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「リサちゃん」

「なんや」

「この資料、山じいが『火急である』とか言ってたから、届けてあげて。
 届け終わったら、あがって良いよ」

京楽はリサに分厚い資料を手渡し、リサが隊長室から退室するのを確認すると大きく背伸びした。

「ああー…肩こったー」

数日前から、のらりくらりな京楽が珍しく仕事をしていた。

ここ最近、流魂町で謎の霊魂の消失という現象が発生している。
リサが元柳斎にもっていった資料もその件に関する報告だった。
本来ならこういった仕事は八番隊の管轄ではない。
だが隊長の入れ替わりやらの所為で、こちらまで仕事が回って来てしまったのだ。

京楽は腕をぐるぐると大きく数回まわした。
性に似合わない事をするということは、何事に置いても肩が凝る。
席を立ち上がって窓から街を見下ろし、この後どう過ごそうかと思案した。
しかし慣れない事をしたからか、疲れた頭では何をして気分転換しようかと考えても即座に浮かばない。
だが、そんなとき、だんだん暗くなり始めた空に、明かりが煌々と灯り一際映える一角が目の隅にとまった。

「ああ、そうだそうだ」

京楽はこのあとの時間の消費方法に思い当たるものが出来た。
そして、出入り口に体を向き直すと、そのまま隊長室を後にした。






京楽が隊長室から目にしたその場所は色町だった。
ここにくるまでに空は完全に暗くなり、明かりが増々もって暗闇に映えた。
男と女が、欲望を満たす、その場所は、なにやら怪しげな雰囲気を纏っていた。
それとともに、香水やらの入り交じった香りが空気に漂っている。
だが、その匂いは不快ではなく、寧ろ甘美な香りと言って良い。
京楽はその匂いに誘われる様にして、一軒の店に立ち寄った。

「あら、京楽隊長。お久しぶりですこと」

入り口には女店主が待ち構えていた。

「仕事が忙しくてね、まったく…嫌になっちゃうよね」

「ではでは、私たちはその疲れを癒しましょう」

慣れた調子で二言三言話すと、京楽は中に足を踏み入れた。
そのとき、京楽の前を横切った女が一人居た。
ぶつかりそうになり、京楽が急に足を止めたが、僅差で間に合わなかったために女が少しよろめいた。
京楽は反射でとっさに手を出して肩をつかんだ。

「おっと、ごめんよ…大丈夫かい?」

「…失礼しました」

女が顔をあげて、こちらを向いた。

まっすぐに長く伸びた黒髪に白い肌。
そこに、紅をひいた唇の赤。

「…君は」

「まったく、お客様の前を横切るとは…何事です。
 気をつけなさい」

京楽が口を開いた瞬間、女店主はきつい口調でそう女を叱った。
だが、客の前での醜態は恥。そう長く叱責はしなかった。

女は深く頭をさげて謝罪をのべると、廊下の奥へと静かに歩いていった。
京楽は、その様子をじっと目で追った。

「うちの子が大変失礼を……京楽隊長?」

京楽は、いまの女との一連の動作の端々に既視感や違和感を覚えた。
胸の奥が嵐の前の森の様に、ざわざわとした。
この感覚はなんだろうかと、京楽が腕を組んで小難しい表情をしていると、女店主は首を傾げた。

「ねえ、今日、あの子指名していい?」

「構いませんが…新入りですよ?」

「構わない」

「…では、お部屋へ」

「いや、一人で行くよ」

ここの女店主は礼儀を欠かさない。
同じ部屋を使用する馴染みの客であっても、毎回部屋へと案内する。
だが、今日は京楽の方からそれを断った。

京楽は慣れた足取りで、何時も使っている部屋へと向かった。
この建物の中で一番奥に位置して静かな部屋。
それが、京楽の馴染みの部屋だった。
部屋に入って、後ろ手に襖を締めると、京楽は目頭に手を当てて記憶を探った。

何かおかしい。

京楽には、先ほどの違和感の正体の原因に朧な心当たりが有った。
記憶を探るが、明確に思い当たるものが無い。
ただ、ぼんやりとした心当たりだけがある。


「失礼します」

「っと…、ああ、ごめん」

京楽が入り口に近くに背を向けて突っ立っていたものだから、女は京楽の背中に当たった。
京楽は振り返って、女の顔を見る。

「失礼しました」

女は京楽の顔をまっすぐ見据えて、一言そう言った。

女は、京楽が失態を叱る為に呼んだのだろうと思っていた。
今回のは女に非は無いにしろ、おもてなしすべき客に無礼を働いたので、増々もって怒られる事に確信を抱いた。
だが、京楽は女の顔を見つめたまま、何も言おうとしない。

