近は同じ台詞を娘の口から言われるようになってしまったが)。バーナビーの言い分は全く間違ってはいないし、言い返す余地がないことも理解している。
 表情だけふてくされたまま渋々といった体で口の端からはみ出た棒を引き抜いて、口いっぱいに頬張っていたキャンディを口の外に出した。まん丸い球体をした、直径3cmほどの赤いキャンディだ。
「メトロに乗ろうとしたらベビーカーにいーっぱい荷物ぶら下げた女の人がいてな。丁度帰宅ラッシュで人もいーっぱいで。降りられなくなってたから手伝ったら、お礼だってよ」
 毒々しいほどに真っ赤なキャンディを軽く揺らしながら、やっと先程の質問の答えを返してきた。なんともこの人らしい理由だと、バーナビーは思う。
「でも良い年した大人にキャンディなんて。その女性も面白い方ですね」
「あー、うちにも娘がいるって言ったらさ。『じゃあお土産にどうぞ』って」
「結局虎徹さんが食べちゃってるじゃないですか」
「仕方ないだろ、ホイホイ会えるわけじゃねぇんだから」
 そうして再び大きなキャンディを大きな口に含んだ。ほっぺたを膨らませてもごもごと飴を舐める姿が子どもっぽくて、思わず笑ってしまう。
 そんなバーナビーの反応が気に入らないのか、寝転んだままの虎徹が挑むような目つきでバーナビーを見上げる。機嫌を損ねてしまったことを詫びるかのように、腰を折り曲げて彼の唇の端に小さな口づけを落とした。
「………すごく甘いですね、このキャンディ」
「バニーちゃんも食べる?」
「止めてください汚らしい」
「えー、いつもはもっと汚らしいことしてるのに」
  調子に乗って軽口を叩く虎徹の額に最近覚えた『でこぴん』なるものを喰らわせると、彼の表情に笑みが浮かぶ。痛くしたはずなのに、とバーナビーが不思議に思っている、その間に飴を引きぬいてべたべたになった唇がバーナビーのそれを捉えた。



「あれ、バニーちゃん今日はブラついてんの?」
 ソファに腰かけた虎徹の足の間にバーナビーが挟まるようなかたちでTVを眺めている(もちろんお互い番組の内容など全く頭に入っていない)最中、バーナビーの胸に悪戯しようとした虎徹が言葉を漏らした。
 パイル地のルームウェアは、いつもは触れると柔らかいおっぱいの感触がしたはずだ、と虎徹が首を傾げる。指先で下縁のラインを辿ると硬いワイヤーの感触がした。
「……だって、ファイヤーエンブレムさんが『ブラしてないと形が崩れるのよぅ』って」
「何それ、アイツそんなこと言ったの?おっぱいないくせに……つーかそれアイツの真似?似てねぇなー」
 娘を撫でる時と同じ手つきで柔らかな金色の毛並みを撫でまわしながら、もう片手は明らかな意図を持ってふわふわの生地越しに控えめな胸のラインを辿った。バーナビーがもどかしそうに身を捩じらせれば、それに応えるように肋骨からウエストに向かって武骨な指が滑る。
 性感を与えるような手つきであるが、この程度の刺激でバーナビーは満足できなくなってしまっていた。
 ほんの数ヶ月前にはキスをして、ハグをして、ほんの少しの悪戯だけで腰を砕いてしまっていたのに。今となっては、体の輪郭を辿られる程度では情欲を煽られるのみで、決して満足などできやしない。身のうちに潜む獣がもっともっとと涎を垂らし、さらなる刺激を求める。
「こて、つさん、」
「んー?どうしたのかな?」
 バーナビーの切羽詰まった呼びかけに、虎徹は知らないフリを決め込む。
 いつもはとろとろに甘やかしてくれるのに、たまに現れる意地悪な部分がバーナビーを魅了してやまない。いわゆる「ギャップ萌え」というやつなのだと教えてくれたのは誰だったか。年下の先輩ヒーローだっただろうか。
 言葉の上では無視を決め込む虎徹の手の動きはどんどんエスカレートして、ついに淡いグリーンのルームウェアに忍び込んできた。しなやかな腹筋を辿るようにして男っぽい手が上へ上へと迫ってくる。
「こてつさんっ」
 ついに耐えきれなくなってバーナビーが声を荒げた。
 荒げたといってもそれは彼女の物差しの上でいう「荒げた」であり、実際のところ虎徹にしてみれば猟師に捕まった仔兎が助けを求めているようにしか聞こえなかったのだが。
「あー、お腹冷えちゃうよな。ごめんな、バニーちゃん。ピーピーになったら大変だもんなあ」
 バーナビーの望み通り、虎徹の手はピタリと動きを止めた。子どもに謝るような口振りも、バーナビーの嫌う下品な物言いも、なにもかもがいつも通りだ。さっきまで漂っていた湿った空気などなかったように虎徹はいつもの「おじさん」を演じる。
 しかしバーナビーは知っている。マスクの下にはワイルドタイガーの本性が眠っているのだ。獲物を狙って牙を研いでいる、獰猛な虎が彼の中には潜んでいる。そして、彼の中の虎を呼び出す呪文を、彼女は知っている。
 バーナビーは一瞬唇を噛みしめて、そして俯けていた顔を持ち上げた。
「もっと、構ってください」
 僕を愛して。
 甘えるように彼の首へと縋りつけば、低い声が「いいよ」と笑った。




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