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少し空が明らみ始めた頃にぽつり、ぽつりと色町の明かりが消え始めた。
色町というのは、昼間は夜と比べると信じられないくらいの静寂を保つ。
まさに、その時間へ突入しようとしているのだ。

そんな静寂の中、椿は三味線を抱えて一人自室の窓枠に腰掛けて空を望んでいた。
寝間着に着替え終えて、布団も敷いた。
けれども、どうにも眠る気にはならなかった。
つい、三味線を手に取ったが、みなが休息をとる時間帯に三味線を弾くことは出来ないので、抱えて半ば無意識に弦を指先で弾いていた。
静かけさの中に、小さく弱い音が響く。

やがてその指も止まると、三味線を抱き込む様にして体を丸めた。


「わからない」


椿は一言そうもらすと、丸めた体ををふるわせた。











「私は椿です」


京楽の質問に対して椿は京楽の瞳をまっすぐ見つめて、迷い無い強い口調でそう言った。
その後に二人の間に流れた暫くの空白を破ったのは京楽だった。


「…すまない」

「いいえ」


京楽は膝に肘をつくと、両手で顔を覆って抱えて大きく溜め息をついた。
そしてもう一つ「すまない」と椿に言った。


「京楽隊長。
 今日はお帰りになった方が良いのでは?
 今日は風が強い。お風邪を召されては大変です」


椿は三味線を抱えて立ち上がり、京楽の顔の前にスッと手を差し出した。
京楽はその手をとって立ち上がる。

椿が手を引いて町へ誘導しようとするが、京楽は時間が止まったかの様に少しも動かず椿の手を握りじっとみつめたまま動かなかった。
椿もその様子を何一つ言わずにみつめた。
やがて京楽はひと呼吸おいて一つ笑みを浮かべてみせると、手を離して何事もなかったかの様に先を行った。


「…京楽隊長っ」

「…何だい」


強い風が吹き始めて周囲の林が不気味な音を立てて揺れている中、二人の間に少しの距離が出た所で椿は声をあげて京楽を呼び止めた。

「…好きだったのですか…その、名前さん、を…」

椿は丸で悪い事を聞くかの様に、語尾を小さくしながら言った。
京楽は少し驚いたような顔をして、椿を見た。
直ぐには答えを返さなかった。
京楽は強い風に流される雲の合間から星の光が瞬く空を見上げながら腕を組んで、少し迷うかのような仕草をしていたが、椿はじっと待った

そして、一際大きな風が吹いてくる少し前に京楽が口を開いた。


「     」



椿の耳には、音がかき消されて答えは全く聞こえなかった。
ただ、京楽が暗くなった原っぱに佇み幸せそうに笑っている様子だけが椿の目に届いた。








丸めていた背を再び窓枠へと預けると、椿はまたじっと空を眺めた。
明るい空の中一際強い光を放てる星だけが、自身一日の締めくくりと存在を示す様に強く瞬いている。


「わからない」


京楽があんなに幸せそうに笑んで居る訳も。
京楽が椿を、椿の知らない誰かと見紛う訳も。
椿には、分からない事だった。

そして、椿自身も。

胸の中にぐるぐると不快な気分が渦巻いた。
それに対して苛々する訳でもなく、ただ不安を感じた。

当然と言えば当然だが、何故か記憶が無いのにはきっと理由があると信じて止まなかった。
その上、記憶が無い事自体に苦痛を感じた事は無かった。
なのにこんなに辛い思いをする日が来るとは思わなかった。

思っても見なかったのかも知れない。


「椿ちゃーん。寝ないのー?
 明日…っていっても今日だけど、休日だから忙しくなるよー?」


隣の部屋の仕事仲間が、椿の部屋の襖を少しだけ開けて、眠そうな声でそう言った。


「ありがとう。今から寝る。
 おやすみ」


椿は目を閉じて、一つ息を吐く。
立ち上がって三味線を部屋の隅に置いて、小さく丸まり隙間も出来ない様に布団を被って、頂点に向かって昇り始めた太陽の光を避ける様に暗闇へ潜り込んだ。







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