5









外の仕事が雨で潰れて、京楽は三味線を片手に窓から外を望んでいた。
しとしとと雨が降り、ソウルソサエティ全体に霧がかかっていた。

そんな様子を執務室から見て一つ溜め息をつくと、京楽は膝の上にのせた三味線に向き直った。
それは実家からやっとの思いで見つけて来たもので、所々にガタがきている。
弦を張り直し、それなりになら弾ける程度にしたところだ。

相当古いもので、最後に何時弾いたかも知れない。
京楽にとって三味線なんてもので風流を極めるよりは、自分の足で様々な所を自由に歩き回って感じる風流のほうが好ましいものだった。
だから、勿論自分から進んで三味線を弾いたためしも、真面目に弾いたためしもない。


「ええと、」


京楽は昔弾いた記憶と、先日椿を見たときの記憶を重ね合わせて軽く音階を弾いた。
それは、形ばかりで聞くに堪えないものだった。
ただ、それは今さして大きな問題ではない。
京楽がこうやって黴臭くてぼろぼろのシロモノを今更ほっくりかえしてきたのは、上手く弾く為ではなかった。


「…」


椿に一目会ってからどうにも気になる事が有る。

あの、違和感。

どうにも言葉にし難い。
ただ、ぼんやりと喉の所まで出かかった記憶がどうにも気がかりであった。
非常に気分が落ち着かない。

ここ数日、ずっとその事について考えている。
ずっと、昔の記憶だったきがして、たぐり寄せても居るのに思い出せない。
現世の人間と違って、ソウルソサエティの人間はとても長生きだ。
時間の流れが違うので、昔の記憶が朧でも仕方ない。
普段はもう慣れた不快感に、今は凄くもどかしかった。
それを払拭したくおもった結果が、三味線だった。

バチを構え、再びうろおぼえの曲を形ばかりで弾いてみる。
曲は、この前の軍記もの。

すると、執務室の戸から物音がして、京楽は弾きながら顔を上げると、七緒が顔をのぞかせていた。
京楽が三味線を弾いている姿を、小さいからだを、めい一杯背伸びして窺っていたのだ。


「…下手だけど、見たいならそんな所で見てないで、おいで」


調子に乗って弾きながら喋っていると、指がもつれそうになった。
これはいけない、と思い、京楽が再び三味線を弾くのに集中し始めると、七緒はおずおずと京楽の正面に立った。

その目はらんらんと輝いていて、三味線を弾いている姿をじっと見つめた。
京楽にはたまったものではなく、ついつい苦笑いが出た。
だが、曲も半ばまで弾いた所で、ふと、このまえの椿とのやり取りを思い出して京楽はバチを落とした。


「あっ…」


七緒が唐突な終わりに声を漏らす。


「…ありゃりゃ、ごめんよ。手が滑った」


京楽がはは、と笑って居る間に七緒はバチを拾って京楽に手渡した。


「京楽隊長は何でも出来るのですね」


そのとき、七緒が子供らしい笑みと尊敬の念を纏わせてそう言った。


「いや、そんな事無いよ…君だって、弾けるよ。三味線」


「いえ、そんな…」


「なら、やってみる?
 ぼろぼろの三味線だから、かろうじて音が出る程度だけど。
 あと、ちょっと七緒ちゃんには大きいかな、これ…」


京楽は三味線を一旦膝の上からどかして、おいで、と言った。
七緒はおずおずと京楽の膝の上に座り、京楽から三味線を受け取った。
京楽はその後ろから七緒を支え、小さい二つの手に自分の手を添えて構えをとらせる。
二人で、ひとつふたつ音を出すと、その度に七緒は目を輝かせた。


「ね、弾けるでしょ」


京楽はにこりと笑って七緒の顔を見た。


「はい!!」






七緒が部屋を去ったあと、京楽は再び窓の外を見た。
昼から降っていた雨は大分やみ、雲の隙間から月が見え隠れする様になった。
視線の先はあの色町。
そこには、何時もと変わらない、夜に浮かび上がる様に光にてらされた建物。

