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 ブロンズステージの住宅街を、真っ赤なスポーツカーが駆け抜けて行く。
 勤め先、あるいはゴールドステージの自宅から彼の自宅まで、数ヶ月のうちにすっかり走り慣れたその道では、街の雰囲気に不釣り合いなそれを振り返る人間は随分減った。盗難車と疑われて巡回中の警察官に声をかけられた経験は、今では笑い話だ。
 空の助手席に置いたままの携帯電話が着信を告げた。チラリとディスプレイに目を向ければ、そこに浮かんだ名前に淡い笑みが零れた。
(あと5分で着くから、もう少し待っててください)
 自分の到着を急かすかのように鳴り続ける小さな端末に向かって、バーナビーは囁いた。しつこくコールを繰り返す相手には届いていないようであったが。


 ジェイク逮捕の1件以来、コンビでの仕事が増えてきた。バーナビーのみと契約を取っていたファッション企業からも、「是非コンビでわが社専属のモデルに」と声がかかってきている。TVや雑誌の取材にもコンビで応じることが殆どだ。
 バーナビーの車かバイクで出社し、共に仕事をこなし、たまに虎徹の残業に付き合いながらも帰宅する時間は一緒だった。どこかで食事を摂って、たまに軽く飲んでから、どちらかの家に帰る。時間が遅い時には、虎徹特製のチャーハンを振る舞ってもらった。油がたっぷり含まれたマヨネーズが苦手だったバーナビーも、虎徹の作るチャーハンの隠し味がマヨネーズだったと聞いて苦手意識が減った。
 誰かと共に食事を摂ることの充足感に気付いたのは虎徹のおかげだった。1人では得られなかったたくさんの事柄を、虎徹と出会うことでバーナビーは学んだ。否、未だ学んでいる最中である。

 だから、車の中がこんなに静かなのは本当に久しぶりだった。青年誌のグラビア撮影が長引き、帰宅を許されたのは虎徹から帰宅を告げるメールが届いた時刻よりも遥かに遅い時間だった。定期的に送られていたメールも22時を過ぎるとふっつりと止んでしまっていた。


 スタジオを出るなりバーナビーは真っ先に虎徹の番号を呼び出した。1度目のコール音が鳴りやむより早く、耳に馴染んだ声が聞こえる。少し拗ねている風に感じ取れる彼に向かって「早く会いたい」とバーナビーらしからぬ甘い台詞を囁けば、同じくらい甘ったるい声で「俺も」と返ってきた。
 「迎えに行こうか」との申し出には車だからと丁寧に断りを入れて愛車に乗り込んだものの、どうしようもない寂寥感にバーナビーは唇を噛んだ。

 口から生まれてきたのではないかと思うほどに饒舌な相棒が助手席にいれば、車内が静寂に包まれることなどなかった。静かに唸るエンジン音と微かに耳に届く風の音以外は一切の静寂に支配された車内は、いっそ怖いほどだった。いつも隣にある体温がなくなるだけで、こんなにも怖くなる。一体自分はどうしてしまったのだろう。
 まったく、恋とは恐ろしいものだ。抱いたことのない感情がいくつも生まれてくる。つい1年ほど前には知らなかった気持ちも、口に出したことのなかった言葉も、今では何のためらいもなく表出できるようになってしまった。虎徹に溺れきった自分がおそろしいと、いつになってもバーナビーは心のどこかで感じていた。


 いつものパーキングに車を停めて、時代を感じさせる古ぼけたアパルトメントを視界に捉える。同じような建物がいくつも並ぶ、その奥から2つ目が虎徹の自宅だ。
 ボタンを押すだけのドアチャイムを鳴らすと機械的な鐘の音が響いた。カメラもないこの呼び鈴をいつもバーナビーは危うく感じている。そうでなくてもブロンズステージは(シュテルンビルトの中では)治安が悪いというのに。
「いらっしゃい、バニーちゃん」
 間髪入れずにドアが開き、それと同時にかけられた言葉に、バーナビーの眉が寄る。恋人の来訪に嬉々としている虎徹を見上げて彼女は口を開いた。
「ちゃんと誰か確認してからドアを開いてくださいと、いつも言ってるでしょう」
「だって俺分かるもん。誰かも分からない客とバニーちゃんとを見分けるなんて朝飯前」
 飼い犬か何かか、と突っ込みそうになる唇をぐっと引き結んで、自分のために開かれたドアに体を滑り込ませた。閉まると同時に体を引き寄せられて、そうして気付けばバーナビーは虎徹の腕の中にいた。
「おかえり」
 細い金の髪を鼻先で掻き分け、耳の縁に乾いた唇を寄せて虎徹は言葉を落とした。ここはバーナビーの自宅ではないから、この言葉の意味はそぐわないはずだ。それでも、甘やかな声は仕事でささくれた心にすっと馴染む。
 痛いほどの力で抱きしめてくる腕に若干の苦しさを感じながらも、負けじと自分からも腕を伸ばした。首に回した腕で彼の頭を引き寄せるようにして、少し背伸びをする。
「ただいま帰りました」



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