その視線に耐えかねて、女の方から口をひらいた。

「何か、私の顔に何か付いてましたか?」

「いや?全然?」

京楽はへらりと笑って女から視線を外すと、くるりと背を向けて席へ腰を下ろした。
女は不思議に思いながらも、襖を閉めて、京楽の傍へ寄った。

「初めまして。
 先ほどからとんだご無礼、大変失礼しました。
 私の名前は、椿と申します」

「…へえ、椿ちゃん」

「はい」

「僕は京楽春水。どうぞ、よろしく」

椿は三つ指を揃え、洗練された上品な動作で京楽に頭を垂れた。

「私は新入りです。
 姉様方のような、お客様にお楽しみいただけるような技術は未だ未熟でございます。
 なのでお粗末ではございますが、お食事とお酒がくるまで…三味線を」

椿は背後に置いていた三味線を正面にもって来た。
流れる様に、三味線を構えた椿は確かにその時点で様になっていた。
その時点で一つ、京楽には気がかりな事があった。
だが、構えて弾くだけの状態になった椿に声をかけるのは野暮だったので、京楽はその事を今は伏せた。

椿は深呼吸すると、三味線を弾き始めた。

京楽にも聞き覚えのある曲だった。
題はわすれたが、何かの軍記物の古典の語りと共に弾く、低い音が特徴的な曲。
高い音も出る三味線にしては、少々音域が低い。
あまり一般的ではない曲だった。
色町で聞く三味線の音といったら、女がゆるゆると優雅に弾く三味線。
だから京楽にとって、この演奏は非常に新鮮だった。

曲の締めくくりに、最後に低音を勢い良く弾いて締めると、椿は軽く一礼した。
京楽はそれに拍手を送った。

「上手いねえ…しかも、選曲が良い」

「お褒めに預かり、光栄です。
 先ほど、店主に護艇十三隊の隊長さんと御聞きしましたので、すこし選曲をそれらしいものにしてみました」

「うれしいなあ…けど、その手じゃあ、弾きにくいんじゃない?」

「え…?」

京楽は片手を椿の目元にあげた。

「三味線のバチって、こう持つよね。
 上手いけど、よくそんな持ち方でひけるなあ、と」

椿は、自分の右手を見た。
そして、驚いたような顔をしてその手を背中に回した。

京楽がしてきした、椿のバチの持ち方は本当の三味線のバチの握り方とは大幅に異なる。
多少の持ち方の違いは個人によって異なる。
だが、椿のバチの持ち方は少し三味線を弾いた事のある人間なら弾きにくいと思う持ち方だった。

「これは…癖なんです。
 どうやっても抜けないんです。
 私もほとほと困ってて…すいません」

「いやあ…別に謝る事じゃない。
 それであんなに弾けるなら、いいじゃない」

京楽はへらへらと笑ってみせた。

だが、椿は神妙な顔つきをして、隠した右手を顔の前にもって来た。
その顔は、何処か納得のいかないような顔つきをしていた。

そんなやり取りをしていると、食事やら酒やらが運ばれて来た。
椿は壁際によって、三味線を丁寧において、食事の準備が終わるのを待った。
運んできた店の者が全て退出すると、椿は京楽に杯を渡して、酒を注いだ。

「ありがとう」

京楽はその杯の一杯を眺めて、一気に煽った。

「他の楽器を弾いてたから、持ち方が違うとか…かい?」

唐突に京楽はそう尋ねた。
納得の行かない顔つきをしていた椿をみて、もし原因があるのだとすればそういった類いかと思い至ったからだ。
感覚を開けて唐突に、質問をされた椿は二、三度瞬きをした。

「…いえ」

椿のその短い答えに、京楽は「そうかい」と返した。
椿は空の杯に酒をそそいだ。
そして徳利をもったその手を膝に下ろして、暫くの沈黙の後口を開いた。

「ただ…三味線は好きなのに、どうにも違和感が有ります。
 時々、変な指回りをしたり、変な手つきをしたり…。
 …何でなのでしょうね」

「じゃあ…現世で、ほかの楽器でも弾いてたんじゃないの?」

京楽は笑いながら、冗談っぽくそう言った。
流魂街の人間は、ソウルソサエティで生まれ育った人間と違って大抵現世での記憶が有る。
その名残で、構えに違和感をもっても、不思議な事ではない。

「…どうなんでしょうね」

「覚えてない?」

「そうです。私には、昔の記憶は有りませんから」

椿は京楽の空の杯に酒を注ぎながらそう言った。

京楽は思いも寄らない質問に少し戸惑った。
触れては行けないような気もしたが、どうにも気になって踏み込んだ。

「それは何故?」

杯のふちに、徳利から出た最後の一滴がつう、と伝った。
椿はそれが溢れない様に切れるのを見計らって徳利を離し、脇にそっと置いた。

椿は窓の外に顔を向けた。
するとその横顔は月光に照らされて、よりいっそう白が極まった。

やがて目を閉じて、ひと呼吸すると、京楽に向き直った。

「さあ、何故でしょうね」

椿はにこりと笑った。

ほんの一瞬の振る舞いと、それを遥かに上回る妖艶さ。
そして、特に笑みにぞっとするものを感じて、それを取り繕うかの様に京楽は笑った。


何かが、京楽の脳髄に麻薬の様にジワジワ広がっていった。



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