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「あれえ…椿ちゃん、その傷…どうしたのお…?」
風呂場で湯を浴びていたとき、椿は仕事仲間である女に背を指差し問われた。
女が瞳に何とも言えない感情を浮かべながら差すそこには、右肩を裂く様に薄らとついた三本の筋。
細くも無く、太くも無い。
真新しくも、古傷とも判別付け難い。
ただ、自分の傷でなくとも視覚を通して確実な痛みを感じるような傷だった。
「これ?…これは、内緒」
椿はニコリと笑ってそういった。
「掻き傷?痛そう」
心配そうな女とは対照的に、椿はけらけらと声をあげて笑った。
「背中に引っ掻き傷?それは女が男に付けるものでしょ…ふふ!!変なの」
椿はそんな冗談をいった。
それにつられて女も高い声で大笑いした。
「じゃあね、私、先に上がるわ」
「うん。椿はこれで仕事終わりよね?お疲れ」
椿は石鹸の匂いが漂い、湯気で煙った風呂場をでる。
脱衣所は棚や籠が並んでいるだけで人一人居らず、ひんやりとしていた。
その温度差は、夢の世界から気に現実に引き戻すような冷ややかさだった。
椿はまっすぐに歩みを勧めて棚の一番端の真ん中の段に手を伸ばした。
そのなかには風呂敷に丁寧に包まれた黒い着物。
それにそっと手を添えると、椿は湯上がりの温かい手にさらさらとした生地に手を添えた。
そして、その手をそのまま右肩の傷にずらした。
ザラリとしていて、そこにすこし爪をたてると、痛みが伴った。
「…」
椿は再び着物に手を伸ばすと、それに袖を通した。
浮竹と京楽二人揃って一番隊隊舎の執務室に居た。
京楽は壁に背をついて窓の外を眺め、浮竹だけが恩師である山本元柳斎と対面していた。
「浮竹、おぬしにこの仕事を任せたい」
「これは…?」
山本から手渡された数枚の紙束に、浮竹は眉根を潜めた。
書類に表記された担当部隊は八番隊であって、十三番隊ではなかったからだ。
「京楽、お主この前の報告書、一部ぬかしたじゃろう」
「何の話だい、やまじい」
「つまりは、そう言う事じゃ」
そう言って山本は片目を開けて浮竹を見やる。
浮竹は、顎に手をあてて暫し考えると一つの結論をだした。
「…京楽の尻拭い、ですか…?」
「やだなあ、浮竹も山じいもそろって僕が仕事怠慢してるみたいにいっちゃって…」
「「その通りだろう」」
京楽が顔を緩ませて頭を掻きつつボケたことを言うが、両脇からぴしゃりとそう言われると何も言えない。
「…僕がなにしたっていうんだい」
京楽がふてくされた様子でボソリとそう言う。
すると、山本は「それはおぬしの方が知っておるじゃろう」と言って口を閉じて、浮竹は即座に資料に目を通し始めた。
「……そう、じゃあ浮竹、あとは行動するのみみたいだし、行こうか」
京楽は書類に熱心に目を通し続ける浮竹の腕を引っ張って一番隊隊舎を後にした。
「なあ、これ…なんなんだ…?」
「何だと思う?」
一番隊隊舎を後にして、十三番隊舎へ行く道すがら、浮竹は京楽に問いた。
書類の内容は「流魂街で頻発している謎の霊魂消失」に関して。
「『白い着物をきて、刀を操る人間の目撃情報。ただし、死神に非ず』…って」
「あ、やっぱそれ気になった?」
「なんなんだ、これ?」
雨乾堂の中に二人揃って腰を落ち着けると、浮竹は部屋一杯に膨大な資料をばらっと無造作に並べた。
「しっかし、山じいは相変わらずの『クソじじい』だねえ。こりゃ、一本とられた」
「なっ…おまえ先生に何て事を…だいたい、お前もさっきっから何なんだ。
この件に関して知ってるのか知ってないのか…はっきりしろ!!」
京楽はしびれを切らした浮竹の脇でにやりと笑んだ。
「そうだねえ、君の提示するその二択では僕は答えを言えない。
なぜなら、僕もその事に関しては答えを出しかねているから」
京楽は笠を外して畳の上に置くと、額を掻いて溜め息をひとつついた。
京楽自身も答えを出しかねているのには確り理由があって、
それを山本自身も感じている。
それは善くも悪くも結果次第ではコトになる。
だから、京楽と浮竹にこの事を任せた。
「種明かしをしてやるよ、浮竹。
今の僕みたいな煩悩の固まりじゃあ、世界を棒に振るかも知れない。
そんな人間には、君みたいな存在は欠かせない。
『クソじじい』の配役は腹立たしいけど、正解」
京楽は手を頭の後ろで組んで、悔しそうに「だからいったじゃない、『クソじじい』、『一本とられた』」と言った。
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