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「よかったよかったよかった…」


偏愛だと思った。
自分のチェロケースに頬擦りしている後輩をみて。
浮竹は肩をすくめた。













名前に電話を掛けると自分の体調よりもチェロの心配をしてきた。
生憎今日は練習は休みの日であると説明するが、一刻も早くチェロを手元に戻したいという名前の要望を聞いて、浮竹がホールを開けたのだ。
すると、この有様になった。


「ところで体調は大丈夫か?」

「…あ、え、ええ!!勿論です!!元気になりました!!」


思い出したような顔をした名前を見て浮竹は呆れた。
名前というのは、血のにじむような努力と音楽に対する愛で出来た賜物のようなものと思っている。
若くして、このオケに所属して、ソロとしても名を馳せているのがその証拠だ。
だから、少々自分自身を気にかけるのを忘れる。
それが浮竹としては気がかりだった。

浮竹は腕時計を見る。窓一つないホールからは時間が窺えないが、針はもう夜に近い時刻をさしていた。


「さあ、快気祝いだ。食べにでも行くか」


浮竹は胸ポケットから車のキーを取り出して振る。

そして車で数十分。
浮竹に案内されて来たのが、あの場所。
そう、飲んで飲んで飲みまくったあのバー。
置きて直ぐに此所最近の失態に後悔して、またここに戻って来たと言う事は、最近の生活を悔い改めよと言う事なのかもしれない。


「二日酔いと風邪開けの奴をバーに連れてくるのもどうかと思うが、ここの料理が案外うまいんだ。
 知り合いがやっててな」

「いえ、あの…ありがとうございます」


名前は語尾を若干小さくしつつ、戸をくぐる。
肩にチェロを背負ったままなので、小さな戸は入り辛い。
浮竹が戸を押さえてくれた。



「お、浮竹え…と、この前のお嬢さん」



目の前にジーザスが居た。
髭面に癖のある髪。
どう見てもジーザスにしか見えない男が、カウンターでグラスを拭いている。
やはり悔い改めよ、と言う事だろうか。
くだらない事を考えた所でふと思い出す。


「あ、この前ナンパして来た人!!」


男は少し驚いたような顔をしてから、思い出した様に爆笑し始めた。
数歩先に立っていた浮竹は、呆れた顔をした。


「京楽!!またか!!」


あれほど言ったじゃないか、しかも俺の後輩にまで手を出すのか、と見た事も無い剣幕で浮竹が怒り始めた。









カウンター席に座って浮竹と色々話し込んでいると、目の前に柚子の良い香りのするパスタが出された。
その隣には、カクテル。


「和風柚子パスタに、アプリコットクーラー」


名前はグラスを顔に近づけて、香りを確かめる。
この前やけ酒した時に飲んだ度数だけが強い酒とは違って、甘いアプリコットの香り。


「要注意人物が居るみたいだから、今日はそんなに強いお酒は出しません」


カウンター越しににやりと笑われる。
そして、さあどうぞ、と手で示す。
からかわれた気がして、名前は口をへの字に曲げる。
京楽と呼ばれた男は、顔は良い。
けれども何故か名前には良い思い出が無い。


「食べよう、名字。
 どうせ何も食べてないんだろう?」

「…いただき、ます」


浮竹と京楽に促されるまま、スプーンとフォークを手に取って一口。
すると、以外と美味しい。
びっくりして言葉を失って居ると、それを見た浮竹がくすくすと笑った


「こいつは昔から器用でな」

「けど、この人この前はベース弾いてました」


ベースというのはコントラバスの事。
この前ナンパして来た時はベースを弾いてたし、カウンターに立たずに酒を頼んでた。
まさか、スタッフとして料理もしてるとは思わなかった。


「まあ、つまりは何でも出来るってことだ」

「そう、万能なの。
 どう、此所はひとつ僕とつきあ」
「飯がまずくなるな京楽」


ピシャリと京楽の口を閉じる浮竹。
名前食べる手を休ませずに、そのやり取りをぼんやりと見る。
まさか、この二人が知り合いとは思わなかった。
性格が丸で逆だ。
けれども何となく息があっていて、音楽をしているという点では二人ともつながりがある。

(なんか、面白い組み合わせ)

じーっと見ていると、京楽が名前を見てニコリと笑った。
名前は思わず目をそらす。
京楽は肩をすくめて、名前のチェロケースを見た。


「君はチェロ弾きだったのか」

「そう。
 浮竹さんと同じオケに居る」

「お前も一度名字のソロを聞いてみろ。
 名字は兎に角上手いんだ」

「…気のせいです」


オケのチェロパートトップである浮竹にそう言われては名字も少々照れてしまう。
なんとなく照れ隠しでそんな事を言ってしまう。
けれどもそんなこと浮竹は気にした様子も無く、まるで娘自慢の様に京楽に語って聞かせる。
増々恥ずかしくなった名字は、フォークとスプーンを置いてカクテルのグラスをちびちび飲んだ。


「へえ…そこまで聞くと、演奏聞きたくなっちゃうなあ。
 そこで弾いてみない?」

「…は?」



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