今日一日三味線を弾いても、ろくな収穫は得られなかった。
そんなに期待しては居なかったが、やはり無いならないで、何やら気分的には宜しく無い。


「なんなんだろうねえ…これ…」


京楽は頬を掻いた。
目を閉じたまま深く溜め息をついた。
脳裏に映るのは、あの、月の光に照らされて窓の外を見ている椿。
それが、ゆっくりとこちらを向く。
顔は月光の影によってあまり良く見えない。
ゆっくりと口が動くが、音は聞こえない。
ただ、その赤い口元だけが、わざとらしく強調されている。


「…」


京楽は眉を潜めた。
京楽は昨日、この時椿から「さあ、何ででしょうね」と言われた。
それにしては、今の口の動きは動きが少なかった。
確かに何かがおかしかった。


「何だ、これは」


背後に映る月と星空は確かに昨日見た記憶と違わない。
口元の動きのみが違う。

京楽は腕を組んで、さらに考え込んだ。

だが、ふと気になって口の動きを追った。



あ り が と う



「ありがとう?」


京楽は更に眉をしかめて、もう少しで出て来そうな記憶を必死でたぐった。


「ありがとう…」


だれに言うでもなくそれを呟くたびに、京楽は少しずつ確信に向かっているような気がしてぶつぶつと呟いた。





また、遭いましょう






京楽の記憶の隅から上がって来たのは、その一言だった。
京楽はばっと顔を上げると、急ぎ足で執務室を後にした。

ある、確信を胸に抱いて。
そして、その顔には笑みをたたえて。









京楽は走って色町に出た。気付いたら、走っていた。
喧噪がだんだん大きく聞こえて来て目的地に近付いて来たと感じると心臓が昂った。
だが、いざ店の前に出ると足が動かない。
肩で息をしなければならないほど激しく動く心臓を落ち着けようと、馴染みの店を正面から見据えながら一つ大きく息を吸った。


「京楽隊長?どうなさったんです、そんな息を切らして」


店に足を踏み入れようとした所で、京楽は背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには三味線を抱えた椿が不思議そうな顔をして立っていた。


「…椿、ちゃん」


続けて話をしようと京楽は椿を見て口を開きかけたが、思った様に言葉が出なかった。
言いたい事は山の様にある。
何から伝えたら良いものか。
京楽の脳は混乱していた。
手を目頭に当て「ええと」などとどもっていると、椿が京楽の手を握ってきた。


「さあ、こちらへ」


椿は笑ってそう言うと、店の脇にある小道に京楽を引っ張った。
そこをずっと歩き抜けると、色町の華やかさとは無縁の、住居が立ち並ぶ道にでた。
そのさらに奥。原っぱに白い花が沢山咲く原っぱに、丁度良さそうな丸太がごろんと転がっていた。

椿は三味線をきつく抱え、もう片方の手で丸太の埃を払った。


「さあ、座りましょう。
 外ですけど、誰もいないから、落ち着いて話せます」


京楽は勧められるがままに、丸太に腰掛けた。
椿は三味線を依然として大事そうに抱えたまま、京楽のとなりに座った。

椿がひと呼吸付いた所を見計らって、京楽は急ぐ様に口を開いた。


「君、僕に覚えは無い?」


「何を話すかと思えば、ついこの前御会いしたばかりでは。
 それとも新しいくどき文句ですか?」


椿はけらけらと笑った。
しかし、京楽が一向に口を開かず真剣な顔をして椿を見つめるので、顔を伏せて目を閉じた。


「…いえ、この前御会いする以前に、京楽さんとの接点はございませんよ」


「…名前」


「…?」


目を開けて京楽を見やるが、椿から視線を離した様子も無い。
周囲を見回しても、人は居ない。
椿は顔を顰めた。


「…どなたの名前を、」



「君の名前。君の本当の名前は、なんなんだい…名前では、ないのかい?」



京楽は揺るぎない口調で椿にそう問いた。



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