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肩にかけたチェロケースがずるり、と肩から落ちた。
自分の身長ほどもあるその大きなチェロケースは、見た目通り重い。
これをもって歩くと肩どころが足まで痛みがくる事もある。
ただ、持ち歩いて分かる事もある。

ゆっくり歩けば肩からずり落ちないが、早歩きで歩けば肩から幾らでもずり落ちる。

それに気付いてから急いでるときを除いて、早歩きはしなくなった。
けれど、つい癖で無意識にやってしまう時がある。
それが、苛々しているとき。






バーから家はそんなに遠く無い。
だから名前はバーから早歩きで家路についた。
春もそこそこの夕方と言えども、やはりまだ寒い季節。しかも暗い。
それが増々名前をイライラさせた。
そんなこと、イライラするに値しない些細な事である。
しかし、最早名前にとっては…例えば、自分が呼吸を行う、そんな些細な事でさえイライラするような神経質な感覚でいた。

名前は京楽とのやりとりを思い出す。
あのやり取りは絶対に浮竹には意味が取れないものだから安心したものの、あのときあそこでああするか、と納得のいかない思いがあった。

音楽に振られたという言葉。
一般人からすれば、サッパリ意味のわからない言葉。
本当は、奇怪な台詞の一つでも言えば京楽が怯んでこれ以上絡んでこないだろうとおもって言った台詞だった。

ただし、嘘でもない。

誤算だったのは京楽は名前がこの前酔っていた時に行った言葉を覚えていたと言う事。
しかも意味の分からないまま言葉を受け取っていたのでは無いということだ。
真にその言葉を分かる筈は無いだろうが、なにか京楽にも思う所があったのだろう。
だから、名前に口出しをしてきたのだ。

(サイアクサイアクサイアクサイアクサイアクっ…!!)

どうやろうとしたのかは知らない。
ただ、あの小さなステージで本気で弾かせようとしていたのは確からしい。

京楽は賭け気分で取りかかったのかも知れないが、名前からすればただのお節介とも言える。
なんせ「振られる」と言うからには『恋路』。
それはつまり、出歯亀は御法度と言う事。

(…なんとなくでも…意味が分かるくらいなら、邪魔しないでよ!!)

思うだけは良いが、口に出すと取り返せないとはこの事だ。
名前は自分の口の軽さを思い知った。


「…チッ」


名前は下品に舌打をした。

暗い暗い路地のある一点、お情けなのか旧時代の遺物なのか、ひとつだけぽつねんと立っている錆だらけの古い街頭の元に立ち止まる。

そのまま上を見上げると、小さい虫達が群がって白い光がチカチカときらめいた。
そこでふと、この立っている場所がステージに似ていると名前は思った。

ステージ。
そこは、名前にとって至極神聖とも言える場所だ。
それは、例えるならば聖堂のような。
つまり、心の静寂をもって望む場所という事だ。
名前は我に返った。


「……なに、イライラしてんの…わたし」


名前は自分の陰が落ちる足下をみて、ぼそりとそう呟いた。








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