3
京楽が名前と少しの会話をした数日後。
京楽は夜間の勤務を終えて、疲れの残るからだを引きずる様にして丘へ向かった。
早朝の未だ日が上りきらない時間帯の空には、まだきらきらと星が瞬いている。
昼間に仮眠はとったものの、どうにも、時間帯のずれた任務というものは無条件に疲れを増幅させるようなきがした。
欠伸もひっきりなしにでてくる。
そんな状態で森の中を歩いて上るが、足下は暗いので尚更足下が覚束ない。
ようやく頂上へ出て、一眠りしようと疲れて上がらない頭をベンチの方へ向けると、先客があった。
「名前ちゃん…」
そこにはだらりとベンチの背もたれに寄りかかってぼうっと空を眺める名前の姿があった。
空を眺めるその目はどことなくうつろで、生気の無いものだった。
一瞬死んでるのかと思うくらいだが、そうではない。
京楽の小さなつぶやきに気がつくと、名前はこちらを向いてにこりと微笑んだ。
「あら、まさかこんな時間に会うとは思わなかった」
「それは僕の台詞だよ。
こんな所で、こんな時間になにしてるんだい?」
「…空を、みてたのよ」
名前は長い腕の、長い指をすっと空に向けた。
名前はその指先を追う。
だが、すぐに名前の顔に視線を戻した。
「…そう。
今日はチェロ、持って来てないんだ」
「それは勿論、こんな朝早くにこんな所では弾けないから」
「そりゃそうか」
京楽はゆっくりと、名前に歩み寄ると、ベンチに腰を下ろした。
その距離は、この前よりほんの少しだけ近くに。
「…肩、貸そうか」
名前は静かにくすくすと笑い出した。
だんだん越えを大きくしてひとしきり笑ってから、まるで電池が切れた様に京楽の肩に凭れ掛かった。
それに沿って、京楽は名前の体を片手で支えた。
「ずっと、体の怠さが抜けない。
手に、力も入らない。
ひどく、寒い」
名前は膝の上に乗せていた手を、目線まであげながらそう言った。
その手は、物凄く細かった。色も青白い。
この前聞いた、力強い音が、ここから生み出されたとは、俄にも信じがたかった。
「…死神って職業名、伊達じゃないわね」
「…何かの、病気?」
「そう。ずっと前から。
あなたと会うずっとまえからそうだった。
多分そろそろ死ぬ」
名前は持ち上げた手をすとん、と膝の上に下ろした。
死神が見えた、という事は、それなりの霊力が有るという事。
それは、京楽の感覚に直にその存在を伝える。
便利なものだ。
先ほど、まるで死んでるような雰囲気を出していた名前を見た瞬間に無意識にその便利さに頼って確認した。
その時の、名前の霊力のなんと弱い事。
霊力が弱いということは、すなわち死。
「なんか、心の底がざわざわした。
病院抜け出して楽器だけ持って…ここにきたら死神に遭って…そろそろ死ぬんだと確信した けど、その死神、私には死神とは思えなくて…」
「僕は人間を狩る死神じゃないからね。そう思って、当然」
「けど、最後の最後まで、運命の様にこうやって遭うと…何かね」
「運命って言っても…赤い糸みたいな運命って言ってくれると、僕は嬉しいけど」
「思いつかなかった。けど。それも有りだわ」
「それは光栄」
そこまで喋った所で名前は大きく溜め息を付いた。
息を吸おうとするが、いまいち体が動かないようで、呼吸が浅い。
京楽はだんだん明るくなって来た空をみた。
先ほどよりは、星の光りが減って来た。
そして肩には名前。
あまりにも、時間が短すぎた。
「あ、」
名前がすこし苦しそうにそうもらす。
京楽が名前の顔を見ると、名前はニコリと笑った。
そして、自然に目を閉じた。
「…」
京楽は再び顔を空に向けた。
だが木々の隙間から差し込んできた朝日が目をくらまして、空は白んでしか見えない。
京楽は肩に寄りかかったままの名前の両肩をもって、自分の膝の上に頭を置いて、横にした。
日の光を直視したからか、まだ、視界はチラチラしている。
だから、名前の表情はハッキリ見えない。
だが、白い肌に見える一筋の赤い唇だけがはっきりと見えた。
いつか、京楽と冗談をかわした、あのときの名前と同じ口元。
「おやすみ」
体の疲れは依然として抜けない。
京楽も、同じく目を閉じた。
- 3 -
[*前] | [次#]
ページ: